「民衆新聞」創刊号で初代校長の記事発見 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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東京チェーサム新校舎建設物語
その5・「民衆新聞」創刊号で初代校長の記事発見(8月23日・木曜日)
 
 19451015日付「民衆新聞」の創刊1号の二面に、東京朝鮮第三初級学校関連記事が載っている。
朝鮮大学校で昼食を食べていたら、金先生から声をかけられた。
「『民衆新聞』創刊号を見つけました。学報に載せましたからぜひ…」
8月21日のことだ。
早速、図書館に行ったが、夏休みで休館中、見ることができなった。
「民衆新聞」は、朝聯(在日朝鮮人聯盟)が発行していた、朝鮮総連の機関誌「朝鮮新報」の前身で、創刊は19451010日とされてきたが、その実物は「発見」されていなかった。
翌日、顔見知りの全先生が「よかったら」と、一冊分けてくれた。
六月三〇日に発行された「朝鮮大学校学報」28号、巻末の「在日朝鮮人関連史料室 資料紹介」のコーナーに、「幻」とされていた「民衆新聞」1号の一面のコピーが載っていた。漢字混じりの縦書きの朝鮮文、読みづらい。

次のページに載った、朝鮮語の原文と日本語訳のタイトルを拾い読みする。
「朝聯全国大会 祖国の反逆者に対する蓄積された憎悪と憤慨が爆発」、「通貨問題」、「政治犯釈放要求 司法省に殺到」、「関西人民大会 大盛況裡に開催」、「解放運動犠牲者 追悼全国大会」、「帰国状況」…。短い記事から、在日同胞が置かれていた当時の生々しい状況が伝わってくる。
二面を読み進んでいくと、「慈善」のタイトルで、崔光硯氏のことが紹介されていた。
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自宅を国語講習所、板橋初等学院に開放した崔光硯氏? 
「板橋分会執行委員長崔光硯氏篤志で苦な児童のためのハングル学校を設置し校舎建設費2万円を提供したという」。
家に戻り、『私たちの東京チェーサム物語』を読み返す。間違いなく、東京チェーサムの初代校長の崔光硯氏だ。

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ハガキが五銭、公衆電話と電車の初乗りが一〇銭、公衆浴場が二〇銭、東京・大阪間が三等二種急行で一九円の時代。二万円は「莫大」な額だ。
今まさに、耐震補強のために旧校舎を取り壊し、新校舎建設に邁進している時、三行のその短い記事に、何か「縁」のようなものを感じた。
なお、資料紹介コーナーに載った「解説」では、「いままで知られていた『民衆新聞』の創刊日は誤り」、一〇月一〇日ではなく、一五日だということと、「民衆新聞」のタイトルの変遷の興味深い「新発見」が述べられている。
 
*加筆して、9月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』51号に掲載します。