【5月26日・土曜日】
上京した許先生と一緒に、金太一少年、朴柱範氏ら「4・24教育闘争」の犠牲者が眠る無名戦士の墓に行った。最寄りの地下鉄乃木坂駅前には、「西城秀樹葬儀式場」の大きな看板、喪服を着た女性らの長い列が霊園を取り巻いていた。
参列者の間をぬうようにして無名戦士の墓へ。かすかに「4・24の歌」が聞こえてくる。京都から来たというウリサラムだ。大きな花束が墓前に飾られていた。
金太一少年の写真を立てかけると、そのうちの一人が、「写真は久しぶりに見ます。いつまでか毎年、慰霊祭をしていて…その時以来です」
小学校一年の時、愛知県で「4・24」を体験したという。写真を前に再び「4・24の歌」を口ずさんだ。

「解放運動無名戦士の墓」の由来と、この場で毎年、4・24の当日に催している「マダン」の話をする。「最近知ったこともあるが…なかなか来る機会がなくて…」。大阪在住の許先生とは、顔見知りで話が弾んだ。
しばらくすると、喪服の列を何気に見ていた、許先生が男性を呼び止める。総連大阪府本部・中西支部の委員長だという。危うく、通り過ぎるところだ。
大会の前に訪ねてきたという。「『朝鮮新報』に載った呉亨鎮先生の寄稿文を読んで、ここを知って…」。墓前に深々と礼をしていた。
許先生と墓の前に座り、大阪での火曜行動、東大阪中級の移転の話などを聞き、ウリハッキョに通う孫の話、在日同胞社会で芽生え始めたボランティア活動、「無償化世代」への期待などについても話をかわした。
京都と大阪のイルクン(専従活動家)との思わぬ出会、4・24教育闘争七〇周年は、様々な人とのつながりをもたらしてくれるようだ。
ふと、東京に修学旅行に来る朝高生の立ち寄り先の一つになればとの思いにんられた。(金日宇)
*加筆して、7月上旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』50号に載せます・