【11月25~27日】
義母の墓参りに京都へ。日曜日を挟んで二泊した。
初日は、京都中高のオモニ会の朴会長を誘って夕食。
交通渋滞に巻き込まれ遅れるとの連絡が入る。紅葉の季節だというので、どこに行ってもキャリーバックをひく観光客。毎年この時期、京都で過ごすが、今年はいつにも増して多いようだ。地下鉄も満員だった。
約束時間より少し早く入店。一度もあったことがないfb友達の店だ。左隣のテーブルに座った男性客六人。「ソージョ」とか、「〇〇ソンセンニム」の声、同胞のようだ。しばらくすると右隣のテーブルが埋まる。最初はボクシングがどうだとか言っていたが、「ロング(バスレットボール)」の話をはじめる。しばらくして入ってきた家族連れは、店を一巡して「アンニョンハシムニカ」をする。
京都のウリハッキョで八年あまり教壇に立っていた連れ合いは、〇〇の弟とか、子どもを知っているとか、声をかけられていた。
右隣に座った六人は、子どもが同じ時期にサッカー部に属していたアボジたちで、右隣はやはりウリハッキョのバスケつながり、息子や娘が卒業した後もつきあいが続いているようだ。
しばらくして朴会長が京都中高に通う二人の子どもを連れて来店する。あちらこちらから子どもの名前を呼ぶ声、初対面のはずの私もいつの間にか、話の輪の中に入っていた。
店主もそうだが、店で働く女性と客の中の一人もfb友だちだというので、それだけでも親しみが増し、楽しい夕食のひと時となった。
一度店を出たが戻って、総勢十六、七人余りで記念写真に納まった。笑顔でVサインをする女性がいて、肩を組む男性がいて、飲み続ける人がいて…みんな笑顔の「旧面親友」だ。同胞社会は「狭い」というが、「狭い」というより、「温かい」。
二日目、北白川の教会での日曜ミサをすまし、銀閣寺の反対側の裏道から京都中高に向かった。細い道に入ると、「危険 熊出没注意」の看板、例年のようにこの日も立ち止まって写真を撮った。

前日が学園祭で、この日は日曜、それでも部活で登校する生徒がいるだろう。住宅街を抜けて木がうっそうと茂った少し薄暗い坂を上ると、金管楽器の音色が聞こえる。運動場に入ると、一人でボールを蹴る生徒がいる。烏が数羽、運動場に降り立っている。校門の付近に何台か車が止まっていた。
子ども連れの親子が左手の中級部の校舎に入っていく。校舎の前で、男性の先生と言葉を交わすと、階段を上っていく。校舎の入り口のドアにポスターが貼られている「学美」を観にきたようだ。
会場は、二階の突き当りの教室、廊下の壁は児童の作品で埋められていた。「在日朝鮮学生美術展」は、各地のウリハッキョの入選作品が全国一一か所で巡回展示されるが、ここでの展示会は、京都と滋賀の幼稚園と初中高の作品が主だ。入り口付近は幼稚園児の作品、可愛い、伸び伸びしている、色とりどりで華やか…。「ウリユチバニ チョア」との案内板がかかっていたが、案内板通り私たちの幼稚班が良いことが実感できる。

子ども連れの女性が片手で器用に小学生の作品をデジカメに収めている。男性は幼児の作品をかがむようにのぞき込んで、動こうとしない。どこの「学美」の会場でもよくみられる光景だ。
そんな風景を見ているだけで心が和む。
会場の奥に展示されていた特別金賞を受賞した作品をスマホに収めた。『風景』の45号のグラビアに載せた作品だが、実物はめだつ、迫力があった。前日、夕食を共にした朴会長の長男の作品だ。

しばらくして運動場に降りていく。高級部の校舎から管楽器の音色が…。座り込んで校門を見ると、三人の女子生徒が歩いてくる。制服ではなく体育着だ。
「アンニョンハシムニカ」と声をかけると、「アンニョン…」。吹奏楽部の練習に来たという。集合時間の一時までだいぶ時間がある。パート別に自主練をするとのことだ。前日の文化祭が楽しかったようだ。「いつもこんなにカラスが…」というと、「カラスもウリハッキョが好きなのでは」との答えが返ってきた。

その後、同志社大の学園祭へ。KOREA文化研究会の展示会には昨年も来た。今回のテーマは「すぐわかる! 朝鮮学校-日本の中の民族教育」だ。顔なじみの留学同のメンバーが笑顔で迎えてくれた。民族教育の歩みと、高校無償化から排除されている現状が何枚かのポスターに簡潔にまとめられていた。
最近は、ウリハッキョを卒業して日本の大学に進学する学生が多いが、熱心に説明をしてくれた彼は、ウリハッキョに行ったことがない日校卒業生だった。朝鮮高校卒業生とギャップを感じることが少なくないようだが、それなりに留学同生活を楽しんでいるようだ。機関誌担当だというので、資料交換と原稿の執筆を頼んで会場を後にした。
地下鉄の中で、展示会の冊子を見た。表紙に「『知る』ことからはじめよう!」と書かれていたが、なるほど朝鮮学校と在日朝鮮心の歴史、制度的差別と各地での裁判闘争について分かりやすく解説されていた。

翌日は、京都市内から車で滋賀県にある「在日韓国人カトリック墓地」に向かった。京都コリアンカトリックセンターが管理する墓地は、テニスコート三面分位の広さがある。墓地もそうだが、道路から墓地に至る道を同胞たちが切り開いたと、聞いている。
墓石に刻まれたチャンモの名前を見ると、「キムソバンなぁ…」と、優しく呼んでくれた姿が思い出された。東京に来た時は、アボジの家の玄関に飾られていた、初めて見る「三大将軍」の肖像画にビックリしていた。その表情が忘れられない。それから一緒に平壌に行ったことも。最初の日曜日は四月一五日、行事が終わって、大使館街近くの長忠聖堂に行ったときは、すでに日曜ミサは終わっていた。それでもチャンモは、お御堂に腰掛け、祈りをささげていた。その時はまだ「万景峰」号が就航していた。出航が二、三日遅れ、二二日の日曜日にミサに行けることになった。案内人は「車を出すから、自分達だけで行ってくれ」と。一五分遅れでミサに参加した。一〇〇人余り、一見して外国人らしき人が一〇人前後。高齢者に混じって、多くの四〇代の男性が大きな声で讃美歌をうたっていた。チャンモも声を合わせていた。
墓地にたたずみながら、そんなことを思い出していた。
*加筆して2018年1月刊行の『朝鮮学校のある風景』47号に載せます。