茨城・セッピョル学園
幸せな二つの出会い
金日宇・「記録する会」
この度のセッピョル学園参加には、東京朝高の18期同級生から託されたミッションがあった。亡くなった同級生の孫娘に会うこと。その孫というのは、五月にマカオで開かれた第七回東アジア空手道選手権大会で銀メダルに輝いたチョン・セリトンム。栃木ハッキョの中学二年生だ。
六月上旬に開かれた第一三回同窓会の幹事会の場で、チョン・ジングの孫であること知り、ハラボジの同級生として「何か」をという、雰囲気が一気に盛り上がった。東アジア大会で代表団の監督を務めた朝大の宋修日先生にも会って、「何がいいか」相談し、寄せ書きとプレゼントを持ってのセッピョル学園参加となった。

「セリトンムの銀メダル獲得のニュースに、亡くなったジングに再会できたようでとてもうれしい。今も彼と共にいる東京朝高18期ハラボジ(おじいちゃん)同級生が贈るささやかなプレゼントを受け取って。ジングと彼の親友である私たちがこれからも見守ります。」(寄せ書き)
セリトンムの活躍を同窓会の幹事会で伝えた、ジングトンムと同じ北関東ハッキョ出身のリョム・スソをはじめ、アン・ヨンワン、オ・ペックン、アンジョンへ、チョン・キョンジャ、シン・ギルンと私の七人が署名。東京朝高のシン校長は、その場で、次のような文を付け加えた。よほどうれしかったようだ。
「ウリハッキョを輝かしてくれ、祖国を輝かせてくれたセリトンムはわれわれの誇りです。これからも訓練に励み、立派な空手の選手になることを期待します。」 セリトンムを挟んで、栃木の校長先生と記念写真を撮り、知らせを待つ同級生たちにfbを通じて知らせた。
早速、コメントが行きかった。
金善姫(セリトンムのオモニ)・「…セリがハラボジ同級生に祝ってもらえて、ジングアボジが一番喜んでると思います!」
廉数昭・「ジングの孫だと聞いた時思わず涙が出ました。本当に嬉しく感動しました。」
金善姫・「この度はジングアボジとセリのことを同級生の方々に伝えて下さり、本当にコマッスンミダ! アボジ、オモニも亡くなり寂しく思ってましたが、こんな風に沢山の方に見守って頂き、本当に幸せだと思いました。」
昔の写真を通じて、幼いセリトンムを応援する懐かしいジングトンムとの「再会」を果たすこともできた。
当日、セリトンムのオモニとも会え、翌日にはアボジ、オモニとジングトンムの思い出話をすることができた。一緒に撮った写真は、七月に平壌で会うであろう同窓生に、メダリストの孫の話と一緒に伝えようと思っている。
セッピョル学園の二日目夜の交流会での司会の一人は、セリトンムだ。失敗しないかと、ドキドキして見守っていた。セリのアボジとオモニとも話したが、目の前に応援できる人がいるということは、とても幸せなこと。そんな出会いを作ってくれた、ジングトンムに感謝、感謝である。
◇◇
セッピョル学園では、もう一人思いがけない人との出会いがあった。
校長室で、新潟、群馬、東北、栃木の各ハッキョの校長先生に、同級生を代表してセリトンムを激励しに来たと話していると、「東京朝高の18期? トンムと同級生だ」。新潟初中の金鐘海校長だ。ムン・パルチに北海道のリ・ダルス、チェ・ヤンイル、赤毛の…。次から次に同級生の名前が。卒業して五〇年にして初めて会う同級生。入学時に八〇〇人台で、卒業したのが六〇〇人台、男女別学だったので、こうしたことが往々にしてある。卒業から四〇年以上経っても、三年に一度の同窓会で初めて会う同級生が多い。

運動場で、朝大の教育学部の学生と一緒に飛行機を飛ばす児童を見ながら話は弾んだ。
新潟での生活は長いようだ。一九五九年に帰国事業が始まり、両親が帰国船に乗るために引っ越してきたという。東京朝高では寮生活を送った。サッカー部の主将のリ・グァンサン、キーパーのリ・マンシク…ここでも懐かしい名前が…。当時、四〇〇人が寮生活を送っていて、お腹がすくと食堂に忍び込んだとか、夜にラジオをつけっぱなしにして寝てしまったトンムがいて、放送終了の「君が代」がそのまま流れ、先輩にこっぴどく叱られたとか、朝高時代の話は尽きなかった。
話は行ったり来たりして、「フェサンギ(回想記)」についても。若い隊員が文字を学ぶために、行軍で前を行く隊員の背中に「アーヤーオーヨー」と書いた紙をつけて、そんなことを話していたら、同時に「モレチュモニ」という言葉が。「同時代に同じ教育を受けていたので、話が早い…、袋に砂を入れて持ち歩き、時間があると、その砂を地面に撒いて、その上から文字を書いたという、『モレチュモニ』のことを、今の若い人は知らないのでは…それを説明しなければならないから、自然と話が長くなって…」。
「こうして五〇年ぶりに同級生と会うのもいいが、全校生が名前で呼び合う、今の少人数の学校の良さもそれなりにあるのでは…」とも。
新潟のハッキョに幼稚班を作るために、その経験を学ぶために奈良などいくつかのハッキョに行っていると言っていた。まだまだ、すべきことは多い。互いにそんなことを思えた有意義なひと時だった。44