【6月5日・月曜日】
新年会の席で秋に一三回目の同窓会の開催が決められ、その準備のための第一回幹事会が同級生の康トンムのお店・名月で行われた。集合は六時、二〇分前に着くと、すでに五、六人が飲み始めていた。
まずは、酔う前に朴会長があいさつ。

…今回で一三回、二四、二五の時からはじめて三年に一回、四〇年以上続けてきた。二年後は、古希を迎えるトンムもいるから、次回は三年後ではなく、二年後ということで、乾杯。
「短くていい」とか、「早く飲みたいからだろう」とか、いつものようになにしろチャンソリ、余計な一言が多い。
幹事長の黄トンムが作ってきた、手書きの同窓会の準備案に基づき意見交換。担任を呼ぶのか? 師範科のトンムたちは? 案内はがきは? 次回の準備会は? 談笑をしながら、話が横道にそれながら、一部お酒におぼれながら、大きな声をあげた人の意見が通り、すべての案件がなんとなく決められた。


今夏、三人の同級生が祖国を訪問し、そこで暮らす三〇余名の同級生と会うというので、「共和国で暮らすトンムたちに一言!」。ノートやレポート用紙の切れ端に一言ずつ記すことになった。
「キム・ギリョン元気か、いつか会いましょう」、「チョ・ソンヒョン、パン・スミ、コ・ファソン元気でいますよね。マンギョンボン号で行けるようになる日を楽しみにしている」、「懐かしい、名前を思い出せないけど懐かしい。同級生が集まるたびにトンムたちのことが話題に! 」、「六〇青春、九〇還暦! 健康が第一。チョイワルオヤジ代表」、「統一した祖国の地でいましょう」、「チョ・グァンスク、高校の時あなたの叔父さんの家で試験勉強をしたことを覚えています。貴方は覚えていますか。元気で」、「いつか平壌か東京で同窓会を開けることを願っています」、「今度会ったら一緒に飯行こう」、「アン・ジョンスン、元気でいて」。
この何年間、同級生が祖国を訪問するたびにそこで暮らすトンムたちに会い、同窓会でその様子がビデオで流される、毎号『朝鮮学校のある風景』の往復書簡で消息を知らせあっていることもあってか、距離感を感じさせない言葉が多い。
朴会長は、至って真面目に記していた。
「東京朝高一八期の同級生の皆さん!
私はパク・チュンウです。皆の消息はシン・ギルン校長を通じてたくさん聞いています。日本では反共和国、反総連騒動が普通ではありません。しかし、私たちはわが祖国に正義があり、一理ではなく百理があると信じています。私は商工連の会長として在日同胞を守り、祖国を擁護するために戦うでしょう。再会の日を楽しみにしています!」。
もう一つ群馬から来た廉トンムが伝えた、ビックニュースに大きな拍手がわいた。マカオでの東アジア空手道選手権大会で準優勝した栃木初中の中級部三年生が同級生の孫だというのだ。
「チョン・ジング、だれかわかる? 彼のお孫ちゃんだよ。ジングが生きていたらどんなに喜んだか…」
「北関東初中だろ」、「紺色のガクランを着ていた」、「背が高く、確かバレーボール部」、「一時間に何本もない汽車に乗って通っていた…」
この日皆が一番集中した瞬間だったかも知れない。「おじいちゃんの同級生として何かできないか」との意見も出た。
六時から飲んで、食べて、笑って、大声で話した。予定の八時をだいぶオーバーして散会した。
次回の準備会は一〇月中旬に予定されている。その時は祖国で暮らす同級生の話や栃木の「孫」支援の話で盛り上がるのだろう。
*加筆して『朝鮮学校のある風景』44号に載せます。