163回目の教育援助費
【4月13日・木曜日】
今夜、「二億一八〇〇万円の教育援助費を送った」「一六三回目、総計四八〇億五九九万三九〇円」と「朝鮮中央通信」が打った。

内閣会議で、教育援助費と奨学金について語る金日成首相(当時=一九五七年末)
教育援助費が初めて送られてきてから六〇年。最初の援助費が送られてきたのは朝鮮戦争が停戦になってわずか四年目のことだった。七〇年代に「ナラエソ ナラエソ トヌル ポルネルチュルン(国からお金が送ってくるとは)…」と歌うと、祖国から来た代表団は必ず涙を流した。「まだ家もない、食べ物もない、祖国の子どもたちの教科書もないという時期に、金日成主席は何を考えているんだろうと…」と言いながら。一九九〇年代、金日成主席が亡くなり、「苦難の行軍」で人々の暮らしが危機に瀕した時も援助費は滞りなく送られてきた。その後も厳しい経済制裁は続き、情勢はさらに悪化し、一触即発の危機が迫っているといわれるまさにそんな時期に今回の援助費は送られてきた。
日本の自治体が、補助金が欲しいなら学校教育法一条に基づく教育をすればいいと、支援をどんどん打ち切っている中、私たちの人間としての尊厳を守っているのは朝鮮だと改めて実感する。朝鮮語を常用できない、在日朝鮮人の歴史を共有できない教育では、在日朝鮮人は育たないのだから。
これまで援助費のニュースは喜ばしいニュースだった。しかし六〇年間という歳月を振り返ると果たしてこのままでいいのだろうかと、本来そこで暮らす子どもたちの教育に使われるべき莫大な予算を私たちが当たり前のように使ってよいのだろうかと思うと、平壌に住む親せきの顔が浮かんだ。
本来私たちの民族教育は、私たちが生活し税金を納めている日本で保障されるべきものだ。いつになれば日本社会は、社会の一員である私たちへの「いじめ」に気づくのだろう。
*本誌42号の「教育援助費が送ってきた日・再現―1957・4・19」参照
新入生も参加した金曜行動
【4月14日・金曜日】
祖国から援助費が送られたというのニュースの翌日、久しぶりに文科省前で行われる金曜行動に参加した。今週は文学歴史学部の学生たちの担当だ。二二人の新入生は、朝大生として初めての参加となる。文科省前の桜の木から残り少ない花びらが舞っていた。
いつもの通り、学生と日本の支援者のアピールが行われた。

「JRの学割定期券も公式戦への参加資格もすべて闘いで得た。今回も朝鮮学校に高校無償化制度が適用されるまで戦う!」とトップバッターの学生の新たな決意表明に続き、「中学一年生の時に朝鮮学校だけが制度から除外された。高校のころに参加した裁判の様子は決して忘れない。傍聴席から裁判官だけを見つめて心の声で訴え続けた」という女子学生の訴えには、闘いとともに一〇代を過ごしてきたこの世代の思いがあふれていた。

金曜行動は初めてでも、彼らはそれぞれビラを配り、署名を集め、裁判に参加しながらこの問題と向かい合ってきたのだ。日本社会の中で自分たちの置かれた厳しい状況を痛いほど感じてきたのだろうと思うと切ないような、痛々しいような、そんな気持ちで胸がいっぱいになった。七年という歳月は重い。
無償化連絡会の代表・長谷川和夫さんは、「文科省が『教育勅語』の暗唱を黙認し、負の歴史を覆い隠そうとするする日本社会で、朝鮮高級学校の生徒たちが日本政府を相手に裁判を起こした。これは在日朝鮮人の教育権利を守るとともに、日本の民主主義を守り民主教育を守る闘いでもある」として、東京朝鮮第九初級学校の「阿佐ヶ谷朝鮮学校サランの会」の経験を通じて朝鮮学校の生徒たちには世論を変える力があると確信した、朝鮮学校のある地域の日本人との交流を育んでいくことが大切だ、今後も朝鮮学校の生徒たちを中心に据えて、この問題を自分たちの問題だと考える日本人の輪を広げていくと述べた。

アピールの合間にはプクとケンガリのリズムに合わせて参加者全員が「高校無償化 即時適用」「朝鮮学校 差別反対」を繰り返し叫んだ。
ニュースは朝鮮とアメリカの一触即発の緊迫した情勢を報じている。ただ情勢に目をやっているだけでは何も変わらない。自分に何ができるのだろうかと考え、とりあえず金曜行動に足を運んだ。(この項、金淑子)