神奈川で朝鮮学校交流ツアー | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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神奈川で朝鮮学校交流ツアー

【2月18日・土曜日】

 「かながわの朝鮮学校交流ツアー2017」で南武朝鮮初級学校へ。


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 受付が込み合っていた。県と市の教職員組合、朝鮮学園を支援する会など、一二の団体が実行委員会に名を連ねていたので、数十人規模と思っていたが、思いのほか参加者は多い。待機所の体育館に並べられた二〇〇余の椅子は大方埋まっていた。

 まずは授業参観だ。一、二、三年生は国語(朝鮮語)の授業だ。四年生は日本語で、五年生は英語、六年生が朝鮮史の授業。生徒数が最も多い五年生でも八人、少人数学校だ。

 案内書に「物語『アリとセミ』を通じて朝鮮文字『』」を習得」と、書かれた一年生の教室をのぞく。

 개미(アリ)매미(セミ)の時の「と」は「」だが、「」の時もある。先生は、연필(鉛筆)지우개(消しゴム)책상()걸상(椅子)実例を挙げて、「このときは?」を一人ひとりに聞く。指名された児童は、何度か繰り返すうちに、自らが正解の「」にたどり着く。

 「前の単語に『받침』がある時は『』ではなくに…」

 「それでは」と、今度は児童の名前を挙げて、「〇〇と〇〇のときは?」。自分の名前が呼ばれるたびに児童はうれしいのか、応える声も自然と大きくなっていた。

 すべてウリマルで受け答えする、そんな児童の姿をツアー参加者たちは「一年生がね」と、不思議そうな顔で見ていた。


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 高学年の教室が並ぶ、三階に行くと、教室に入り切れない参加者が、窓越にみていた。

 五年生、サマンサ先生の英語の時間だ。先生を囲むように並べられた机に座った児童が、一斉に手を挙げていた。

 指名された児童は、先生の隣に立ち、自分には見えないように答を書いたカードをひいて他の児童に示す。児童たちはジェスチェーでヒントを出してカードを引いた児童に答を伝える。手が大きく左右に伸び、指が…全員が腰を浮かせて、答えを伝えようと一生懸命だった。

 チョーク、時計などは分かりやすいが、地図や教室などはヒントを出す側も苦心していた。

 サマンサ先生の「トライ」、「シンキング」の声が廊下まで響いていた。参加者も笑いながら「トライ」していた。

 一階の幼稚班の教室に向かおうとすると、三年生の教室から笑い声が聞こえた。

案内書には、「衣服に関する会話文」と書かれていたが、黒板には何種類ものキムチの写真が貼られていた。

 交代で教科書を読んでいた。家での食事の風景だ。

 先生・「『教科書には、オモニ水をください』と書いてありますが、トンムたちは?」

 児童・「自分で汲みに行きます」

 先生・「そうですね…」

 そんなやり取りが楽しそうに行われていた。

 幼稚班は、年長、合同、保育の三つの組に分かれている。合同組では、音楽に合わせて出席をとっていた。「ナレトンムが休んだ」と三人の幼児が声を合わせて、先生に報告していた。当番に指名された幼児は、窓から空を見上げて、「今日は晴れです」と。しぐさが可愛い。ウリマルだからなおさらだ。


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 公開授業が終わると、体育館で開会セレモニー。「朝鮮学校交流ツアー実行委員長」の関田寛雄(青山学院大学名誉教授)が愚かしい予断と偏見にとらわれず、朝鮮学校を理解し、異文化共生の喜ばしい実態を広め、深めて行こうと、開会の辞を述べた。

 つづいて行われた、朝鮮大学校の李先生の「在日朝鮮人社会と朝鮮学校の成り立ち」をテーマにした、骨太の講演も好評だった。前に座った女性グループは、講演が終わった後も、「初めて聞く話が多かった」と、メモを照らし合わせて意見交換をしていた。なぜ、解放直後に帰らず日本に残ったのか? なぜ、朝鮮学校には共和国と朝鮮総連とのつながりがあるのか? 具体的な事例を挙げての話は新鮮だったようだ。

 昼食をはさんで、児童と園児の公演は、参加者を和ませてくれた。高学年の女子は、全員が舞踊部なのだろうか、上手だ。楽しんで踊っていることが伝わってきた。拍手が鳴りやまなかった。


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 …祖国から遠く離れた異国の地で…誇らしいウリハッキョ…朝鮮人としての気概、希望に満ちた…

 全校生による合唱も誇らしかった。参加してよかったとの思いが沸き上がった。

この日のプログラムは盛りだくさんだ。公演の後は、高学年児童と参加者の民俗遊び。朝鮮将棋とユンノリ(すごろく)には人だかりができていた。紐でたたいて回す、朝鮮コマにも何人もがチャレンジしていた。ノルティギ(シーソー)は、久しぶりに見た。立って飛ぶので、危なかしい。それでも二〇センチ位飛べるようになった人もいた。


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 最後は、六~七人、多いところでは一〇人前後が十数個のグループに分かれての懇談会。テーマは、「差別を乗り越える為に―今からできる事」。自己紹介を兼ねて感想を交えての率直な意見交換の場となった。五〇分はあまりにも短かった。


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 何人かがグループ討論の結果を発表した。

朝鮮学校の実像を知らなかった人が多かったようだ。想像すらつかなかったとも。そうした中でも、この日の催しを通じて、子どもたちが生き生きと自国の言葉と文化に誇りをもって学んでいた、アイデンティティを育む民族教育が大切である、地元に朝鮮学校があることは幸いなこと、様々なつながりを通じてこれからも互いの存在を尊重して、知り合うことがとても大事だということ、周りの人に伝えていく努力を怠ってはいけないと、述べていた。

 この日の朝鮮学校交流ツアーは、タイトル通り「出会う、学ぶ、ともにin南武」の場になったようだ。ツアーは、南武を皮切りに、県内のすべてのウリハッキョをめぐるという。県や市、教育委員会、国際交流団体などが後援する、このような催しが各地で行われ、それぞれの地元で朝鮮学校を知る第一歩になればと思う。

××

 帰りの電車の中で、ツアー参加者が感想を話していた。一人は教職についているようだ。

 「(懇談会のテーマ)差別を乗り越えるにはハードルが高かった。北朝鮮、朝鮮学校に対する偏見・差別もそうだが…」

 沖縄での警察官による「土人」発言や、福島からの避難児童に対する「ばい菌」発言などいじめの話が聞こえてきた。

 「『土人』にしても『ばい菌』にしても、身近に感じられない…感じさせない何かが…こうした状況が克服されない限り…」

「朝鮮学校に行って、社会にまん延する弱者いじめの風潮に気づかされた…」

「それにしても補助金のカットはむごすぎる」

 そんなことを耳にして、少し憂鬱になったが、スマホで撮った何枚かの写真の中の児童の笑顔に救われた。***


三月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』42号に掲載します。