Information 『朝鮮学校のある風景』27号の訂正 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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Information 『朝鮮学校のある風景』27号の訂正
 
 2014年9月25日に刊行した『朝鮮学校のある風景』27号に編集上の誤りがありました。訂正個所をお知らせし、筆者並びに読者の皆様にお詫びいたします。
 
<訂正個所>
○金美香さんの連載「ナンピョン(夫)はネパール人」⑧(116~118頁)
 筆者の変更を反映しないまま掲載し、大変ご迷惑をおかけしました。訂正後の文を掲載いたします。
 
○4頁の目次を次のように訂正いたします。
私の朝鮮学校物語 
 四国朝鮮初中級学校
   金明俊監督・岡山と四国のウリハッキョ訪問記㊦
 四日市朝鮮初中級学校
   連載3・二年目・女子だけの九人クラス  金 歓
   連載6・夏の日の思い出         黄恵美
   シリーズ・四日市ハッキョの歩みを辿る⑦ 申正春
 
 
ナンピョン()はネパール人⑨
金美香・西東京在住
 
ドイツ育ちの夫は「5時ピタ男」
 
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当時通ったドイツの学校の友だちと
 
「ゴォォォォォーール!!!!」
朝方四時、五時から何度聞こえただろう。二〇一四年FIFA W杯、彼の応援するあの国が晴れて一番輝くカップを手にした。そう、Germany(ドイツ)だ。
小さい時からスポーツはサッカーをしてきた主人は、今でも大のサッカー好き。最近では実際にプレーする機会は、たまにあるアボジたちのフットサルぐらいだが、観るのがまた大好きで、ヨーロッパのチャンピオンズリーグなどあれば、翌日仕事があろうと夜中だろうとお構いなく、リビングにあるお気に入りの赤いソファーに寝そべり大きなヘッドフォンを着けて試合を観戦する。
ご贔屓はもちろんドイツ!
ドイツを応援するのには、訳がある。
彼は一九八〇年にネパールで生まれ、父親の仕事の関係で一九九〇年から約五年間、ドイツの南西部にある「ツァイブルッケン」という街で過ごした。フランスの国境に近い街で、自然が多く人々の心がとても豊かなところだったと言う。
ネパールの水道も電気もない美しい田舎町に生まれた少年は、五つ年下の弟が生まれる前に家族で首都カトマンドゥへ移住し、その後十歳の時に「先進国ドイツ」へ行くことになる。それは彼の人生観に大きな影響を与えた。
ネパールでは、家ではネパール語、学校では英語での生活だった。ドイツへ行ってから、いきなり現地のドイツ人学校へ入ることになったのだが、語学に強い彼はドイツ語もすぐに覚え、持ち前の人懐こく明るい性格でむこうの友達と仲良くなるのにも時間はかからなかったと言う。
 
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サッカークラブのチームメイト、コーチと(前列右)
 
ドイツでは、念願であった地域のサッカークラブチームに入った。体格の良いドイツ人のチームメイトの中で一人アジア人の、大きな眼鏡をかけた少年(まだ痩せていた)は、一生懸命練習に励んだ。
しかし、厳格な父親の意向により、いったん練習に行かせてもらえない時期があったそうだ。それは、立派なグラウンドなどの設備、コーチなどの人材も含めた「サッカーをする環境」が整っていないネパールでは、サッカーなどスポーツをやっても将来食べて行けない、という考えが強かったから。オリンピックの入場行進を見れば、ネパールでのスポーツ普及率がいかに低いかは一目瞭然だ。
だから父は、サッカーより、勉強をしなさいと言った。しかし、彼が練習に来ないことを知ったコーチの熱心な説得によって、再びボールを蹴れるようになったのだった。生徒のトレーニングシューズを磨いてくれたり、時には生徒たちを自宅へ招いてご馳走してくれることもあったコーチ。彼の、生徒一人一人を大事にする愛に溢れた姿勢から、たくさんのことを学んだ。
彼が人生でもっとも影響を受けた恩師の一人だと言う。
学校が休みの週末には、チームメイトとバスに何時間も揺られ、他のクラブチームとの試合へも行った。コーチの家で初めて食べた「ボロネーゼ」の味は、今でも忘れないそうだ。
サッカーともうひとつ、ドイツでの生活で彼の人生観に最も大きな影響を与えたのが、「ライフスタイル」だ。
例えば学校は、朝七時から最初の授業が始まり、なんとお昼十二時ごろには授業が終わって家に帰るのだとか!学校だけでなく、大人も仕事を朝早く始めて、定時に帰る。基本労働時間が八時~午後四時で、金曜日にいたっては午前八時~午後三時だそうだ。そして残業する人はほとんどいない。オンとオフのメリハリがとてもはっきりしているのだ。
「仕事を終えたら早くマイホームに帰り家族との時間を楽しむ」=家庭に対するプライオリティが高い。
 
 
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友だちを自宅に招いて誕生日パーティー(写真中央)
 
これは主人のスタンスとも合致していて、基本的に残業はしない。だらだら仕事はせず、効率良くこなせば定時に切り上げられると考える人だ。現在日本企業に勤めているが、会社でも有名な唯一の「五時ピタ男」。周りの顔色を気にして行動することはしない。
話がそれたが、学校が一二時に終わるということは、まだ半日以上たっぷりあるわけで、サッカーがない日には学校から帰るとよく家の前の道路(車が来ない所)にネットを張って、テニスをしたりしたそうだ。先日ちょうどGoogle mapで当時住んでいた場所を見せてくれたのだが、今でも彼が住んでいた家やご近所さんの家、学校もクラブチームのグラウンドも当時のまま在るようで、そのテニスをして遊んだ道路の目の前に住んでいたおじいさんには、「うるさい」とたまに怒られたと言っていた。
ドイツは週休二日制で、日曜日はデパートやスーパーなどのお店が閉まるので、買い物は土曜日に済ませて、ホームパーティーをしたり家族や友人とピクニックをしたりしてゆっくり過ごすことが多いらしい。
ドイツ人の親友が四人ほどいたという主人。金曜日のお昼に学校が終わると、一度家に帰ってから、仲良しの友達ファミリーと自転車に乗ってよくキャンプに行ったそうだ。時には三時間ほど自転車を走らせたところにある大きな公園やキャンプ場へ。
食事はもちろん自分たちで火から熾して、そこでウインナーを焼き、美味しいパンにマッシュポテト、マカロニサラダの組み合わせで食べたのが定番スタイルだったそう。穏やかな星空でも見ながら友達とテントで眠った楽しいキャンプの思い出は、今でも胸に焼きついていると言う。
そんなわけで、「楽しかった記憶しかない」というドイツの思い出があって、サッカードイツ代表も、ドイツの街並みも、人々の暮らし方も、ウインナーもハムもビールも、二十年経った今でもこんなにも愛しているのだ。
人は思い出を積んで生きていく。
ドイツでのいろんな話を聞いていたら、私自身もドイツへの愛着が湧いたのと同時に、今はまた違う異国で一生懸命生きる彼の人生をもっと尊重して大事にしなきゃと思った。
彼が言っていた。 「ネパールからドイツへ行った時、生活水準の違いに特にびっくりはしなかった。ただ、その後ネパールへ帰ってから『あぁ、こんなに違ったんだ』と思った。人はその環境にいる時は、『これが当たり前』と思うが、実際にはその‘当たり前'は、国によって、環境によって、置かれた立場によって変わってくる。だから大事なのは、いま自分が見えてる世界がすべてではないと分かること。そのためにも、色んな環境で色んな経験をする方がいい」と。
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「子供たちが大きくなってそれぞれ独立させたら、ふたりでドイツに小さな家を買って住む」。それが主人の夢だ。
最近はちょっとケンカが多くてそんな未来の想像がつかないけれど、いつかそんな日が来たら、最近facebookで「再会」した彼の当時の親友と、ツェイブルッケンでピクニックやテントキャンプを楽しみたい。美味しいウインナーとビール、プレッツェルも持って行こう。
またひとつ増えた、そんな夢の日を楽しみに生きていくのも悪くないかもしれない。  
(2014年8月28)