【1月18日・土曜日】
すでに校庭には、3組の臼と杵が並べられていた。使い古してひびが入った臼は、第3のもの、昨年は、近隣の保育園から借りてきて2つの臼で餅をついたが、今年は3つ。足立区にある東京第4からも借りてきたと、臼と杵を洗い終えた金校長が言っていた。

笑い声に誘われて、1階奥の炊事場に行くと、調理台替わりのテーブルの上にはニンジンと大根の山だ。「アンニョンハシムカ」と、2度ほど行ってようやくふり向いてくれた。調理もそうだが、おしゃべりに夢中になっていたようだ。
「今日は6年生のオモニたちです」との言葉がようやく聞き取れた。

壁には、9時の「豚汁調理開始」から午後1時の「オモニたち食事」までのスケジュールが貼り出されていた。その下には、学年別に担当者が書かれていた。手のかかる1年生が5人、児童数が多い3年生は4人、他の学年は3人ずつだ。
大きな寸胴から湯気が上がっていた。匂いがしないので、まだ具は入っていないようだ。

いつものように、校舎をひと回りした。
高学年の教室が並ぶ3階の踊り場には「読書感想文」が貼り出されていた。冬休みの宿題だ。
4年生は「10分で読める伝記」と「大どろぼう…」、5年生は「劇場版イナズミスケブンGO究極の絆グリフォン」と「わらしべ長者」、6年生の2人が「ワンピース小説」で、もう一人が「名探偵コナン人類の謎」。日本語で書かれた本の感想を朝鮮語で書く、短い文書の中にも苦心の跡がうかがわれた。

1時限目の授業が終わり、教室から出てきた児童を追って屋上へ。ここではバスケットボール、運動場を見降ろすと、サッカーに興じていた。日蔭はひんやりするが、日向は寒さを感じない、ポカポカ陽気だ。

3階に降りてくると、運動場の反対側の校庭からも児童の歓声が聞こえた。低学年の児童が滑り台で遊んでいるのかと思い、窓からのぞくと一輪車だ。いままでなかった、鉄パイプを組みたてた練習場ができあがっていた。
もっと近くで見ようと、2階に降りて行くとすれちがう児童が、「アンニョンハシムニカ」だ。「あいさつは立ち止まってしなくちゃ」と、注意をする男子児童がいたりして、私も思わず立ち止まってあいさつを返した。
3年担任の全先生は、「金教務主任のハンドメイドです」と。そして「第9の児童、今でも乗っています?」と、聞いてきた。全先生の前任地の東京第9は、だいぶ前から一輪車で児童たちが遊んでいた。「乗れるようになるまでは、夢中なのに…乗れるようになると…」とも。女子児童が教務主任お手製の練習用の鉄パイプにしがみつくように、恐る恐る一輪車にチャレンジしていた。

2時限目の授業がはじまった。餅つきは3時限目からだ。
1年生の教室の前の廊下に、日朝の単語カードが貼り付けてあった。個々人が朝鮮語で分からない言葉を書きこんでいるようだ。
「たこあげ」、「きなこもち」、「くらし」、「ばら」、「とうめい」、「おもいつく」、「ばんそうこう」、「とびばこ」などの単語に混じって、「ボスかいじゅう」だとか、「ドラゴン」、「ゴースト」などとの単語も。「しゃぶしゃぶ]は、当てはまる言葉がなく、「豚肉をお湯でひたして食べる日本料理」と書かれていた。「どらやき」は、朝鮮語でそのまま「도라야키」と書いてあった。

隣の2年生の教室からは、九の位の九九を数える声が聞こえた。金先生のタンバリンの音に合わせて、グループでそらんじたり、一人ずつ交代でそらんじたりしていた。私が苦手だった九九算だ。湯船につかりながら、九九を書いたメモを片手に大きな声で繰り返したことが思い出された。 タンバリンの音が少しずつ早くなっていた。

その頃、校庭では餅つきの下準備がはじまっていた。1、2、3年の低学年用は、米粒がなくなるまでついておいて、児童が仕上げるようになっていた。
集まった先発組の4、5人のアボジたちは、いずれも餅つき初体験だ。金校長の説明どおりに動いていた。

毎年のことだが、ここに「経験者」が加わると、少し厄介なことになる。こうしたほうがいいとか、ああしたほうがいいとか、と言いだすと、作業が進まない。
蒸したもち米を臼の中でひっくり返すときは、「熱い、熱い」を連発したり、臼を叩いてしまって、餅に飛び散った杵の木くずをやはり「熱っちい、熱っちい」と言いながら取り出したりしながらも、初めての餅つきを楽しんでいるようだった。

つづく