【4月28日・日曜日】公開授業へ
一番賑やかなのは、やはり1年生の教室だ。
1時間目は、国語の時間。黄先生のウリマルに合わせて、頭、足、手、口などにふれていく。伴奏つきだ。
「パクス」と言うと、手をたたき、「アクス」と言うと、隣のトンムと握手する。「マウム」と言われ、両手で胸を抑えるしぐさは可愛かった。保護者に連れられてきた幼児も一生懸命真似ようとするのだが、ウリマルが理解できないので、どうしてもワンテンポ遅れてしまう。オモニたちも楽しそうに手拍子を打っていた。この日、ズボンからシャツがはみ出ていた男子児童が一人いた。
それが終わると、「どこにいくのですか?」とのウリマルでの問いに、会議室、炊事場、水飲み場などと、ウリマルで交代で答えていた。

2つ隣の3年生の教室では幼児が兄の姿を追っていた。声を合わせて教科書を読む兄が振り向いてくれないので、少し不満そうな素振りだ。

2年生の教室では、「ムオシルカヨ」と書かれた黒板の前で、児童が3人一組になって発表していた。 3年生の教室に戻ると、先生がゆっくりいう言葉を黒板に書いていた。「パダスギ」 だ。緊張した様子はない。

ビデオを持ったオモニが、兄弟、姉妹がいるのだろう、教室を行ったり来たりしながら、ドアから少し離れて、遠慮気味に授業の様子を収めていた。

低学年の教室が並んだ、 2階の踊り場に貼り出されていた、「愛そう、ウリハッキョ、守ろう」との文字の上の新入生の「笑顔」をアボジが見詰めていた。スマホを向けるオモニたちも少なくなかった。そこには、もちろん新年度にデビューした東京第3のキャラクターの「チェサミ」と「ミレ」も、新入生同様、可愛らしくデビューを果たしていた。

いつものことだが、児童の妹や弟、数年後の新入生候補もウリハッキョを楽しんでいた。床に寝そべって、ミニカーで遊びはじめる彼らの姿も、なぜ公開授業の「風景」にとけこんでいた。

5年生は歴史の授業だ。
黒板には「ウル チ ムンドク」の4文字が書かれていた。高句麗時代の武将だ。
許先生・「ウルチムンドク、では苗字は何でしょう?」
児童・「ウ?」朝鮮人の苗字は一文字が多いので…
許先生・「では、名前は?」
児童・「ウルチ」、「ウルチ」
許先生・「それではいつの時代の人でしょう?」
児童との言葉のキャッチ―ボールで授業が進んでいた。
*5年生の教室の写真入れる
1時限目が終わると、廊下は保護者と児童、それに幼児でごった返していた。
ウリハッキョの先輩後輩関係なのだろう、「オンニ」と「オッパ」の声が飛び交っていた。

6年生の教室の前に展示されていた粘土細工にも人だかりができていたるサッカーにバスケ、卓球、ボクシング、ラグビーの選手を模った、彩も豊かだ。舞踊手もいた、カメラマンもだ。ダントツに多かったのは、サッカー選手だったが、それもボレーシュート、オバーヘットシュート、ボレイシュートする姿などいろいろだ。オモニたちは決まって、写メしていた。自分の子どもの作品なんだろう、写真が撮りやすいよう、展示台の上で移動させるアボジが何人もいた。

個々の児童はみんなが子ども好きだ。兄弟が多いせいもあるのか、手慣れている。幼児の頬をつっついたり、小さな指をつかんだりしてあやす、児童の顔は笑顔ではちきれそうだった。なぜか、女子児童より、男子児童が幼児を追い回していた。

自分の子が描いた絵にカメラを向け、その絵を背景に写真に納まる保護者もいた。 携帯の待ち受け画面にするのだと、何度も撮りなおしていたオモニもいた。

デジカメを持った児童が教室の奥にまで入って、兄の写真を撮る姿も。児童たちの中からは、「戦場のカメラマンみたいだ」との声が聞こえた。

高学年の授業を参観するのは、もっぱらオモニの役割で、廊下で子守をしながら教室をのぞくアボジが多かった。

3年生の算数の時間、担任の全先生の笑い声が廊下まで漏れてきた。
九九算の予習をしているようだ。先生が出す問題に、立った二人のうちどちらが早く答えるかを争っていた。
4や5の段までは、スムーズだ。7段、8段になると…。「チルパル(シチハ)?」「オシンユク(56)」正解だ。
ある児童が早く答えようとするあまり何度も間違える。全先生は、慌てて答えようとするその児童の姿に笑いをこらえきれずにいた。「九九算」には、苦い思い出がある。答案用紙には書けるのだが、そらんじろと言われると、7の桁以上は必ず、つっかえた。7×7、7×8、7×9はいいのだが、7×6以下は必ずつっかえていた。7×3の場合、筆記試験の時は3×7と直して計算できるが、7×3、21とすぐに言えないのである。
もうひとつ言えることは、「九九算」をウリマルで言えるか、日本語で言うかで、朝鮮の初級学校出身か否かが分かる。

6年生が何やら理科の実験をしているというのに、教室に入り込んだ児童が行ったり来たりしていた。担任の夫先生も意に介さず、授業を進めていた。

1年生の教室に戻ると、2時間目は日本語の時間だ。いくつかのひらがなの書き順を練習したのち、児童と保護者が一緒に「へ」が付く言葉を9つ探す問題に挑んでいた。1時限目の国語の授業にはなかった筆記道具が机の上に出ていた。初めて習う朝鮮語は耳からの話し言葉からはじまり、すでに話せる日本語は文字から入っているのだ。
「へ」がつく言葉を9つ、携帯電話にお世話になっていたオモニも何人かいた。授業が終わる間際、飽きたのか、丸椅子を頭の上にあげている児童がいた。

授業の始まりと終わりには、2階の踊り場の軽食売り場には、保護者が群がっていた。朝食を食べてこなかったのか、おにぎりは早々と完売、コーヒーやパンの売れ行きも悪くはなかったようだ。何しろ公開授業に、教育会の総会、担任との面談、部活の打ち合わせもある、長丁場だ。

二時限の授業後の教育会の総会には、思いのほか多くの保護者が参加した。何人かは立ったままでの参加だった。前年度の収支決算と今年度の予算案の説明だ。児童数の減少があって、その穴埋めは、教員の手当のカットと授業料アップで賄うことになった。東京都の補助金がカットされて3年、学校の運営は苦しさを増しているようだ。そんな中で、多額とは言えないが、共和国からの援助費が予算に計上されていた。
そして、この何か月間くすぶり続けていた「学校の諸問題」についても、金校長が明確な立場を明らかにした。
移転することなく、この地で東京第3の伝統を守る、児童の安全な学校生活を保障するために、耐震工事をするか、校舎を新築するか、具体的論議をはじめるということだ。

下校の前に、3年生がプランタンに水を撒いていた。ホウセンカを植えたようだ。新学年になって植えたので雨宇、まだ芽も出ていなかった。

校庭では、アボジ会の集まりが催された。昨年7月に発足後の活動を振り返り、新年度もアボジたちの親睦と交流を図り、オモニ会の活動を積極的にバックアップするとのことだった。早速、新入生のアボジたちが自己紹介を行っていた。
耐震補強か、新校舎建設か、両案のメリットとデメリットなども話されていた。
校舎からは児童たちのざわめきが聞こえ、校庭と運動場を走り回る児童の歓声が飛び交っていた。教室では、先生とオモニたちが懇談する姿が、そんな「風景」に、2、3年後の校舎落成を思い描いて、学校をあとにした。
