3・31集会&パレードで出会った人々・上 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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【3月31日・日曜日】・31集会&パレードで出会った人々・上
 
チラシには「雨天決行」と書いてあったが、この日の天気予報は、午後から降り出し、夕方までしぐれる。午後1時集会はスタートし、パレードが出発するのが3時、最悪だ。
朝から降り出しそうだった。9時過ぎに最寄りの有楽町駅に着くと、すでに降り出していた。日比谷公会堂から、会場の野外音楽堂に回り込むと、「連絡会」の長谷川事務局長が小走りで裏門に向かっていた。いつものように大きなリュックを背負っている。
相合傘で裏門に向った。荷台から看板を降ろし、舞台づくりが始まろうとしていた。
舞台に貯まった水を掃き出す人、マイクを調節する人、看板を組みたてる人、舞台の上で忙しく動き回っていた。客席に降りると、ベンチはぬれ、通路には水たまりができていた。
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後方から写真を撮って、フェイスブックに「3・31会場です。小雨、ベンチはぬれています。めげてはいられません。元気が出る場になるとの希望大です」と書きこんでいると、女性が近付いてきて「いつもごくろうさまです。どこにいっても見かけますね」と、傘をさしかけてくれた。東京第3の一つ下の幼馴染の韓さんの妹だ。暫し歓談。フェイスブックの「友達」と言うこともあって話が弾んだ。
10時、「連絡会」と同胞、朝・日合同のスタッフミーティングが始まった。開場の手順、会場整理からパレード時の注意事項まで、てきぱきと連絡事項が告げられていく。雨はあがったが、気温は上がらない。なんとか、このままと思ったが、予報は変わらず、午後から降り出すとのことだ。
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入口まで長テーブルや椅子を運んだり、5千部のパンフレットやゼッケンを搬入したり、横断幕を広げてポールに通したり…舞台では東京朝高生の踊りと歌のリハーサルと、皆が慌ただしく動き回っていた。
一段落して、撮影許可の手続きをしに会場の入り口に行く。「連絡会」の顔なじみの面々が、日本人側の受付の準備を始めていた。長テーブルがないとか、ガムテープがないとか、パンフレットが届いていない、そんな声が飛び交っていた。
小さなデジカメに撮影許可の腕章は余りに不釣り合いなので、笑いが出た。
開場と同時に続々と人が入り始め、前列から埋まっていった。
東京第9の「サランの会」の申さんに呼び止められた。「冷えますね」というと、ホカロンをくれた。「よかったら、昼食も…」。孫が第9に通う、面倒見のいいハルオモニだ。隣に座っていた女性同盟の梁さんと、介護のことで言葉を交わす。「私なんて、車椅子生活になったら、一日目は夫が優しく押してくれるが、二日目は崖から突き落とされてしまう…」そんな冗談を、真顔で言うから面白い。
梁委員長が手作りの横断幕を広げていた。「江戸川支部」の大きな文字が目立った。
私・「桜は散ってしまいますが、フェスタの準備は?」
委員長・「花より焼肉…来てください。今日もたくさん来ます」
 20年ぶりの花見と言うより、分会対抗の綱引き大会、子どもたちの「宝探し」、ハルベ・ハンメと孫とのふれあい競技、大抽選会など、イベント盛りだくさんの「コリアンフェスタ」の準備状況が支部のブログ「マダン」で紹介されていた。
 ときおり、街宣車からのどなり声が聞こえたが、音が割れて、何を言っているのか分からない。
 豊島支部の委員長は、中央の2、3列を確保していた。すでに長野県本部の李委員長が座っていた。バス1台を貸し切り56人、半分は日本の労組、市民団体の関係者だと言っていた。
 会場のあちらこちらに「オモニ会・保護者」の場所取りの看板が、舞台向かって右手には、日本の労組や市民団体ののぼりが立ち始めた。横断幕もだ。
 会場の通路では、朝鮮新報の記者が打ち合わせをしていた。新入社員を合わせて8人、「総力取材です」と言いながら、「大先輩」だと、新入社員に紹介してくれた。1972年に入社して25年お世話になったのだから「大先輩」には違いない。そんなことを思いながら、「駆け出しは街宣車でが鳴りたてている輩にインタビューでしょ。なぜ、反対するのか…」と。すると先輩の記者は「確かに…」と笑って応じてくれた。背広に革靴、手提げカバンをもった「新米記者」は緊張しているようだった。
 各地から集まったオモニ会のメンバーが通路で円陣を組んでいた。「舞台に上がったら…かがんで文字を…」プログラムを見ると、朝鮮学校生徒父母からの発言がある。その打ち合わせのようだ。
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 黄先生、金先生、全先生、夫先生も来ていた。東京第3の先生だ。口をそろえて言っていたのが、「このまま降らなければ…」だった。全先生はメガネをしていなかったので、すぐに分からず挨拶をしそびれてしまった。
通路ですれちがった第9の鄭校長は、いつもの背広ではなく、ラフな格好だ。長身の第3の金校長も遠くから確認できた。
兄や姉の後を追って会場を行ったり来たりしたり、弟や妹の面倒を見たりしている児童がいた。「アンニョンハシムニカ」と言われて、慌てて挨拶を返した。しょっちゅう顔を出している、第3と第9の児童だ。幼いかれらも、今日の日をいつか思い出すことがあると思う。私もそうだ。小学校の頃、アボジに連れられてメーデーに行ったことを覚えている。日本の政党か、労働組合が主催した集会だったと思う。広場に人があふれかえっていた。青空の下、風船を追いかけていた。
一回りして戻ってくると、金先生が父親と話していた。金先生の父親とは東京朝高の同級生だ。「今日はツーショットで…」と、話しかけると、金先生は「アニムニダ」と言って、慌ててその場を離れようとするので、隣に立っていた黄先生が笑っていた。仲の良い父娘だ。
開場30分後、朝大生が舞台の上でテーマソングの練習を始めた頃には、席はほぼ埋まっていた。
「どれだけ叫べばいいのだろう…怒りが今また声となる…4・24の怒りがよみがえる」
歌声を聞きながら、彼らが座る席はあるのか、そんな心配をしていた。
舞台裏に行くと、壁には収容人員「3.119人」のパネルが貼られていた。すでに舞台からみると、座席はほほ埋まり、通路にも人があふれていた。
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再び入口に行くと、地元の赤羽分会の同胞と鉢合わせした。小学校からの同級生の安は夫婦で来ていた。
女性同盟の韓分会長・「アジュモニは?」
私・「来るとは行っていたが、体調が…」
韓分会長・「お×××」
いつもながら冗談がきつい。引っ越してきたときは、年下と思われたのか、呼び捨てだった。今では「イルトンム」だ。隣にいた朴さんが笑い転げていた。
会場に戻ると、何日か前の東京第3の大同窓会で会った後輩の李が壁にもたれかかっていた。「寝坊しちゃって…どうにか間に合いました」、居酒屋の店主だ。寝不足なのか、辛そうだ。
 
 12時、いよいよ「朝鮮学校はずしにNO!すべての子どもたちに学ぶ権利を!3・31全国集会」という、少し長いタイトルの催しが始まった。雨は上がったとはいえ、いつ降り出してもおかしくない雲行きだ。
実行委員会の長谷川代表が挨拶、「歴史的な日として記憶しよう。最後まで負けることなく戦い抜こう」との言葉が、場内に力強く響いていた。
ルポライターの鎌田慧さんは「朝鮮学校の『無償化』排除は明らかな民族差別」だと断言し、「在日朝鮮人と日本人が共に手をつなぎ、明るい未来を」とアピールしていた。千葉大の三宅晶子教授は、3つの観点からみる必要があると、何よりも子どもたちの教育を受ける権利を政治外交上の理由や、国民感情を理由に差別してはならないとして、歴史認識の問題などにも言及していた。
そしてデヴィ・スカルノ夫人が登壇した。場内がざわめいた。隣に座っていた高齢の女性は「あら、髪の色が違う、へアースタイルも…」と言って携帯を構えていた。「政治的理由で教育権を剥奪し、何の罪のない子どもたちを傷つけるなど、国家がすることではない…」。デヴィ夫人も怒っていた。「安部政権は間違っている」「恥ずべき行為だ」という言葉には「そうだ」との言葉が飛び、拍手が沸いた。発言時間をオーバーしているのか、「後○分」と書いたカンぺが舞台の下でちらついていた。
テレビで見る「有名人」に緊張したのか、司会者は「デヴィさん」と言って、「デヴィ夫人」と言い換えてた。
朝鮮学校を支援する南の市民団体「モンダンヨンピル」の金明俊執行委員長が舞台に上がると、韓国の市民団体からの連帯の横断幕が広げられた。「子どもたちは人類社会の未来です」「平等な教育の権利を保障せよ」、「日本政府は朝鮮学校に対する差別を速やかに中断し…」、「日本政府の朝鮮人と朝鮮学校差別弾圧を…」。
色どり鮮やかな8枚の横断幕は、韓国内でウリハッキョへの関心の高さを物語るものだ。大きな歓声が湧いた。3月29日にソウルで発表された、高校無償化制度の適用を促す市民団体の連帯声明も紹介された。ソウル発の「統一ニュース」が「各分野の500の団体が連帯声明を発表することは異例」と報じた、その声明だ。
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発言は続いた。中でも日本各地の10の朝高を代表して神奈川朝高の生徒が読み上げた「私たちの権利を訴え続けていく」との決意は、心に響いた。
場内整理を兼ねているので、会場で座っていることはできなかった。
会場の後方の通路で、「朝鮮新報」の記者が「最近は高い所に上るのが怖い」と言いながらも、2メートルはあろう脚立に上って舞台にカメラを向けていた。
会場を見まわすと、折り鶴を棒に付けた集団がいた。拍手とともに、ときおりその棒を振っていた。集会中は、横断幕やプラカードを掲げないよう、何度かアナウンスされていたので、余計目立った。
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オモニ会のメンバーが、「未来を担う子どもに平等の…」と書かれた10数枚のパネルを持って舞台いっぱいに広がっていた。集会が始まる前、通路で「腰をかがめて…」と、練習していたのはこのためだった。(つづく)