【10月16日・火曜日】社会見学で「学友書房」へ。
高学年の社会見学に同行するために、いつもの東京チェーサムへ。
高学年の教室が並ぶ3階―4年と5年は授業中、奥の6年の教室に人影はない。すでにボランティアセンターに行ったとのことだ。
廊下で5年担任の許先生とすれちがう。
私・「5年生は?」
許先生・「週末、防災館です」
学友書房に見学に行く、4年生の出発まで、時間があったので、低学年の教室をのぞく。
3年生、黒板には「サーカスのライオン」と書かれていた。日本語だ。
1年生と2年生はクゴ(国語=朝鮮語)だ。
1年生の教室から「ホリ」、「ヒョ」、「ホジュモニ」、「ハヌル」、「ホガッ」の大きな声が聞こえた。
黒板には、「하 햐 허 혀 호 효 후 휴 흐 히」の文字が書かれていた。
「ㅎ」で始まる単語の学習のようだ。
児童たちは、黄先生が示す「腰」、「舌」、「ポケット」、「空」、「笛」の絵を見ながら発音し、その後、指を高く掲げ、その文字をなぞっていた。
「ホリのホは、ホ・サムス先生のホです」とか、「ホガッのホは、プ・スホ先生のホです」と、身近な5年と6年の担任の名前をあげての説明に、児童たちは時折、笑いながら応じていた。
先生・「ホガッを吹くのは?」
児童・「体育の時間です」
先生・「体育はだれが教えますか?」
児童・「プ・スホ先生です」
先生・「ホガッのホとプ・スホ先生のホの字は同じです」
黄先生と児童たちの、そんな言葉のキャッチボールが続いていた。
「それでは制服にホジュモニはいくつありますか?」との問いに、児童たちは「4つです」と。中には「6つ」と答える児童がいたが、「それはズボンも合わせてでしょう」と、黄先生。児童とのやり取りはすべてウリマルで行われていた。

1時間目の授業は終わると、児童たちは教室からはじけ出るように出てきた。大半は運動場へ一直線だ。
校庭のすべり台の下の砂場で、水で浸した砂を丸めて遊んでいた児童は遠足に一緒に行った3年生だ。
カメラを構えると、笑顔でポーズをとってくれた。
この日は気温が高かったせいか、ジャケットを脱いで、半そでのシャツの児童が多かった。

金校長が2人の男子児童をつかまえて、上履きを忘れた理由を訊ねていた。
2日連続のようだ。2人とも金校長の顔を見ながら、「準備はしたのですが…」。しっかりしたウリマルで、経緯を述べていた。5年生だ。

「学友書房」に向かう4年生は校門の前に整列。女子児童が行ったり来たりしながら列をそろえていた。
「机の整理ができていない」と教室に呼び戻されたり、「バス代を忘れた」と教室に引き返したり、それでも、どうにか時間通りに出発した。

「お前ナルシストだろ」、「違う」、「やっぱり…」、「違うってば…」
意味を知ってか知らずか、後列3人の児童は歩きながら、「ナルシスト」という言葉を連発していた。

バスを待っていると、向かい側の道路を自転車の前に子どもを乗せたオモニが「スゴハシンニダ」の声を残して走り去って行った。

車中、児童たちは年配者が乗ってくると、席を譲っていた。
途中、乗って来た3人の中国人のトーンの高い話声と、日本の中年女性のヒソヒソ話、それに児童のおしゃべりが入り混じって、車内は奇妙な「国際的調和」?を醸し出していた。
通学コースだという、「学友書房」の近所に住む男子児童の道案内で、バスの乗り継ぎもスムーズに行ってか、予定時間よりやや早く到着した。

まずは、「学友書房」の歩みについて学習。ウリハッキョの教科書と教育図書、児童・生徒を対象にした定期刊行物を編纂・出版して63年、社屋は3回移転して…。メモを取る児童、字はけっしてきれいだとは言えないが、一生懸命さがよかった。

編纂局では、教科書と「コッポンオリ」や「ヘバラギ」などの執筆・編集・レイアウトの過程の説明を。
教科書の編纂や雑誌の取材・執筆・編集工程を丁寧に話すイルクン、パソコンの前に児童を座らせて操作を指導するイルクン、皆が仕事に誇りを持っていることが表情ににじんでいた。仕事の手を休めて、声をかけてくるイルクンたちの表情も明るかった。

児童たちも物おじすることもなく応じていた。○○は嫌いで、算数が好きな児童が多いようだ。英語の担当者に質問していた男子児童が一人いた。そんな児童の姿に雑誌記者がカメラを向けていた。
「担任の先生は?」。先生の名前を訊ねられたのに、「ムソッスムニダ(怖いです)」と声をそろえて答える児童。編纂局のイルクンから笑いが漏れる一幕もあった。

つづいて、出版経営局へ。パソコンでの巧みなレイアウト作業には、みなが強い関心を示していた。
学生雑誌部でもそうだったが、出版部でも、児童たちはパソコンに群がっていた。夢中だ。そんな児童の明るい表情に、金先生はシャッターを切り続けていた。

学友書房の前身の「ウリトンム社」から現在に至る教科書と教育図書の「保管所」にも。
普段は入れない場所のようだ。そこで働く雑誌記者も扉が開くのを初めて見たと話していた。
昔も今も、ウリの教科書あってのウリハッキョだ。ウリナラのでも、韓国のでも、ましてや日本の学校の教科書では在日の教育は成り立たないからだ。
茶色に変色した解放直後の手書き(ガリ版・謄写版刷り)の教科書を見ながら、そんな民族教育の歩み、その「重み」をひしひしと感じた。

そして印刷機と製本機が置かれた1階へ。
女子児童・「機械を動かすのは難しいですか?」
男子イルクン・「そりゃ、○○年は…」
彼はパソコンの不具合で、児童に印刷機を動かすところを見せられなかったのをしきりに残念がっていた。
それでも、紙の束が製本される様子に、盛んに凄いを連発していた児童を見て、表情を和らげた。

最後に発送所へ。発送伝票に押されるたくさんのゴム印の中から、東京第3のそれを発見した男子児童は、得意そうに皆を呼び寄せて指さしていた。

山積みになった教科書、参考書をバックに記念写真に収まり、1時間余りの見学は終わった。
申副社長は、「感想を送ってください」と言っていたが、「ヘバラギ」の愛読者の児童たちは、そこに載るのか、気にかけていた。

児童とはここで別れた。バスを待つ児童を見ながら、大人の話すウリマルをしっかり理解し、メモを取る児童がとても頼もしく思えた。学校とは違って、この日も少し早口の人、発音の怪しげな人、言葉を省略する人もいた。4年の児童がその話を正確に聞き取り、返事を返していたのだ。ik

もう少し書き加えます。