東京・第10回ヘバラギCUPへ | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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【8月2日~4日】東京朝高での第10回ヘバラギCUPへ。
 
初日、会場の東京朝高の体育館(朝鮮文化会館)に着くと、すでに第一試合は終わっていた。
体育館を出て来た東京第9の鄭校長に出くわした。
「勝ちました。千葉にです」、鄭校長は「千葉に」を何度も強調していた。千葉と言えば、5月の新人戦で準優勝、優勝した埼玉と並ぶ強豪チームだ。汗だくながら満面に笑み、よほど嬉しかったようだ。
東京第3Aも群馬に勝ち、幸先のようスタートを切ったが…。
×     × 
◎第3の女子-厚かった第4の壁
6年生主力のAは、群馬に44-13、第4に6-48
東京第4とは練習試合でも勝てなかったが、まさか大敗するとは思っていなかったようだ。
4、5年生によるBは、東京第1、川崎と対戦したが、力及ばず、AB共に残念な結果に終わった。
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2日目・試合終了後、1階の階段のわきで、許先生を囲んで選手たちは座っていた。「反省会」? 
悔しさにうつむき加減だった児童たちも、諭すように語る先生の話にうなずく回数が増すにつれ、元気を取り戻していくようだった。
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 最終日・閉会式が終わると、児童たちは売店の後片付けをするオモニたちの前に並び、大きな声で「コマッスムニダ」と言い、頭を下げていた。オモニたちからは「チャルヘツタ」との激励の言葉が飛んだ。
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◎オモニにたちは応援・売店に大活躍
三日間の大会開催中、第4のオモニたちの濃いブルーの応援シャツと共に、目立っていたのが、東京第3のオモニたちのお揃いのピンクのTシャツだ。
応援席でも、
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売店でも鮮やかなピンクのTシャツを着たオモニたちははつらつと動き回っていた。
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ブルーの色違いのTシャツを着た自称「応援団長」の高さんもはりきって、選手に声援を送り続けていたが…。
連日、応援に駆け付けていた「愛校会」の会長とはいいコンビだ。
団長はアクシデント?で右手を負傷し、病院通いの日々だ。
団長・「9日からの堺でのチビッ子サッカー大会に行くだろ…」
会長・「………」
団長・「私にかわってブログも書いて…」
会長・「仕事り調節が…それはなんとも…」
団長・「決まりだな」
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ロビーで売店を出していたのは、協賛団体になった日本のユニフォーム業者と東京第3のオモニたちだけ。体育館に応援に行ったり、ロビーで冷えたドリンクを売ったり大忙しだ。
コーヒーを床にぶちまけるハプニングもあったが…。
外は連日の真夏日、体育館内のうだるような暑さに、最終日は疲れが重なったのか気絶寸前、椅子に座って爆睡していたオモニもいた。
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後片付けも一仕事だ。児童たちは長いテーブルをスクールバスに運び込むのを手伝っていた。
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大会終了後、東京第3の主将と副主将の二人へのインタビューを任された。
6年生のふたりは、基礎練習不足を悔やみ、後輩たちに「ぜひとも東京チェーサムのバスケ部が全国一になるよう」、優勝の夢を託していた。
ビデオを回す、主将のアボジとオモニの顔はほころんでいた。
アボジはブルーの応援Tシャツを一人着ていた「応援団長」、オモニは試合場とロビーの売店を忙しく行き来していたオモニ会の会長だ。
中学に進学してもバスケを続けるとの話に、来年、試合の合間にモップでコートを拭く東京中高のバスケ部の清々しい姿が思い浮かんだ。
 
◎被災地の学校の「15」番が「優秀選手」に
被災地・東北からは、朴トンムが4校の合同チームの一員として出場した。6つの男子チームの中で、唯一の「合同チーム」だ。
夏休みに入って何日間、東京第4の主将の家にホームステイしながら第5、第9の児童と合同練習、決勝まで勝ち進んだ。
初日、試合会場では、仙台から駆けつけた朴トンムのオモニがロビーで、合同チームの他のオモニたちと長らく立ち話をしていた。親戚でもウリハッキョの同級生でもないというのに、とても親しげだ。「新報」の記者のインタビューを楽しそうに受ける姿も見受けられた。
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最終日には尹校長も試合会場へ駆けつけていた。
決勝戦終了後、女子の埼玉と東京第4の決勝戦を2階のスタンドで観戦しながら、男子決勝戦の相手チームの西東京第2の李校長に「西東京第2はやっぱり強い」と。李校長は「そんなこと…」と言いながらも、優勝の喜びを隠しきれないでいた。
表彰式が始まると、尹校長は少し距離を置いて朴トンムにカメラを向けていた。
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しかし、「優秀選手」と発表されると、舞台の前まで接近して、何度もシャッターを押していた。携帯電話で誰かに報告もしていた。
朴トンムと息のあったプレーを見せ、観衆をわかしていた第5の10番の黄トンムも同じく「優秀選手」に選ばれた。互いによき「相棒」に出会えたようだ。
 
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今回の第10回大会には、男子6チーム、女子16チーム(内1チームは各校控え選手による混合チーム)282人の選手が参加した。
前回優勝した北九州の不参加が寂しかった。昨年も参加が危ぶまれていたが、転校生が入ってきて、昨年は控え選手なしの5人で出場していた。表彰式で「優秀選手」として表彰された7人のうち、3人が北九州の児童だったが、5年生にバスケの部員はいないと、言っていたことが思い出された。(隔月版ブックレット『朝鮮学校のある風景』9号参照)
東京第3のオモニが北海道の応援Tシャツを着て姪を応援していた。その北海道のバスケ部は、今年で廃部になるのではとの話も。
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初日、応援Tシャツを着て開会式をじっと見守る女性…来年もこの応援Tシャツに是非ともおめにかかりたい。
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各地のウリハッキョでの児童の減少、それによって、来年からも、何校かによる「合同チーム」の参加が増えそうだ。
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堺市でのチビッ子サッカー大会と共に、各地の朝鮮の初級学校に通う児童にとって、夏の2大スポーツ大会としての東京でのバスケット大会が「明るい未来につながる意義深い大会」(開会辞)として、引き継がれるためには、学校と学父母、地域同胞のより強い後押し、奮起が求められているようだ。ik
 
後ほど、書き加えます。