昼食時間。アボジたちは売店の隣のテントに集まっていた。夏のサッカーとバスケットボール大会に参加する児童を財政的にバックアップするための「部活応援焼肉会」の打ち合わせだ。

2年生の孫の応援に来た朝大時代の同級生のテントへ。すでに赤ら顔で、孫は息子に似てか、かけっこが早く、リレーの選手に選ばれた、来年は二男が入学すると、立て続けに孫の話だ。奥さんは飲みすぎを心配していたが、すでにアクセル全開だ。

朝高も昼食時間なのか、チマチョゴリを着た女子生徒が運動場を行き来していた。チェーサムの卒業生たちだ。例年のように日曜日ではなく、土曜日なので、卒業生の競技を行わなくなったようだが、それが寂しいと話していた。
5年生に姪がいる私のチェーサム時代の同級生も卒業生の競技に、「最高齢」として出場できないことを残念がっていた。スキンヘッドにサングラスの巨漢の息子たちもだ。
私・「女親分が率いるおっかない一家が出るというので、取りやめになったのでは…」
同級生の女性・「うそでしょ…」
テントの中は大爆笑だ。巨漢の息子の一人は南武のウリハッキョから転任してきた許先生とチェーサムの同級生だ。
私・「許先生は二十になって成長したという話ですが?」
息子・「いや、かれはチェーサムの時から大きかった。一七〇はあったのでは…」
許先生は、二十歳になって成長したのではなく、二十歳になっても成長が止まらなかったようだ。

食事を早めに切り上げた児童たちは、運動場を走り回っていた。
午後の最初の競技用の綱引きの綱が運動場に延びると、児童たちはその上に乗って歩いたり、追いかけっこをしたりして遊んでいた。

全校生の競技の後、恒例の男女別の綱引きだ。
飛び入り参加した、卒業生が金校長と何やら親しげに話していた。
授業が終わって、通学・下校時のブレザーに着替えたようだ。

今年も一勝一敗の後、オモニたちは「無理しないで」と余裕だ。男性軍の間では、「家庭内の不和の種にならないよう」にとの声が飛んでいたものの、今年こそは勝つつもりでいるようだ。三戦目はあっけなくオモニ・女性軍に軍配が上がった。
腰を低く降ろして引きずられないようにしたつもりだが、スタートの合図とともに一瞬にして、体が宙に浮いていた。「これで丸く収まる」という言葉は、正直負け惜しみのようだった。

大縄跳び。勝負は110対37で、紅組が青組を圧倒した。学年別、紅・青で12組、150回近く大縄を回した6年担任の夫先生と5年担任の許先生、最後の6年生の時はふらついていたようだ。開始前の練習を合わせると、この日、二人の先生は数百回回したはずだ。

巨漢の許先生は息を切らしていた。日に焼けたのか、力んでいるのか顔は真っ赤だ。軽量の夫先生は綱を回すたびに軸足の右足が浮いていた。笑顔もこわばっていた。

全校生による集団体操「羽ばたけ未来に!」。運動場いっぱいに児童が広がり、元気に演じていた。どこのウリハッキョもそうだが、東京チェーサムを取り巻く環境もけって良いとは言えない。4月に入って、学父母会、学区別に催されている意見聴取会でも、様々な意見が噴出している。いずれにせよ、全校生が100人を超える学校ならではのこの素敵なパフォーマンスを守り続けたいと、思ったはずだ。

朝大の同級生の夫婦は立ちあがって、5つの学区対抗のリレーに出場する息子と、紅青対抗リレーに出る2年生の孫に声援を送っていた。アンカーを務めた息子はトップでテープを切り、孫はリードを守ってバトンを渡していた。満足げだった。

紅組379点、青組307点で、優秀旗は紅組へ。
教育会の安会長が閉会辞で述べたように一言で、「皆が一生懸命、力を出し合ったとても素敵な運動会」だった。
熱っぽい児童を負ぶって学父母の元に急ぐ先生、すすんで後片付けをする児童、卒業生は早朝、テントの設営も手伝ったようだ。


運んできた機材を校長と一緒にレンタカーに積み込んでいたのは今年度、第6に転任していった成先生だ。

そんな中、被災地の茨城のウリハッキョにピアノを送るカンパが目標額に達したと感謝の場内放送が流れた。
帰国する韓国人が使っていたピアノを被災地のウリハッキョに贈ることになったのだが、オモニ会がその運送費のカンパを運動会の参加者に呼び掛けていたのだ。「同級生が母校の先生になったことは嬉しい」と何度も語っていた許先生のスキンヘッドの同級生は、誰よりも多くのカンパに応じていた。
家族総出の運動会-その一日、あんなことこんなこともウリハッキョならではのほのぼのした、心和む「風景」の連続だった。
