誕生2週間の京都朝鮮初級学校へ・下 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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4時間目が終わり、昼食の時間です。
何人かの児童が注文弁当を取りに来ていました。唐揚げ弁当でした。
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2階では、1年生の目は廊下の隅に釘付けです。飛べなくなった大きなハチが跳ねていました。
図工の先生は、「近寄らないように」と言いながら、紙を丸めて退治していました。
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2年生の教室では、机の上に幾つかの弁当が載っていました。
黒板には朝鮮語で「第一課 2年生」の下に、先ほど廊下に漏れ聞こえてきた「~답게(~らしく)」の文字が書かれていました。その下に兄らしく、姉、先生、オンマ、自分、大人、学生との文字が。やはり国語の時間でした。
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5年生の教室では、昼食を食べ始めていました。机がぎっしり埋まって、すこし窮屈そうです。担任の先生が何か児童に話しかけていました。女性の先生です。
黒板には、「1、種の発芽」「2、種の構造 トウモロコシの種の構造」の文字が消されずに残っていました。廊下や炊事場を回りながら、授業を進めていたのは男性の先生でした。かれは理科担当の他の学年の担任だったようです。
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園児と低学年児童の下校時間です。カバンをバスに乗せると、児童は運動場や校舎の裏の遊戯場に向かって走っていきます。遊び足りないようです。
そんな児童の姿を左京支部の委員長が心配そうに見守っていました。朝大の2年先輩でした。
「衛星打ち上げ」報道と関連し、神奈川の朝中生が暴行をされたというので、この何日間、登下校を見守ったと言っていました。嫁が幼稚班の先生を、2人の孫も通っているとのことです。
バスが桜の花の下をぬうようにして、次々と出て行きます。京都市内だけではなく、宇治市から通う児童もいます。校長先生も乗り込んでいました。他の先生も通学バスに乗っています。交替だとは言え、朝は7時前に学校を出発しなければなりません。
3月まで、京都第3初級学校は、幼稚班の園児を入れても50人前後のこじんまりとした学校でした。それが4月に京都第1初級学校の園児と児童を迎えれ、「京都朝鮮初級学校」としてスタート、園児、児童数も3倍に増え、通学範囲も一挙に広がりました。
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しばらくすると、今度は高学年の下校です。最初にホームルームを終えた4年生が靴に履き替えると、入り口にランドセルを投げだすようにして運動場に散っていきます。バスが出るまでの短い時間を惜しむように、男子児童はボールを蹴り出し、女子児童は一輪車や、ホッピング、スクーターに興じていました。そこに5年生が合流します。
「4年生とサッカーの試合だ」、「それって、弱い者いじめにならない」そんな言葉が行きかっていました。
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 最後に教室から降りてきた6年生の男子児童が、運動場に向かって叫びます。
「お~い、下級生、ちゃんと並べなくちゃダメじゃないか!!
なるほど、ランドセルが山をなしていました。
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高学年は最寄駅までバスで向かいます。何人かの児童はチョチョン(青年同盟)専従のボンゴに乗りこんでいました。迎えに来るアボジ、オモニたちも少なくありませんでした。
左京から来たと言うオモニは「急にクラスメートが増えて…楽しいようですよ」と、一言。
先生も話していました。、第三のいたずらっ子が第1の児童の数に圧倒され、おとなしくなってしまったとか、運動場がなかった第一の児童は時間があるとやたら運動場を走り回っているとか、遠距離通学に戸惑っているとか…、でも児童たちは少しづつ順応しいるようです。
方面別に書かれた児童の名簿を片手に、少年団の指導教員は、下校の指導に大わらわでした。そんな男子教員を女子児童が取り囲んでいました。
「ソンセンニム、結婚しているのですか?」
「まだ」という返事に、女子児童は一斉に「えぇ~つ」との声です。第1から来た児童のようです。
先生・「そのえぇ~つって言うのは何?」
女子児童・「もう、いい年でしょ」
もう一人の女子児童・「かわいそう」
先生・「それって…」
先生も初めての経験のようで、女子児童の集中攻撃にたじたじです。
5年担任の女性の先生は、何人かの児童を連れて校門を出て行きました。
近所の市内バスでの下校組のようです。
迎えに来た第1卒業生のアボジに「学校がなくなって寂しいのでは」と、声をかけると、「いや、京都の同胞社会でウリハッキョを守るためのベストの選択です。子どもが通う学校を母校に思うようにします」との返事が戻ってきました。
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1969年に竣工した校舎も補修が必要です。引っ越して間もないので、廊下には段ボールが積まれ、職員室や教室も片付かず雑然としていました。
校長先生や副校長先生が言うように、「やるべきことが山積」のようです。児童の指導や授業方法も微妙に異なるようです。オモニ会とアボジ会の会則や活動の調整もこれからです。校歌はどうなるのでしょう?
それでも「すべてがこれから、何事も児童のことを中心にすえて考えれば、自ずと最善の道が開けるはず」と、先生たちの表情は自信に満ちていました。
運動場を抱きかかえるように桜の花が満開に咲きほころんでいました。
校長が言うには、イチョウの葉が色づく秋口の景色もまた見逃せないとのことです。
階段の壁に貼られた、昨年度の少年団が作ったという大きなポスターの一節が思い浮かびました。そこには「8+5+8は21ではなく、もっと大きなひとつ!」と書かれていました。21とは当時の高学年児童で組織された少年団員の数です。
運動場に落ちるギンナンを児童が争って拾う、その頃には京都第1と京都第3が合わさった「京都朝鮮初級学校」もまた、きっと「もっと大きなひとつ」の学校になっているでしょう。IK
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