【3月3日・土曜日】20歳になった57期生の謝恩会へ。
会場は、母校の東京チェーサムの臨時講堂です。成人を迎えた卒業生が母校で、当時の恩師と学父母を招き「謝恩会」を催すことは、慣例化していました。しかし、昨年は<3・11大震災>でやむなく中止せざるをえませんでした。
4時半のスタートを前に、ビール箱を並べて作った舞台で、合唱の練習です。
先ほどまで、炊事場でおにぎりをむすんでいた、女子も合流、何人かの到着が遅れているようで、やきもきしていました。

校舎の一階の階段横の壁に貼り出された57期生の写真です。この日は、卒業生19人中16人が参加するとのことでした。

招かれた先生と父母たちは、会場の隣の理工室で、久しぶりの再会を楽しんでいました。
あちこちで「ソンセンニム」、「○○のオモニでしょ」などとの声です。
いよいよ入場です。8年前の卒業式のときは児童たちでしたが、この日は先生とアボジ、オモニたちがクラッカーの音と共に、拍手で迎えられます。迎える卒業生は皆がいい笑顔をしていました。アボジとオモニは、恥ずかしそうに早足で席に着いていました。

まずは、「愛校会」からのビールの差し入れが発表され、参加できなかったコ先生からのメッセージの朗読です。
成人を迎えた卒業生と学父母へのお祝いの言葉と共に、人生には様々なことがあるが、自らが歩んできた道を背を向けず、それを信じて歩むことを促すとともに、常に「ウリトンム」、「ウリハッキョ」、「ウリミンジョク」を信じ、愛し、守ることに情熱を傾けるよう、との内容です。大きな拍手が送られました。

金校長は、今年の卒業生が成人を祝って書いたポスターを紹介し、この児童たちも8年後、母校で成人謝恩会を開くことができるよう、ウリハッキョを守って行くとの決意を述べました。

当時のコ校長が新しい出発を祝うと共に、たとえ進む道が違っても、母校と同胞社会の温もりを忘れずに生きようと、乾杯の音頭をとりました。
しばしの歓談です。卒業生たちは、昨年から美術の講師として復職したチャン先生が、、一人ひとりに手渡すカードを嬉しそうに読んでいました。

中には、小学生当時の写真付きのカードもありました。
…今日の幸せは、チェーサムをはじめとする同胞の愛がもたらせたものです。これからはトンムたちが捧げる番です…

横浜や東京チェーイルの校長に赴任した先生、朝鮮大学で教鞭をとる先生、学区の女性同盟の委員長職に就いた先生、教職から離れた先生、懐かしい顔ぶれが勢ぞろいです。

恒例の親がすこし困ってしまう、ゲーム大会です。
まずは、段ボールに開けた穴から目だけを見ての息子・娘当てです。

立て続けに「当たり」です。当てた父母たちはホットしていましたが、いまいち場が盛り上がりません。

それで、つぎは指です。「当たったら、強くハグしてもいいですか」言っていた、アボジもオモニも外していました。
「こんなに太くなすはず」だといっていた、その指でした。会場は大笑いです。
会場は一気に盛り上がり、卒業生はホットしていました。

次は、「どのくらい互いを知っているか?」です。
指名された学父母と卒業生が出てきて、サイコロをふって出た番号の問題に答えるゲームです。
オモニは息子と、アボジは娘とです。
2の身長や足のサイズ、3の好きな歌手、4の父母の誕生日、5の結婚記念日や干支、6の父母の年は、盛り上がりに欠きます。何より1の今まで交際した数に注目です。場を盛り上げようと、サイコロが止まる前に1の目をさし出す卒業生がいたりもしました。

オモニたちの答えはこぞって多めでした。オモニは10人、それに対して息子が0との回答に、オモニは「さびしい」を連発していました。
会場のオモニからは、「今つき合っているトンムはいるの?」、「結婚するつもりはあるの?」などと想定外の質問攻勢も、なかには、「うちの娘をよろしく」などというオモニもいたりして、大盛り上がりでした。
1の目がでると、アボジは「答えちゃダメ」。ゲーム進行中も「1の問題、娘はダメでしょう」を訴え続けていたアボジです。
会場からの「それではアボジは」との質問なに、そのアボジは嘘か本当か困り顔で応えていました。

全員壇上に立ち、何曲かうたい始めると、オモニたちは一斉にカメラを向けます。

アボジもです。

そして、韓国に留学している男子が父母への手紙を朗読しました。
…一人暮らしを始めて、日々の食事の支度、掃除に洗濯がどんなに大変か、オモニのありがたみがようやく分かりました。…
しょつちゅう口答えをしてしまいましたが、今では人望のあるアボジのような人になることが目標です。…
アボジ、オモニ本当にありがとうございます。
手紙を私に来た息子をオモニは思わず抱きしめていました。

卒業生が父母に手紙を渡しに行きます。涙が止まらないオモニが続出です。

アボジ達も、その場で広げて読み始めていました。
「見えない、メガネは…」と、ポケットからメガネをとりだしたものの、涙、涙で、読み進むことができません。

母校には、リクエスト通り、シュレッター をプレゼントしました。

つづいて、先生宛てた手紙の朗読です。いかにも、小学生の時は「困らせた子」であっただろう卒業生が読み始めます。
「6年間を振り返ると余りに多くのことがありました」と、昼食の時間、忘れ物をした時、サッカーの試合でのPK戦、先生の잔소리(言)とダジャレなどの思い出にふれた後の一言は、先生、学父母の胸にをうちました。
中学や高校、大学は本人に選択の余地がありますが、小学校は違います。東京チェーサムに入れてくれたアボジ、オモニありがとう、そして私たちを立派な朝鮮人に育ててくれた先生、ありがとう。
代表して手紙を受け取った、5、6年の担任だった、リ先生は、その子に抱きついていました。

最後に先生から一言づつです。
当時に思いを巡らしながら男子18人、女子8人の名前を読み上げる1年担任のチョン先生、
10年ぶりの涙の再会を喜び、招待してくれたことに繰り返し感謝をのべた3年担任のカン先生、
「空気を読むのではなく」、常に自分が考え、自分の答えを出して生き抜いてほしいと語った4年担任のチン先生、
6年間、音楽を担当したリュ先生は、活発で、才能にあふれた集団だったと、
美術のチャン先生は、卒業記念の焼き物作りの苦労談を語り、
国語クラブを指導したコ先生は、「ぶれない生き方」をするようのべ、
サッカークラブのカン先生は、「PK事件」と「一発芸」にふれ、周囲の人を引き寄せるカッコイイ人になるようにとの注文を、
少年団指導教員だったカン先生は、ウリハッキョで学で得た糧を大切に、いつまでもチャレンジ精神を忘れずにと、
当時の校長のコ先生は、「戻ってくる場所」、「心の支え」があるということを忘れずに、それはウリハッキョであり、友であると、
最後に、リ先生は욕소리、잔소리も多かったが、最後の卒業班の担任として思い出も多い、だるまさんのように七転び八起きで夢を成し遂げてほしいと語りました。

卒業生代表から「6年間は大切な思い出が詰まった、尊い宝です。これからは私たちが学校、同胞社会を守るため尽力します」との決意が述べられ、愛校歌を全員で合唱して、 記念撮影です。
卒業生も恩師も学父母にとっても、「誇らしいひととき」でした。

*校舎の一階に飾られている、57期生の卒業記念の焼き物は、今も後輩の活躍を見続けています。
