鶴見の朝鮮の幼稚園での教育フォーラムへ。 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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昨日は、鶴見の朝鮮幼稚園(鶴見朝鮮初級学校付属幼稚園)で催された
「KANAGAWAミレフェスタ2011・民族教育フォーラム」に行ってきました。
鶴見線・鶴見小野駅に隣接する、校舎はウリハッキョらしくない? モダンな建物です。
何年か前、ウリハッキョの四角い校舎をイメージして行って通り過ぎてしまったことを思い出しました。イメージ 1
 
クラスは年少・3歳児、年中・4歳児、年長・5歳児に分かれ、週2回、2歳児も受け入れているとのことです。
インターネットのホームページを見て、訪ねてくるオモニもいて、園児は増え続けているとのことでした。施設も、英会話教室とスイミング教室など、日課も充実しており、加えて延長保育、夏と冬の長期特別保育、通園バスによる送り迎えなどが、働くオモニたちに好評のようです。
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「わんぱくさん」、「おしゃまさん」の作品が壁いっぱいに貼り出されていました。
日本の姓と朝鮮名の児童の作品もありました。
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赤いおそろいのTシャツを着た、青商会と園児のオモニたちが受付をしていました。あちこちで立ち話です。
日頃から地域を超えて交流しているようです。
いつも行くウリハッキョでも学父母を見て若いと思うのですが、この日はさらに若いアボジ、オモニたちでした。
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フォーラムと同時刻に、神奈川県下の川崎と南武、西東京第2の幼稚園に通う園児と、入園を予定している幼児による「マンモス幼稚園」も催されます。フォーラムの開場前、舞台でウリノレに合わせて言葉遊びと体操(お遊戯)を披露していました。
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フォーラムのテーマは、「日本の中での民族教育-あなたは子供をどう育てますか」でした。
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パネラーとして、特定非営利活動法人・地球の木の丸谷士都子理事長、朝鮮大学校の慎栄根教務部副部長、横浜初級の梁桂鳳先生が招かれました。
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フォーラムは、いくつかのアンケート結果に基づいて、話が進められました。
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アンケート結果①の「どのように育てたいですか?」、「どのような環境育てたいですか?」、「一番に考えることや譲れないことは?」との回答には、親であれば、だれもが抱く子への思いが寄せられていました。
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 ②の「ウリハッキョを選択した理由・基準」、「現在通わせながら、どう成長しているか?」の回答には、ウリハッキョへ送る、学父母ならではの思いがあふれていました。
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「南北コリアと日本のともだち展」実行委員を務める丸谷先生の平壌での体験談は、民族教育の利点を如実に物語るエピソードでした。日本と在日の児童を引率して平壌の学校を訪れたとき、ウリハッキョに通う児童が共和国と日本の子供の通訳・「二つの文化の架け橋」の役割を立派に果たしたというのです。
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 慎先生は、何よりも必要なのは「人とつながる力」、「人に流されない力」だとして、しっかりとしたアイデンティティと学力を備えた児童を育てる場としての民族教育・ウリハッキョについて語っていました。
梁先生は、20年間の教員生活に基づき、民族教育の目標と現状について述べながら、児童たちに「世界一の教育」を施すため教師の日々の努力について、強調していました。
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②の「日本学校へ進学させた理由」、ウリハッキョの存続の危機をもたらしている少人数化の原因でもあります。
フォーラムでは、これらの「理由」をふまえ、「北朝鮮との関係」、授業料の高負担、遠距離通学、少人数教育の現状、進学・進路などの問題が取り上げられ、率直な意見が交わされました。
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会場からも、体験談・具体的事例が述べられました。
・横須賀から遠距離通学をさせているオモニの話―
日本の私立に入れるか朝鮮学校に入れるか、ずいぶん迷ったが、日本の幼稚園での「違和感」を感じていたので、ウリハッキョに送ることにした。
座って通学できる始発電車に乗せるため、夫は6年間並んで見送ってくれた。
先生が言うように、子供はすぐに順応するものだ。今は行かせてよかったと思う。
 
・神奈川朝高の教務主任―
卒業生の9割が進学している。5~6割が4年制の大学へ、半数が朝鮮大学校に。
3割が専門学校に行っている。
*東京朝高の公開授業(11・11~12)で配布された資料「卒業後の進路状況」では、2010年度の卒業生190名の進路の内訳は、次のようになっている。
朝鮮大学校-64名、日本の大学-⑤1名、専門学校-37名、家庭・就職-30名、その他-8名
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その頃、教室では「マンモス幼稚園」、元気な声が廊下まで響いていました。
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人工芝の運動場でも園児が遊んでいました。新しいお友達ができたようです。
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フォーラムでは、帰国を前提にした時期から永住志向・日本定着の現在に至るまで、7回の教科書改編・民族教育の歩みが紹介されました。
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教科書の改編は、2013年にかけてひきつづき試みられるようです。
「民族性の育成」、「確かな学力の育成」、「豊かな人間性の育成」―さらなる変貌を模索しているようです。
民族教育日々「進化」しているようです。
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最後にビデオの上映です。コマ(チビッ子)レポーターによる「ズームイン ウリハッキョ」。
県下の横浜、川崎、南部の学校生活が映し出され、中でも児童が夢を語る場面では、参加者からは笑いと拍手喝采です。医者やサッカー選手、看護婦、先生、バスの運転手…日本の児童のそれと変わりません。その「夢」をウリマルで語っていることが大切なのでしょう。
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「つぼみの明るい未来のために!」―これまでそうであったように、学校と学父母、地元同胞によるこうした思考錯誤は続けられるのでしょう。
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「月刊イオ」11月号によると、「日本各地には、38ヵ所に独自のカリキュラムを持つ朝鮮幼稚班(園)が運営されています」。
鶴見の幼稚園は、その先駆けです。
園内に貼り出されていた「写真による鶴見朝鮮初級学校沿革史」には、次のように記されていました。
「1953年4月、鶴見地域の同胞、とくにオモニたちの切なる願いで、困難な条件下、募金で建てたプレハブ園舎で発の就学前教育の第一歩をこの小野町でスタートさせた(教員1名、園児48名)
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鶴見の地での民族教育の歴史は古く、「1935年当時、横浜朝鮮人労働者連盟が建てた労働会館(鶴見区中通)で、夜間労働者の子弟のために民族教育をスタートさせた。(1935年9月)」(同上・沿革史)。
1946年2月に、横浜市立下野谷小学校の教室で、「鶴見朝鮮学園」としてスタートし、翌1947年10月には木造1階建ての校舎を、1967年5月には木造2階建の校舎を竣工し、現在の鉄筋3階の校舎が完成したのは1997年3月です。*詳しくはhttp://kanagawa.pekdu.ac.jp/user/tsurumi/about_4.html
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その伝統は、今回のフォーラム開催に尽力した青商会と女性同盟によって、しっかりと受け継がれているようです。
配布されたパンフの内容も充実していました。教育目標とカリキュラムから、年間行事と課外活動、納付金まで、ウリハッキョについての詳しい資料がパッケージされていました。実行委員会のフォーラムにかける意欲のあらわれでしょう。
民族教育フォーラム「あなたは子供をどうそだてますか」-とても2時間で語りつくせるテーマではありません。オモニ、アボジたちの声をもっと聞くことができたらと思いました。
終了後、アンケートの方法など、司会者の朴英二監督や、県青商会の崔幹事長が丁重に応えてくれました、感謝です。
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 終了後、隣接する公園から運動場をのぞくと、何人かの園児がボールを追っていました。立春(11・3)から10日が過ぎたというのに、暖かい太陽の日差しが降り注いでいました。ik