なんとなく学校へ・下-芸術競演のリハーサル | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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この日は、5時限目を終えた後、全校生の前で、芸術競演の東日本地方大会の演目のお披露目だ。
昼食が終わると、いつものように3階の高学年の教室の間仕切りを取っ払っての「臨時の講堂」づくりだ。
4年生の教室では、いくつか残した机の上で8人の児童が、コッソンイ(在日朝鮮学生を対象にした文芸コンテスト)に提出する作文を清書していた。
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図工室では、何人かが絵筆を取っていた。授業でやり残した作品を仕上げているようだ。
教室の正面に置かれていた糸ノコをさして、「これウリマル(朝鮮語)でなんていうの?」と訊ねると、しばらく考えて一人が自信なさそうに「실칼?」。もう一人は首を振りながら「반드시 아니다」。直訳すると「必ず違う」だ。するともう一人が「절대 다르다」と言い直していた。糸ノコは、正しくは「실톱」というようだ。「」は「刃物」という意味で、「」はズバリ「のこぎり」だ。
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3階に戻ると、「鉄キチ」の6年生が「阪急電車」を夢中で読んでいた。JRより私鉄が好きだと、以前聞いたことがあった。
私・「阪急電車が好きなんだ」
児童・うなづきながら「乗ったことありますか?」
私・「この夏、コマチュックを見に行った時に」
うらやましそうに見上げる児童の左手の甲にマジックで「교과서」の三文字、「教科書を忘れたんだ」と訊ねると、「数学の教科書です」の返事だ。恥ずかしそうに手を差し出して写真を撮らせてくれた。
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男子児童がいくつものベニヤ板やパネルに書かれた絵を3階に運んでいた。舞踊で使う舞台の小道具だ。板に付けたピンクの長い布を頭に巻いて階段を上がる児童もいる。引きずって汚さないよう、気を使っているようだ。
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低学年も上着を上手にハンガーにかけていた。
昼食時間、何人かの先生と雑談。
4年担任の金先生の教育実習先は愛知中高、専攻の歴史教育の熟練者がいたからだという。
実習先も大学卒業後初の赴任先も四日市だったのは、6年担任の黄先生だ。
最近の高学年の担任の間では、「自分がもう3人いれば」だとか。少し前までは、「もう一人の自分」を欲していたが、忙しさが増しているようだ。
成先生の実習先が福岡だったというのは後で聞いた。東京駅で新幹線に乗って、途中大阪や神戸、広島、小倉で次々と降りて行った。当時は熊本や宮崎から兄弟で寄宿舎生活を送る児童もいたと。もう20年も前になると、しみじみ話していた。
「1日が48時間だったら、ちゃんと寝ることが出来るのに…」と言う先生もいた。
私が「実習生の前で言わない方がいいのでは」と返すと、「誰でも1日過ごすと実感するはず」とのことだった。
最近は、実習先は家から通えるように、出身校や地元の学校が選ばれるようだが、西東京第一を卒業したカン先生の通学時間は1時間半余り。5時半に起きて、学校に来ていると話していた。
「お弁当はオモニが」と言っていたが、カン先生のオモニではなく、児童のオモニが持ち回りで作ってくれるようだ。
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昼食時間が終わると、低学年は掃除だ。1、2年生は床掃除だけだか、3年生はガラスまで磨いていた。高い所に登るのが面白いのだろう、怖がる様子もなく、廊下にせり出た棚に登って、天井近くの窓まで拭いていた。一斉に「アンニョンハシムニカ」だ。席をはずして戻ると「またアンニョンハシムニカ」だ。中には5回目だという児童もいた。児童の「アンニョンハシムニカ」は何度聞いても心地よい響きがある。
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運動場では、5年生の体育の時間だ。実習生のカン先生が児童と一緒に「人民保健体操」をしていた。チマチョゴリではなく、運動着でだ。
「打楽器は得意だが、運動は苦手だ」といっていたが、ボールを使った鬼ごっこがはじまると、児童に手をつかまれ一緒に走り回っていた。
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いよいよ、校庭では現代楽器の重奏がはじまった。
昼食時間に「ソンセンニム、今日は時間がありますか? ぜひ、演奏を聞いて行って下さい」と話しかけてきた児童がアコーデオンを楽しそうに奏でていた。アコーデオンは男女二人ずつの4人で、5年生と6年生が二人ずつだと言っていた。
サッカーのユニホームを着ていたので一度は「なでしこ」と呼ばれてはいたものの、1年担任の秦先生と2年担任の朴先生に「なでしこは日本だから、チンダルレ(つつじ)チョソンということにしましょう」言いなおされていた、3年生の女子児童も、皆と一緒に静かに聞いていた。
カン先生は丸椅子に座った金校長の後ろで両手を合わせて児童を見つめていた。
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3階の「臨時講堂」に場所を移して、民族楽器の演奏と踊りだ。
金教務主任と成先生が小道具係のようだ。先ほど、児童が運んでいた長いピンクの布のカーテンを持ちあげていた。鏡の前のカーテンという設定のようだ。
違う場面では、夫先生と成先生が両手でボードを支えていた。
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低学年の児童に混じってカン先生がまた、両手を合わせて見入っていた。民族楽器の演奏の時もだ。児童の中に入のこむと、なかなかな探し出せない。
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衣裳係のオモニのようだ。ひとりひとり確認して、膝をつき何人かの児童の衣装を大きなピンで止めていた。衣装も例年よりあでやかだ。
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2、3人のオモニたちがデジカメとビデオを構えていた。 
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リハーサルが終わると、学級の仕切り板を移動させ教室に「復元」、この日はクラブ活動の日だ。
低学年のサッカークラブ「ポンドリ」の児童たちは運動場でボールを蹴り、現代楽器部は校庭で、舞踊部と民族楽器部は講堂で練習をはじめた。クゴ(国語)部は、1年生の教室で「コッソンイ」に提出する作品の最終チェックを、美術部は図工室で絵筆を握っていた。
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しばらくして校門を出ると、2年生のオモニが下校指導をして戻って来た担任と話していた。その傍で、背筋を伸ばし、両手を後で組み1年生の孫を迎えに来た長身のハラボジは、私が東京朝高時代に「金田」と呼ばれていた元教員だ。
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