書き直しました。08.10
堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンターで催されたコマチュック(チビッ子サッカー)大会へ行ってきました。
昨年、応援に行った東京第3のオモニたちが戻って来て、余りにも楽しそうに話(ブックレット『朝鮮学校のある風景』③号23~27頁)をしていたので、いつかは行きたいと思っていましたが、京都での急用ができ、堺まで足を延ばすことにしたのです。
前日、東京駅から夜行バスに乗り、京都に着いたのは早朝6時半過ぎでした。朝食を済ませJRと南海線を乗り継ぎ堺駅に降り、バスでクラブハウス前に着いたのは10時少し前です。
車中通路を挟んだ席に、胸に東京チェーオー(第5)と書かれたシャツを着た人が座っていました。応援に行くアボジでしょう。普段なら話しかけていたはずです。しかし、頭の中では「チェーオーですか? 昨年優勝しましたね」とか、「今年はどうですか?」とか、「夜行バスで来たのですか?」など、次々と訪ねたい言葉が回っているのですが、口に出ません。夜行バスでの8時間、そして電車とバスを乗り継いでの2時間余りの移動が、相当こたえていたようです。
クラブハウスの右手のグランドに「少年サッカーフェスタ」の横断幕が見えましたので、てっきりそこだと思い近づくと、マクドナルドのマークです。

案内板をみると、天然芝のサッカーグラウンドがいくつもある、とてつもなく広い所です。

この「フェスタ」だけではなく、いくつもの競技が行われていました。
猛暑の中を延々と歩き、在日のサッカー大会ののぼりを見た時は一安心しましたが、東京第3の試合会場がわかりません。「育成」チームの第一試合、名古屋との対戦時間が迫っているのにです。

「第33回在日朝鮮初級学校中央大会」の大きな横断幕の隣に「対戦表」の大きな看板を発見、この時点で汗だくです。息も少し荒くなっているようでした。

対戦表を見ると、9時から9つのグランドで、試合ははじまっており、すでに第一試合の結果が記されていました。
「本戦大会」―12対0の大差で負けたチーム名が飛び込んできました。幾つかの学校による「合同」チームです。
「本選大会」には50校43チームが、「育成大会」には33校26チームが参加すると、「朝鮮新報」には書いてありました。「本戦」は1軍、「育成」は2軍といったところです。
「本戦」の場合、1校で2チームが出場している学校が5校ある一方で、長野・静岡・北陸のように、単独ではチームを組めず、近県の幾つかの学校との「合同」が6チームありました。「育成」でも6チームが「合同」チームです。
東京第3は、「本戦」と「育成」に、それぞれ1チームずつ出場していました。
「それにしても12対0はいかなるものか」と思いつつ、東京第3の試合会場に向かいました。
途中、「本戦」チームを率いる成先生を発見、いつもの短い髪をさらに刈り込み、丸坊主にしていました。「育成」の夫先生とは、ぶつかりそうになりました。「ユニホームを忘れてきた児童がいて…」、そんな言葉を残して走り去って行きました。試合時間が近づいていたのでしょう。
長身の金校長が手を振っています。児童たちとオモニたちが待機するテントの場所を教えてくれました。いつもと同じ場所だと言っていましたが、初めての私には、その「いつもと同じ場所」がわかりません。グランドを挟んで50以上のテントがぎっしり並んでいるのですから。

どうにか、「育成」の名古屋との第一試合に間に合うことができました。
チェーサムは5、6年生を主軸とした混成部隊です。

「おっかけのオモニ」たちの姿もありました。オモニたちはタフです。私と同じように夜行バスで来たオモニたちもいましたが、大きな声で応援していました。黒いネッカチーフにピンクの花がトレードマークのようです。似合うとか何とか、ほめ合っていました。

試合が終わると、開会式です。各学校名を記したプラカードを先頭に選手全員が整列。頭の中から初戦「12対0」が離れなかったせいか、応援に来た東京第3を確認した後は、合同チームのプラカードを探しました。
2列に学校名が記された「茨城・群馬・新潟・福島・東北」があり、「東春・岐阜・豊橋・愛知第7」、そして「長野・静岡・北陸」がありました。



来賓の紹介が始まると、突然スコールのような雨です。「ゲリラ豪雨」というやつです。
私は福島のウリハッキョの除染作業に参加しようと思って(まだ行けていない)、購入した雨がっぱを着て傘までさしましたが、ひざの下はずぶぬれです。
開会式が終わり、児童の後につきテントに行くと、オモニたちはびしょぬれになって戻って来た児童の体を拭いたり、脱いだユニフォームを洗濯ハンガーにつるしたり大忙しです。一瞬にして、テントの外に出ていた靴から雨水があふれ出るほどの強い雨でした。テントの屋根に水がたまり、ビニールのプールの底のようです。波打っていました。
しばらくすると雨は弱まったのですが、午後には「本戦」の第1戦と「育成」の第2戦の試合が同時に行われるというので、オモニたちは今度は昼食の準備に大わらわです。
この日の昼食は、冷やし中華orそうめん+おにぎり×キムチ・オイキムチ×蒸し豚でした。キムチにチョジャン(甘辛の酢味噌)をつけてのムシ豚、いかにもウリハッキョらしいメニューです。

試合前、会場を一回りしました。ほとんどがキャンプ用の小さなテントですが、地元に近い学校は運動会用の大型テントです。北大阪の大きなテントには、食事ができるよう長いテーブルといくつもの椅子が並んでいました。
やっぱり目に着いたのは、「合同」チームのテントでした。
対戦表によると、2校による合同チームは4、3校は1、4校は1、5校は1です。
岡山と四国のテントには、「勝て! 岡山・四国合同チーム 闘志爆発!」との大きな横断幕が掲げられていました。愛媛まで遠征に行ったと言っていました。

「茨城、群馬、新潟、福島」と記された筆文字の大きな横断幕もありました。
群馬の学校で10日間合同合宿を行ったと言っていました。

東大阪(トンチョ)の応援団にも出会いました。ブログ「トンチョアボジの蹴球部と東大阪商工会のこと」(http://blogs.yahoo.co.jp/manamana682002)に、コメントをしたこともあったので、とても親しみを覚えました。思いがけずブログの管理人ともお会いすることができました。

トンチョの「育成」チームの監督は同校の付属幼稚園の先生で、東京第3出身です。彼のオモニとは地元の商店街でよく会います。おもわず声をかけてしまいました。選手に囲まれて座っていましたが、2年前チェーサムでの成人式の謝恩会で会った時よりも、顔つきも体つきも精悍さを増しました。鍛えられているようです。

センターのスピカ―からは繰り返し、熱中症の注意が喚起されていました。
第3の2試合の途中、競技場を後にしました。その1時間半後に「本戦」の第2試合、「育成」の第3試合も組まれていましたが、暑さと疲労でギブアップです。座っている気力すら奪われていました。

バスで堺駅に出て、そこから南海線と地下鉄、京阪特急を乗り継ぎ、叡電の元田中駅までの2時間半余りの「長旅」に疲労困憊です。金校長には、2日目の日程を知らせるよう頼んでおきましたが、明日のことを考える余裕は全くありませんでした。堺駅でバスを降りるときもゲリラ豪雨です。雷は鳴っていないので試合は続行したはずです。
以下次回