被災した東北の朝鮮学校へ | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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7月9日の土曜日、被災した東北の朝鮮学校へ行ってきました。
朝鮮高級学校を無償化の対象とするよう求める詩のグループが
「復興支援コンサート」を催すというので、同行させていただきました。
 
仙台駅で、大阪と京都から来た本体に東京、群馬からの参加者が合流しました。
初めてお会いする方も何人かいました。
群馬在住の金敬淑さんが紹介されると、「先生は花の種を植えます」「植えました」という詩
「꽃씨를 뿌렸습니다」のフレーズが頭に蘇りました。
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東北のウリハッキョを訪問するのは初めてです。
映像や写真で見たり、話で聞いたり、新聞で読んだりしていましたが…
校門に入っての第一印象は、地震なんてなかったような静かなたたずまい、のどかともいえる風景でした。
「かっちんの青商会物語」が伝えていた、軽トラックの「江戸川同胞号」が止まっていました。
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被災した4階建の校舎を目前にすると、「新報」や、ブログなどで紹介された
被災の実態と支援の様子などがよみがえりました。
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地元の農民風の人が、ユン校長です。
大地震の瞬間は市内にいたようです。「自動車がゴムマリのように弾んだ」と。
校舎にいた児童・生徒は、日ごろの訓練通り、机の下に身を潜めたのですが、
机ごとバウンドしたと話されていました。
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1階の教員室です。
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教員室正面の黒板には、3月の「事業日程」が…
卒業試験に学期末試験、21日が卒業式と修了式だったようです。
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堂には、全国から送られてきた激励メッセージが貼りだされていました。
ユン校長がひねり出した「大地が揺れても笑って行こう!!」の文字もありました。
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文芸同東京支部書道部のハングル書芸作品展「大地は揺れても笑顔で進もう」
に出展された作品が貼りだされていました。
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授業は寄宿舎を教室代わりにして行われていました。
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1年生の教室です。
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とても暑い日でした。5年生の教室・休み時間でした。熱さまシートを貼った児童が
教室の隅でへたり込んでいました。食欲もないと言っていました。
扇風機からは、温風ではなく、熱風です。
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他の「教室」の窓には「1年生」、「2年生」との表示がありましたが
ここのドアには「リョンファの教室」と、書かれていました。中3は彼女一人です。
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昼食は、全校生が食堂に集まって、学年別に担任の先生と一緒にとっていました。
この日のメニューは冷やしうどんでした。
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コンサートの準備-許先生が3年生の児童と童話「金の斧、銀の斧」の読み合わせをしています。
「アニイェヨ」、「アニイェヨ」の発音のいいこと、皆が足を止めて見つめていました。
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午後2時過ぎ、「ヒムネジャ ハムケ 東北朝鮮初中級学校!
アンソロジー刊行会とその仲間達の復興支援コンサート」がスタートしました。
詩の朗読をメーンに、児童との共演による歌とお話に、独唱、二重唱と盛りだくさんです。
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オモニ会の会長さんです。ビデオを回していました。
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デジカメも大活躍です。
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小中学校の授業の2倍の公演時間です。ときには笑いがおき、拍手がやまず…
児童・生徒と教職員、学父母と同胞、地元の日本の市民が一体になった、楽しいひと時になったようです。
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「朝鮮新報」の記者も取材に来ていました。早々と12日には
「東北初中級支援コンサート 詩と歌で激励」「朝・日の芸術家が共に」とのタイトルで、
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調理場では、焼肉パーティーの準備が着々と進んでいました。
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故許南麒氏の「これがおれたちの学校だ」を河津聖恵さんと許玉汝さんが
朝鮮語と日本語で交互に朗読しました。
韓国の歌手がこの詩を引用して作った歌「子どもたちよ、これがウリハッキョだ」もいいのですが、
子どもと同じ目線で謳われた原詩、とくに最後の「アア ウリ オリン トンジドゥラ」の一言には
いつ聞いてもこみあげてくるものがあります。
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最後は、全校生25人による校歌の斉唱です。
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終了後、校庭で七輪を囲んでの焼肉です。
児童・生徒+先生+学父母・同胞+地元の市民、
そして出演者による楽しい歓談の場でした。
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3年生の児童は、焼肉の食べ放題より、
サイダー、ジュースの飲み放題の方が嬉しそうでした。
焼肉を食べながら、昨年、東京チェーサムに授業参観にみえられた、
何人かの先生と話すこともできました。
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どこの学校にもいる、そんなやんちゃで、愉快なトンムたちが場を盛り上げていました。
そんな彼らを、最高学年の中3のリョンファトンムが笑顔で、束ねていました。
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参加者が一言ずつ。3人を学校に送っているというアボジの話が心に残りました。
「私が卒業した山口のウリハッキョは今ありません。
母校がなくなることはとても寂しいことです。
子どもたちを立派な朝鮮人に育ててください。
子どもたちがいるこの東北のウリハッキョを母校と思って、
力を尽くしたいと思います」
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食事を終えた小中学生が仲良く、遊んでいました。
その姿を一世のハルモニがうたう「ホンソンファ」を聞きながら見ていると、
とても不思議な思いにかられました。
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食堂の入口に置かれた生徒のカバンの横にはオレンジの袋が置かれていました。
前日、慰問に訪れた大韓仏教曹溪宗の僧侶のみなさんが救護金1千万円と一緒に
児童・生徒達に贈ったスニーカーです。生徒たちは嬉しそうに持ち帰っていました。
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学校創立35周年に際して、2000年4月に、卒業生が贈った
「遊び場」の時計が、楽しい時を刻んでいました。
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大地は大きく揺れましたが、卒業生と地元同胞の思い-
「はばたけ未来へ」と刻まれた「記念碑」は何もなかったように立っていました。
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旧校舎の玄関に掲げられた1965年4月に創立した同校の「沿革史」のパネルが新校舎に移され、
その空欄に新校舎落成の文字が書き加えられ、校庭に児童・生徒の声がいまよりも大きく響くことを
願っています。イメージ 26
 
翌朝、市内のホテルで目を覚ますと、長い地震です。
震度3とか、4とか-テレビのテロップが流れました。
前日、一緒に七輪を囲んだ3年生の児童と担任先生の姿が浮かびました。
「恐い思いはしていないだろうか」
思わず学校に電話をかけようと思いましたが、日曜日でした。やれやれです。
最近では、震度4強や、5ぐらいの地震には驚かないとの児童のオモニの言葉も浮かびました。
 
追・5日後の14日、許先生から次のようなメールが届きました。
×  ×
東北コンサートに参加してくださった皆様。本当にご苦労様でした。コマッスムニダ。
 
東北コンサートが終わった瞬間、福島のウリハッキョのアボジ会の方がこられ、「こんなコンサートを見たら子供達がどんなに喜ぶか。是非新潟にも来てください」とおっしゃいました。
 
被災したのは東北だと福島なので、一方だけに行くのは公平ではないと思っていたので、大いに共感しました。
 
今年は色々行事があって日程を組むのが大変ですが、一応12月3日の土曜日に新潟のウリハッキョでコンサート開こうと思っています。
 
まだ何も決まっていませんが、日にちを先に決めたほうが予定を立てやすいかなぁと思って、連絡しております。
12月2日夜9時過ぎに出発すれば、9時間ほどで着きます。12月3日午後からコンサートして関西の方はその日の夜の夜行バスで帰ります。バス代は往復で10,600円です。
 
じっくり予定表をご覧になり、参加か否かお返事ください。参加者名簿にあわせてプログラムを作成いたします。まだ5ヶ月ありますが予定に入れてくだされば幸いです。オンニョ拝
 
主催の名称を 「アンソロジー刊行会」を卒業し「ヒムネジャ ハムケ ウリハッキョの会」にいたします。
×  ×
許先生は元気です。
 
実は仙台のウリハッキョ行きも、許先生から「今度、詩と歌の復興支援コンサートをすることに…」、
そんなメールが届いたので、「それはいいことです」と、返事したところ、
翌日には、私の名前が入った参加者リストが送られてきました。
 
12月には、きっと私も新潟行きのバスか、新幹線に乗っているでしょう。ik