<3・11大地震>下・茨城の朝鮮学校に避難した地元住民の思い | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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ふと気づけば、焚き火の木はどこからともなく運ばれてきています。

この寒さの中、今も木を切っている人がいるのです(たぶん、男の先生方と思います)。

私にも何かお手伝いができると思い、木を切る場所へ移動しました。

「お手伝いさせてください」と言うと、

「危険ですし、大丈夫ですから座っていてください」と、気遣ってくださいました。

うちの男たち(旦那さん)に比べ、なんて働きものなの~!(心の声)

よく見ると、それは桜の木でした。

蕾を持つ枝もあって、まさにこれから来る春にこの校庭を飾ってくれるはずの桜の木々でした。

たくさん、たくさんの枝が切られて運ばれてきました。

私は桜の木が切られていることに気付いた時、とても辛くなりましたが、それを切らなければならない先生方の心を思うと切なさでいっぱいになりました。

テントに戻ると、男性の先生が私たちにラジオを貸してくださいました。

そこから聞こえてくる茨城放送は、震災の状況と、交通渋滞の様子、支援物資の手配など、ずっと同じ内容を繰り返し伝えていました。

夜中、父が大渋滞から脱出して、こちらへ合流しました。

ここへは、他にも近くに住むと言う親子連れが避難に来ていました。

そのお母様は、少しパニックを起こされていたようでした。

それに反して、娘のふたりはとても冷めていたのが印象に残っています。

朝鮮学校の方々は、一人一人丁寧に世話をやいてくれていました。

少し前までテントでおしゃべりをした女子中学生が、校舎へ誘導される時に私たちに渡してほしいと、自分たちが使っていた毛布を寒いからと先生に託してくれていました。

それを先生から伺って、その毛布を差し出されたのですが、寒いけれど、もったいなくて使えません(涙

生徒の気持ちですから…と、先生が毛布を手渡してくれました。

みんな、みんな、なんでこんなに良い人なの~(泣

それに比べてうちの両親、特に父は当たり前のように食事をもらい、温かい飲み物を貰って、自分のラジオをイヤホンで聞いていました。

信じられない!! 情けないったら、ありゃしない…http://parts.blog.livedoor.jp/img/emoji/1/ic_bad.gif

ここは避難所じゃないし、みんな同じ被災者なの!被災しているのは自分たちだけじゃないんだから!!!!(怒)←心の声。

本震の後も大きな余震はずっと続いていて、体は揺れているのか、揺れていないのか、くらくらしてしまって分からなくなりました。

座っていても、常に地面が揺れているように感じていました。

先生方は焚き火で暖を取っている間も、大きな余震がくるたびに子どもたちの眠る教室の窓を、出口の確保のために開けに走ります。

何も出来ないけれど、私も少しでも何かしたくて校舎側の教室の窓まで走ります。

真っ暗な空にヘリコプターが音を立てて飛んでいく姿を何度も目にしました。

周りが静かすぎるので、そのヘリの音だけが妙な恐怖感をあおりました。

まるでこれは現実のことではないのかもと、思ってしまいます。

東の空に、一際輝く明けの明星(金星)を見ることができました。

夜明けです。

結局、寒くて一睡もできませんでした。

コメント一覧

    • 1. ふうま
    • 2011年03月17日 04:09
    • 国や人種ではなく人と人
      命と命
      心と心の繋がりがうれしい!(T^T)
    • 2. tobutori
    • 2011年03月18日 00:22
    • ☆ふうまさんへ
      本当に、困った時こそ心の温かさが身にしみます。
      増して、そこに集まる全員が被災者であるのに、助けていただきました。

      少し落ち着いてから、母とお礼に伺うつもりでいます。
      何より、この日ラジオで聞いていたら、こちらの朝鮮学校は避難場所に指定されていませんでした。
      それでは、支援物資が届きません。
      子どもたちのために、お世話になった先生方へ、私の出来ることは、ここを避難場所として指定を取ることでした。
      はい、手配いたしました♪
      おにぎりなど、翌日から毎日配達されているそうです。ヨカッタ!
    • 4. kidin
    • 2011年04月18日 21:48
    • http://parts.blog.livedoor.jp/img/face/4.gif 大変よい内容で、情景が浮かびす。
      ゆえに、おそらく意図でそうしたのではなく
      誤変換だと思いますが題名、
      避難所としたかったんですよね(×非難所)。
    • 6. コマッスムニダ!(ありがとう!)
    • 2011年04月18日 23:02
    • 初めまして、私は震災当日朝鮮学校で避難してた朝鮮学校の関係者です。
    • 在日の方からここのブログを教えてもらい初めて拝見しました。お礼が遅れてすいません。
    • 朝鮮学校の避難所指定のため、わざわざ市役所にまで行き交渉していただき有難うございました。
    • 当時朝鮮学校には学生、教職員、避難してきた在日同胞、日本の方等120名近くが学校で寝泊まりしてました。
    • ご存知の通り水戸市内には食料品は売ってなく、震災の次の日先生達がどうにかイオン等で買ってきたカップヌードル、インスタントラーメンと県内の同胞達が持ってきてくれた差し入れと食堂に残ってる食品だけでした。
    • 県外からは震災3日目に元先生(東京在住)が片道約8時間かけて持ってきてくれた米と飲料水のみでした。1週間近くたってやっと取引業者もガソリンを確保できはじめ、数業者から注文できるようになりました。
    • その期間水戸市からのおにぎり、パン、水等は本当に助かりました。また、避難する方が増えていく中、布団がなく毛布をお願いしたら、すぐに持ってきてくれて大変助かりました。
    • 初日目は私達もたび重なる余震で余裕もなく満足いく対応ができなかったのに、ブログでこれほど感謝していただきちょっと恥ずかしい気もします。
    • 学生達もこのブログを見たらさぞかし喜ぶことでしょう。朝鮮学校ではバザー等、一般開放する行事も多々行っております。また今度私たちの学校に遊びいらしてください。最後に本当に有難うございます。
    • 7. tobutori
    • 2011年04月19日 00:32
    • ☆キョンタさんへ
      その日あった事実をそのまま書いています。
      私の思うことも書いていますが、そこで実際に起きたことであって、経験したことです。
      今思い出しても、体がちぎれそうなほど寒い日でしたが、人の心の温かさを改めて知らされた一日でもありました。
    • 8. tobutori
    • 2011年04月19日 00:36
    • ☆kidhinさんへ
      ご指摘ありがとうございました。
      お恥ずかしいことに、全く気付きませんでした。
      音で聴けば同じなのですが、漢字で書いたら全然違う意味になってしまいますね。
      情けないです。
      でも、実はこのブログ、夜中に書いているので、そんな間違いがたくさんあるんです。
      また教えてくれたら嬉しいです。
  • 9. tobutori
  • 2011年04月19日 00:51
  • ☆関係者さんへ
    うわ~!感激です。
    こちらでお会いできるとは思ってもみませんでした。
    わざわざコメントをしていただき、有難うございます。
    また、地震の時は親切にして頂き、本当に有難うございました。

    ずっと気になっていて、実は今日も仕事の帰りに(PM6時半頃)、校舎の明かりがあるのに気付いて、寄ってみたいと考えていました。
    どうにか直接お礼が言いたかったのです。
    先日までは校舎が暗かったのですが、新学期が始まったのでしょうか。
    生徒さんもいつもの明るさを取り戻していますか?
    あの時、数人の生徒さんしかお目にかかれていませんが、素直な笑顔が印象的でした。

    翌日には市役所で避難所指定にしていただけたのですが、私が震災対策室に伝えていた人数がだいぶ違っていたようですね。
    そんなにたくさんの人が避難していたのに、すみませんでした。
    地震後も、学校の前を通ることがあって、みなさんの様子が気になっていました。
    早いもので、あれから1ヶ月が経ってしまったのですね。
    感謝の気持ちは、今も胸の中にあって忘れていません。
    あの時も思っていたのですが、家も近いし遊びに来てほしいと思ったくらいです^^
    またお会いできることを楽しみにしております。
    有難うございました。
    • 10. 金日宇
    • 2011年04月19日 10:15
    • 心温まるお話、ありがとうございます。
      会のブログに転載させていただきます。
      <ウリハッキョ(朝鮮学校)を記録する会>
      金日宇
    • 11. 金学柱
    • 2011年04月19日 12:31
    • 栃木で朝鮮学校の教員をしております。
      教員朝礼でこのブログが紹介されました。
      神戸での震災でもそうでしたが、近隣の方々との協力の中で見えなかったのもが見え、信頼関係が生まれてきました。

      民族、国籍を越えた日本の方々との信頼関係が民族学校で学んでいても大切だと生徒たちにも引き続き教えていきたいと思います。
    • 12. 金文子
    • 2011年04月19日 14:36
    • 読んでいて、何度も何度も涙がこみ上げてきました。
      私も家族が東北地方に住んでいて、母校である仙台と福島の朝鮮学校も、被災しました。
      茨城も何度か訪問したことがあり、先生方もよく知っている方がいます。
      私自身は今東京に住んでいるので、いつもと変わらぬ日常を送っていますが、現地の方の不安や苦しみは、到底計り知れないものだと思います。
      このブログを読んで、もう一度心に刻み付けることができました。
      苦しいときだからこそ、手と手を取り合える社会になれればと思います。
      私のブログにも紹介させてください。