朝鮮学校のある風景-その七 八月はバスケとサッカーの中央大会 ② | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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朝鮮学校のある風景-その七 
 
 
 
八月はバスケとサッカーの中央大会 ②                                                   
*9月中旬発売の「統一評論」10月号の連載に加筆した。               
 
■ヘバラギカップ―思いがけない「北九州」との出会い
 
八月一日から三日間、東京文化会館で催されたヘバラギカップ(在日朝鮮初級学校学生中央バスケットボール大会)の応援に行った。
 
初戦の対チェーユク(大田区にある東京朝鮮第六初級学校)戦は2816で、第二戦の対チェーサー(足立区にある東京朝鮮第四初中級学校)戦は2625で勝ち、準決勝に進んだが、二日目の対チェーイル(荒川区にある東京朝鮮第一初中級学校)には、2252で負けてしまった。最終日の三位決定戦では横浜初級に2633で負け、結果は一部リーグ四位に終わった。
 
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学期末試験を終え、終業式をはさんで七月いっぱい、児童たちは練習に励んだ。日陰のない屋上のバスケット場での練習は猛烈な暑さとの戦いでもあった。パスやドリブルをしながらバスケット場を往復しただけで、汗がしたたり落ちる。すぐに水分補給である。そんな姿を見ていただけに、決勝に進めず、肩を落とす児童たちの姿を見るのは忍びなかった。
 
オモニたちも、チェーイルに負けたのが、残念だったようだ。同校の指導教員は、今年の三月までチェーサムでバスケを指導していた康先生だ。春の新人戦では勝った、そのチェーイルが初優勝までさらってしまったのだから、なお悔しい。
 
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ここでもオモニたちは頑張っていた。応援だけではなく、文化会館のロビーでは物品販売もしていた。アイスコーヒー、アイスクリーム、チューペット、それにスイカも売っていた。「いそべやき一〇〇円」にはビックリした。餅をホットプレートで焼き、海苔を巻くのだが、冷房のない所だけに焼くのも、売るのも「痩せる思い」だと話していた。
 
八回目を迎える今回、参加したのは男子が九チーム、内一チームは横浜と川崎、東京第九の三校の合同チームで、西東京第一のチームには、女子も混ざっていた。女子は一四校、一五チーム(チェーサムがA、Bの二チームが参加)で、男女共に出場したのは四校だけである。
 
中央大会と言っても、東京と関東を除くと、名古屋初級の男女と北九州初級の男子、北海道初級の女子の三校だけだ。
 
児童の数に指導教員、それに経済的支援-この三つのどれ一つ欠けても「中央大会」参加への道は開けない。
 
今回、参加して男子一部で三位に入賞と、健闘した北九州初級学校の引率教員は「来年は参加が危ぶまれる」と話していた。六年生を送り出すと、最低登録選手の確保が難しくなるのだ。
 
学校がある八幡は、従来からバスケットボールが盛んな地域だという。同校は、過去七回行われたヘバラギカップにおいても、二〇〇五年と〇六年の三回と四回は優勝、二〇〇七年の第五回は四位に甘んじたものの、二〇〇八年の第六回では再び優勝、昨年の第七回では準優勝の輝かしい戦績を誇っている。
 
しかし今年は、大会直前まで指導教員が決まらず、新たにコーチに就いた白先生は、朝高までバスケをしていたとはいえ、昨年までは民族楽器のカヤグムの指導教員だった。急きょ、九州朝高出身の朝鮮大学校の教育学部四年の君が夏休みを返上して、後輩の指導にあたっていた。
 
教育学部の彼は、六月にチェーサムの児童が課外授業として朝鮮大学校を訪問した時、炎天下で理科の実験を指導してくれた、子ども好きな学生だ。「卒業したら、地元に戻って最強のバスケチームをつくりたい」と、抱負を語っていた。
 
初日に会った選手たちと4番、11番の背番号の兄弟選手のオモニとその姉は「勝つために来ました」と、強気だった。昨年敗れた西東京第二の練習を眺めながらも、「今年は絶対勝ちます」「今年は優勝しかありません」と言いきっていた。
 
ところが、チェーイルに2214、西東京第一に26-8と勝ちながらも、準決勝で当たった「宿敵」西東京第二には3244という残念な結果に終わってしまった。実力は拮抗、実質的な決勝戦だったとの評だった。
 
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妹はウチワを片手に、姉はビデオを回しながらの「二人応援団」は、息がぴったり合っていた。チャンスをものにできなかったときは「もったいない」の連発である。それだけではなく、「声をだしいー」、「ドンマイ、ドンマイ」、「リラックス、リラックスしてや」、「今のファールやろ」、「マイボール、なんでー」、「ソンセンニム(先生)タイムとろうや」と、九州弁なのだろう、少し()、だいぶ強めの語調で声援を送り続けていた。そして逐一、試合の経緯を携帯電話で知らせていた。
 
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二人とも、学生時代はバスケットボール部に属していたという。対外試合の経験もあり、試合のかけ引きをよく知っている。ふだんはとても温厚な人柄だ。「バスケになると、性格が変わってしまう」と、自らが認めるほど、バスケには熱いものを持っていた。
 
最終日の別れ際、「来年も人数を確保して必ず参加してください」と声をかけるのが、精いっぱいだった。
 
この連載を書くようになって、母校の東京チェーサムに限らず、全国のウリハッキョへの愛着が増したようだ。
 
今まで、北九州初級学校を身近に感じることはなかった。福岡に初級学校が、小倉には幼稚園があることは知っていたが、九州朝鮮中高級学校と同じ敷地に北九州初級があるということは知らなかった。
 
白先生と応援に来たオモニに、来年はチェーサムでの宿泊を勧めたが、こじんまりとした校舎に、決して広いとはいえない運動場、それにバスケットボール場は校舎の屋上だと知ったら、さぞかしビックリするだろう。二〇〇四年に新築した、北九州初級は併設する中高と共同使用であろうが、運動場にはナイタ―設備があり、三階建ての体育館があるというのだから。
 
■オモニたちを夢中にさせるコマチュツク(次回)