朝鮮学校のある風景-その六・七月は一日給食に少年団のキャンプ② | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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 朝鮮学校のある風景-その六
 
「統一評論」の連載に一部加筆
 
 
七月は一日給食に少年団のキャンプ②
 
 
■四六〇枚の写真が物語るキャンプ
 四時半過ぎに学校に着くと、すでにキャンプから戻ってきた少年団員が、校庭に整列し、解散式が始まろうとしていた。
 
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 学校の前のジョナサンで児童の帰りを待ちわびていた学父母も集まってくる。学校に戻るのは五時前後になるのではないかという話だったが、道路の渋滞もなく予定より早めの到着となったようだ。
「事故もなく、全員元気で戻ってきました」
 出迎えに来た学父母に話しかける校長や教務主任、各学年の担任の顔も日に焼けている。児童たちは、真黒に焼けたというよりも、火傷でもしたように真っ赤だ。
少年団のキャンプは、山と海とで交互に組織されるが、昨年は中級部が併設されていない東京の四つの短設校による合同キャンプが山梨県で催されたので、海は三年ぶりである。海に行くのは初めてだという児童も何人かいたようだ。
 少年団のキャンプは、今でも「ヤヨン」(野営)と呼ばれているが、私たちの五〇年前の、電気もないバンガローと呼ばれる小さな板間の小屋でのローソク暮らし、薪を燃やしての飯ごう炊飯だった、それとはだいぶ違う。三食付きの民宿である。
 それでも、親元を離れての二泊三日は、児童たちに、大きな刺激になり、貴重な体験になったようだ。
 終業式の翌日、部外者出入り禁止が解かれた職員室で見せてもらった四六〇枚にのぼる写真や一枚一枚時間をかけて楽しそうに説明してくれた先生たちの話からも、それは十分うかがい知ることができた。
みなが元気いっぱい、都会から離れた海での生活を楽しんでいる。児童の個性あふれる表情がいい、先生とふれ合う姿が自然だ。
 
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 六年生が同室になった四、五年生を兄弟のように接している。日焼けして、服を着ることもできず、試合に負けたボクサーのようにタオルを肩にかけた三段腹の男子がいる。普段食の細い児童が友だちと競うようにして食事している。
 監視台を兼ねた飛び込み台の上で、ひざを曲げ腰も引け目をつぶって足から飛び込む男子を尻目に、きれいな曲線を描いて飛びこむ逞しい女子児童もいる。
夜に催されたリクレーションでは、四年生の男子が恥ずかしそうにオケチュム(朝鮮舞踊の基本動作)を踊り、六年生が「マジレンジャー」に扮して悪い子を退治している。「マジ」とは朝鮮語で年長の意味、それで六年生は自ら「マジレンジャー」を演じたというのだ。一人で空手の型を披露したりりしい男子もいた。
肝試しでは、怖がる女子の手をしっかりつかんでリードしていた男子。ところがフォークダンスでは女子の手を中々握れないシャイな男子の姿がまたいい。
一〇センチはあろうムカデやゴキブリを怖がる女子、蚊も都会のそれより凶暴なようだ。カブトムシやカエルに興奮する男子…話は尽きない。話をする先生たちも楽しそうだ。
いつものサンバイザーをしたままで泳ぐ先生の写真には、思わず吹き出してしまった。
校長を先頭に海の中で数珠つなぎになった児童の姿がある。結婚式場でもよく見る、肩に手を載せて会場を走り回るあの「統一列車」だ。
 
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児童が砂浜に先生の名前を大きく書いた写真を「あまりに嬉しくて、何枚も撮ってしまった」と言いながら紹介する先生の顔は少し照れくさそうだった。
 
■チョチョンウォンが見たキャンプ
 キャンプには学区の支部から三人のチョチョンウォン(青年同盟員)が同行した。
 出発の二、三日前に、I支部の李総務部長と、K支部の裵総務部長に会い、キャンプのリポートを頼んだ。李総務部長は、東京チェーサムを二〇〇〇年に卒業した五三期生である。
 キャンプから一〇日が過ぎ、あきらめかけたところに「笑い話と失敗談」と「先生達の気遣いと苦労話」と題する二つのリポートが送られてきた。
 その全容を紹介する。*印は、先生たちの話を参考に整理・加筆した部分である。
 
◎笑い話と失敗談
①肝試しに出発する前に教務主任は怖い話をした。その時点で児童たちはとても怖がっていた。勇気をふりしぼって挑んだのだが、中には怖さのあまり吐き気をもよおす児童もいた。
*道の所々に先生たちが身を隠して見守る中、男女四、五人の児童が一組になって、宿舎から墓を通って社までの薄暗い道を往復するというゲーム。全員参加ではなく、希望者だけとなっていたが、児童同士がはやし立てる中で、「嘔吐事件」は起こったようだ。
 
③とても日差しが強く、立っているだけで汗が吹き出す猛暑の三日間だった。夢中になって遊びまわったのであろう六年生のある男子児童が、服を着ることも出来ないくらいの背中の痛みに襲われ、最終日は一人濡れたタオルを背中にまとい、クーラーの前で過ごした。
*日差しの強さは予想をはるかに上回ったようだ。三日目の海水浴は急きょ中止になった。その男子は、帰京後、校長の運転する車で、担任と一緒に家に帰っていった。
 入れ違いでチェーユッ(大田区にある東京朝鮮第六初級学校)の少年団がキャンプに来たので、日焼け対策をアドバイスしたとか。
 
④初日が終わるころに体調を崩した女子児童が出た。あまりの辛さからなのか、先生の問いかけに全てタメ語で答えていた。少しひやひやした。
*四年生の児童である。親元を離れての外泊と、猛暑の中での海水浴に一気に疲れが出たようである。
 
⑤当たらなかった、校長先生の食事のメニュー予測。「今日はカレーだ」との校長の言葉に、児童たちは食事の時間を楽しみにしていたが、テーブルの上にはチャーハンが。それでも児童たちは黙々とぱくついていた。
*最終日の昼食にはカレーライスがでて、驚くほどの食欲を発揮していた。
 
⑥就寝時、友達の寝言のうるささに耐え切れず、先生と一緒に寝た女子もいたとか。
*寝言がうるさかったのか、それとも寂しかったのか、それは秘密。
 
◎先生達の気遣いと苦労話
①児童たちを寝かしつけるのに神経を使う。(打ち上げを早く始めたいという気持ちも交錯していたようだが…)
*打ち上げの時、宿からは夜食を兼ねて刺身の盛り合わせとブリカマが出た。
 
②その打ち上げの場でも、終始児童の話で持ち切りだった。(常に児童のことを考え、その成長を喜ぶ、そんな先生方のことをうかがい知ることができた)
 
③女の先生は、児童の部屋にゴキブリが出た時は冷静さを装い平然と退治していたが…。(打ち上げでゴキブリが出た時は、大声で逃げ回っていた。)
 
④海の中でも児童たちの安全を見守りつつ、ずっと遊び相手になっていた。(投げたり…男の先生はそれで肩を痛める。)
*学校に戻ってきた教務主任の第一声が、「児童を抱きかかえて、投げ続けたので肩を壊した」だった。
 
⑤海に入った後もすぐにお風呂に入れなかった。(一二時過ぎにやっと入れた。)
 
⑥食事中も気が気じゃなかったようだ。落ち着いてゆっくり食事を取るどころではなかったようだ。(常に見回りったり、ご飯をよそったりして…)
*六月に下見に行ったとき、何よりも気遣ったことは、卵、蕎麦アレルギー対策だった。刺身や焼き魚などは、あまり好まないので、ハンバーグや揚げ物にかえたとか。一日や二日で好き嫌いをなくすことはできないので、何よりも健康、体力の保持を優先させたようだ。
 
 チョチョンウォンの現地報告は、リアリティーがあるが、まじめすぎる。肝試しで誰よりも怖がったり、日程表の中の「남새따기」の「남새」という朝鮮語の意味が分からず、「야채(いずれも野菜という意味)という言葉で育ったのだから仕方ないと、慰められたりしたチョチョンウォンがいたという、リポートの中のどの話より「笑える話」、「ドジ話」が書かれていなかったことは残念だ。
 
■W杯へは三九期卒業生の申技術部長も(次回)
 
 
 
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