朝鮮学校のある風景-その六
「統一評論」の連載に一部加筆
七月は一日給食に少年団のキャンプ①
書籍の販売のために、日本の市民団体が主催する「日朝問題学習会」に参加した。会場は、松本市内にある朝鮮総連長野県本部の集会場。講演に先立ち高校無償化のための署名が一万五〇〇名分集まったことが報告され、今年二度目になる支援金が、長野朝鮮初中級学校の李校長に伝達された。
教育関係者は『私たちの東京朝鮮第三初級学校物語』への関心が高かったが、訪朝経験者が多かったせいか、『私のピョンヤン訪問記』が予想外に売れた。
講演会の後は交流会-七輪替わりに、タイヤのホイールを用いて炭火の焼肉パーティーである。参加者の日本人たちは、会場の隣にある朝鮮学校から応援に来た、先生たちと親しく言葉を交わしていた。

幼稚園を併設した同校は、園児を含めて全校生七九人、三年後には一〇〇人規模の学校になるだろうと、李委員長は期待している。
この日は試験期間中で、土曜日の午後だということもあってか、児童の姿を見ることはできなかった。二階の応接室から見える田んぼと畑は、児童たちが近隣の住民たちに手伝ってもらいながら耕したという。青々とした稲穂が風にゆれ、朝鮮カボチャとキュウリは食べごろを迎えていた。

委員長が、東京朝高の同級生の息子と娘だと、二人の先生を紹介してくれた。何となく、うれしくなったが、紹介された先生たちは、気のせいか迷惑顔だった。
私もそうだった。父が教員や総連の専従をしていたころ、誰々の息子だと紹介されるのが嫌だった。そんな昔の出来事を懐かしく思い出していた。
意外だったのは、教職員の多くが、北海道や福岡、東京、西東京、栃木、静岡など、県外出身者だということだ。県出身者だと、先生同士が幼馴染だったり、学父母と先輩、後輩だったりする。「関係が濃すぎる」と仕事がやりにくいのでないかと配慮しているようだ。
独身の先生の多くは、今年編入してきた、三人の中学生と寄宿舎で生活を共にしている。連休や、夏休み期間中など、寄宿舎生が家に帰ると、自炊しなくてはならないのが、悩みだと男の先生は話してくれた。

ここでも女の先生は、つばの広い帽子とサンバイザーをかぶっていた。「紫外線は大敵」のようだ。関東甲信越が梅雨明けしたこの日、日陰だとはいえ、焼肉を食べながらも、それを脱ぐことはなかった。
■一日給食-喜ぶ児童にオモニたちも楽しそう
東京チェーサムに着いたのは、一〇時半を過ぎていた。校舎に入ると、左手の奥、教育会室の隣の炊事場から生温かい風が吹いてきた。
教員室に入ろうとすると、「学父母・学生出入り禁止(終業式まで)」の貼り紙が。翌週から期末試験が始まるからだ。
教員室を素通りして、医務室の隣の校長室で李校長と暫しの雑談。一日給食は、本来七月と、九月の曾祖父母を迎えての「同胞敬老の日」と二回だが、学校創立六五周年を迎える今年は、一二月の創立記念日を前後した土曜日にも「特別給食」を考えているとのことだ。
この日のメニューはカレーだ。蕎麦アレルギーや卵アレルギーなどの児童を考慮しつつ、皆が大好物のカレーに落ち着いたようだ。
隣の会議室と炊事場からは、給食担当の六年生のオモニたちの少しかん高い話し声と、けたたましい笑い声が聞こえる。仕込みが一段落したのであろう、八月のサッカーとバスケットボールの全国試合の応援の相談をしているようだ。これがもし授業中の教室だったら、担任先生の雷が一つや二つ落ちていたであろう。
一二時を回ると、ルーを投入したのか、煮詰まったのか、廊下にカレーの香りが充満しはじめる。
「一年生は○人休んでいます」「○年生は…」。各教室に配られる器の数が次々と確認される。

廊下ですれ違う児童も、落ち着かない。
「おかわりは何倍までですか」
「無限、何杯でも」
答える先生も、カレー大好きな口になっていた。
一二時四〇分を過ぎると、ご飯とカレー入れた大きな鍋が次々と運ばれていく。
オモニたちは三人一組で、皿ではなく、どんぶりにご飯をよそって、カレーをかける。トッピングは児童の自由だ。ゆで卵と粉チーズに横に、ウリハッキョらしくオイ(キュウリ)キムチもあった。

起立してオモニたちに感謝の言葉を述べて、席に着き食べ始める。
しばらくすると、二、三階の教室から空の鍋を持ったオモニたちが一階の炊事場へ駆け込む、重そうな鍋を持って、あわただしく教室に戻る。汗がふき出ている。

子供のカレー好きは、昔も今も変わらないようだ。
高学年の教室は、おかわりのために立ったり座ったりする児童で騒がしい。一年生は初めての給食に少し興奮気味だ。二年生の教室は食べるのに一生懸命なのか静かだ。
三年生の教室をのぞくと、男女六人の児童がどんぶりを持って、オモニと先生の前に立って首を垂れている。おかわりをしたのだが食べきれず叱られているのだ。それを見ながら一番前に座った男子は、残せないと覚悟したのか、立て続けにスプーンを口に運んでいた。
「ミアナンミダ」、ごめんなさいの六人の小さな声が愛おしく聞こえる。
帰りがけに炊事場をのぞくと、食器洗いの真っ最中だった。児童と教職員合わせて一五〇人分のどんぶりを洗うだけでも一仕事だ。朝から育ち盛りの児童や食べざかり(?)の先生たち、一五〇人分のジャガイモとタマネギの皮をむき、ニンジンを切り、大きな鍋をかき回し、それに後片付けである。それでも最後まで、オモニたちの大きな笑い声、話声は絶えることはなかった。

六年生の教室の窓際には、六つのテルテル坊主と「キャンプ お願い!!」と書かれた紙が貼られていた。翌週の土曜日は、少年団のキャンプだ。当初は例年通り、終業式の翌日の出発だったが、少しでも経費を安くするために、一週間早まった。
■四六〇枚の写真が物語るキャンプ(以下次回)
■シリーズ・朝鮮学校の歩みⅧ「続・東京朝鮮第三初級学校物語」
(体験記録編・一九四五~二〇〇九年)刊行のお知らせ
二〇〇七年刊行の「物語」の続編。草創期から現在に至るまでの
児童・学父母・教職員の体験記録と児童の作文・アンケート調査の結果などを収録。
目次・内容などは
www4.ocn.ne.jp/~uil/tokyo3.htm
A五判・三九〇頁・頒価二、八六〇円
一粒出版 TEL.FAX 03-6279-3356
連載中の月刊「統一評論」 660円
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