朝鮮学校のある風景-その四 ① | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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連載中の「統一評論」(2010年7月号)の原稿に加筆
 
 
 
朝鮮学校のある風景-その四 ①
 
 
 
 
五月は新人戦に運動会
 
 
 
 
 学校を訪ねる度に、思いもよらぬ出来事に出くわしたり、心温まる話に接したりする。昔、もう四〇年近く前の話だから昔であろう。入社した新報社で、半年もすると、地方出張に出される。出張先では二日で三件取材して、六千字を書くのがノルマだった。それで、取材ネタに詰まると決まって訪ねたのが、ウリハッキョだった。半日もいると、「好い話」を二つ三つ原稿にすることができるからだ。
 今年に入って、月に何度か学校を訪ねるようになったが、そのたびにそんな「昔」のことを懐かしく思い出している。
 その日は、五月に入って初めての訪問だった。
 いつものように、挨拶がてら教員室に立ち寄る。予定が書き込まれた黒板の隣に貼られた、茨城朝鮮初中高級学校の呂先生宛ての手紙が目に留まる。そこには、四月の初任給の一部を母校に送ってくれた呂先生への感謝とともに、そこに込められた熱い気持ちを大切にし、先生のように頼もしく立派な卒業生を育てるためにこれからも尽力するとの決意がつづられていた。
 呂先生は、東京チェーサムの二〇〇一年卒の五四期生である。彼女とは昨年夏、彼女がアルバイトしていた焼肉店で会っている。そのことが縁で、「続・私たちの東京朝鮮第三初級学校物語」の中で、小学校の先生になる夢を語ってもらった。
「卒業したら、地方の学校に赴任する覚悟もあります。…何よりも甘えん坊の自分が親元を離れてひとりでやっていけるのか心配ですし、友人と離れるのもとても不安です。それでも私は教師になりたい」(『物語』一二五頁)
彼女は「自分が何をするかよりも、どのように生きるかが大切だと思います。人々の思い出に残る人が一番幸せではないでしょうか」とも語っていた。
 今春、希望を叶えた彼女は、「人々の思い出に残る」第一歩を確実に踏み出したようだ。
 学費の足しにするために、焼肉店で働いていた彼女のまぶしい後ろ姿が目に浮かんだ。
 
■体力測定-先生の一言で記録アップ
 五月の第二週の土曜日、学校の年間計画表には「体力測定」となっている。
 学校に着くと、何か慌ただしい。水筒を持った児童が校舎の前のさほど広くない校庭に学年別に整列する。
てっきり、運動場でやるものと思っていたが、会場は近隣の区立の小学校。体力測定の項目は、五〇メートル走、幅跳びとソフトボール投げの三種だが、狭い運動場では直線で五〇メートルを走ることができない。それで、土曜休校の近隣の日本の小学校の運動場を借りての測定である。
 昨年、雨で中断された運動会の続きを一週間後の土曜日に行ったが、その日も雨にたたられ、急きょこの学校の体育館で行っている。
 オモニ会のブログには、当日の様子が次のように書かれている。
「五月三一日に雨により中断された運動会が六月六日(土)に再開されました。どんだけ雨男と雨女がいるのでしょう…やはり雨…。
広い運動場も体育館もないウリハッキョ。お隣の日本学校の体育館をお借りして行いました
こちらの日本学校には事あるごとに運動場や体育館をお借りしております。いつもコマッスンミダ!!
競技も一部変更されました。(綱引き→玉入れ)
低学年と高学年に分かれて行われた玉入れ。クラスごとに赤と青に分かれ大縄跳び。
運動会一番の盛り上がり、紅青対抗選抜リレー。最後のリレーはツルツルすべる体育館で転びそうになりながらも一生懸命走っていました。
もっと広い運動場で走らせてあげたかったなぁ~。
まあ、こんな運動会もあったなぁ~と思い出に残ること間違いないでしょ!」(二〇〇九・六・八)
学父母は、極めて楽観的である。
 
 
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 高学年が低学年をかばうようにしながら、横断歩道を渡って、区立の小学校へ。水筒を学年別にベンチの上に並べて、大きな木の日陰で児童たちは待機する。
 六年生たちは大活躍である。担任の先生を手伝い、ボール投げの会場づくりだ。扇方に直線を描き、それを一メートル間隔で区切って線を引く。教務主任の金先生が砂場を覆ったシートを外すと、児童は砂をスコップで掘り返して、幅跳びの準備である。四年生担任の成先生は、児童に五〇メートルを測らせ直線を引く。
 みな手慣れたものだ。
 この日は、三〇度以上の真夏日というわけではなかったものの、熱い一日だった。
 女性の先生は、三年の金先生を除き、全員大きなつばのサンバイザーを被っている。
 「ソンセンニム(先生)、それ百円ショップで買ったでしょう」と、からかう児童もいるが、「紫外線は大敵だ」とのことで、けっして脱ごうとはしない。
 
 
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 いつもの「バスと電車を乗り換えて…」愛校歌を児童が歌い始める。
 成先生がタモリと志村を真似て、少しおどけながらいくつかの注意事項を伝える。この日、繰り返し強調されたのは、水分補給である。
 測定が始まっても、六年生の活躍は続く。
 幅跳びでは、飛び方の範を示す、飛び終わると素早く着地点を確認する、メジャーで測る、記録する、飛び終わった跡をほうきでならす。ボール投げでは、測定と記録、そしてボールの回収。二人が同時に走る五〇メートル走では、タイムは先生が測り、記録は児童が受け持つ。気を抜くことはできない。
よそ見をしながら走る、ボールを前に飛ばせない、ジャンプができない-そんな、走ることも、投げることも、飛ぶことも不慣れな一年生の世話で、先生ともども大わらわである。
とにかく暑い。炎天下である。
 測定の合間、日差しの弱い木陰や、校舎の脇に児童を誘導する先生、「水は飲んだの」、「トイレは大丈夫」と新入生を気遣う先生。
 「一回目より少し早かった」、「最後まで気を抜かないで」、「もっと上に向けて投げてみたら」、「立ち位置を変えなさい」、「ジャンプ! ジャンプ!
 一人一人に声をかけ、励ます先生も大変だ。それでも先生の的確な指示どおりに再チャレンジすると、記録は確実に延びる。児童の顔がほころぶ。児童が先生への信頼を高める場にもなっているようだ。
 
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 低学年は、体力的にも女子の方が勝っているようだ。高学年も先生の言いつけをきちっと守り、測定、記録など任されたことをてきぱきとこなすのは女子のようである。(以下次回)
 
 
 
 
◎シリーズ・朝鮮学校の歩み
Ⅰ「私たちの東京朝鮮第三初級学校物語」(一九四五~六七年・証言編)
Ⅱ「朝鮮学校は民族、統一、共同体の価値を持つ宝庫』(ソウル発インターネット新聞の特集)
Ⅲ「復刻版・東京朝鮮中高草創期十年史」
Ⅳ~Ⅵ「ぼくらの旗-君はあの頃(都立)の東京朝高生を知っているか?(三部作)
Ⅶ「私の中の一九四八年朝鮮人学校教育事件-アメリカ占領軍に抗して」
Ⅷ「続・私たちの東京朝鮮第三初級学校物語』(一九四五~二〇〇九年・体験記録編)
 
 
目次・内容などは 
www4.ocn.ne.jp/~uil/tokyo3.htm
一粒(한알)出版 
TEL.FAX 03-6279-3356