新国立劇場オペラ「タンホイザー」(02/02)の感想 | まるこブログ

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昔は、新国立劇場のオペラは全て観ていたのだが、最近は年に3回くらいしか行かなくなってしまった。

(バレエには家族から呆れられるほど行っているけれどもキラキラ

それでも新制作ものと、好きなワーグナーものは、可能な限り観ようと思っているので、今期の「タンホイザー」も、しっかり見届けた!



ただ…このところ私は体調がイマイチで、特に腰から背中、肩にかけてがずっーと痛い。

しかも年末にピアノを弾き過ぎて拗らせた腱鞘炎が、なかなか治癒しなくて、これもずっと痛い。(腰から肩が痛いのも、原因はこの腱鞘炎を庇って生活しているからだ…ぼけー

そんなわけで、この「痛い」を抱え、劇場の狭い椅子に座り続けることを考えると、それだけで憂鬱になってしまうわけだが、入場してタイムテーブルを見たら、分かっちゃいるけれども、ワーグナーものはやっぱり長い!




まあ、「タンホイザー」は、ワーグナーにしてはそこまで長くはないのだが… (指環なんかだと、14:00に始まっても終わりは20:00過ぎたりしますしねー

なにしろ新国立劇場では「背中を座席の背もたれに付けたまま」にしろと四六時中言われるわけで(←そうしないと後ろの人が見え難くなるから)、その姿勢を4時間守るとなると、はたして私の腰から背中はどうなるのであろうか…???

…と思って自分の席を見たら、「おお!これは助かった!」という最後列。

昨年セット券でこれが来た時には、「なんで最後列?!」と怒り心頭だったものの、今となっては有難い。

最後列なら、背中を背もたれに固定しなくとも、後ろの誰にも迷惑は掛けないから、ある程度姿勢が変えられ腰と背中がラクを出来るニコ




開演。


序曲が始まるや、「あ〜やっぱり来て良かったなぁ」と満足感で一杯になった。

ワーグナーはいいなあ。

学生時代は少しも心惹かれなかった作曲家だったけれど、歳を取るほどに好きになる。

舞台美術が、まるで「これからの話は全て一つの観念上の物語に過ぎませんよ」とでも言いたげに、可動式の「ステージ」を組み立てるところから見せてくれるのは、なんとなく邪魔に感じたけれども、まあ許容範囲ではある。

そして、我が愛する新国立劇場バレエ団の登場となるわけだけど、やはり彼らの美しさは比類ない!

この野暮ったい運動会の組体操みたいな振付、全く綺麗でもない衣装で、ここまで美事に踊ってくれるのは、新国立劇場バレエ団だからですよ!!!

…しかし、メメット・バルカンは名のある振付師ながら、このタンホイザーを見る限り、私は好きになれない。

ダンサーが可哀想だと、特に前半は気分がモヤモヤしてしまった。



次に、歌手の感想。


題名役のトルステン・ケールは、とても良かった。

「タンホイザー 」を観るときにいつも感じる、この役への嫌悪感と共感のどちらもが、彼の歌唱と演技には自然と持つことができたし、なによりこの人は発声が素晴らしい。

長丁場の役柄の中で、冷静に自分の声をコントロールされていて、最終盤のローマ語りでは迫力十分で胸に迫った。


ヴェーヌスのアレクサンドラ・ペーターザマーも良かった。

冒頭の二人のシーンを聴く間、ありがたいことに私の腰から肩、手首への慢性的な痛みは影を潜め、一度も顔を出さなかったくらいだ。


タンホイザーの「お友達」ヴォルフラムのローマン・トレーケルは、残念ながら私の好みではなかった。

私が嫌いなタイプの不安定なバリトン。

昨日の調子が悪かっただけなら仕方ないけれど、なんとなくそうではない気がする。


エリザベートのリエネ・キンチャは、とても良かった。

最初の「Dich, teure Halle, grüss' ich wieder」を聞いた瞬間は、もしかしてこのコはアホなの?…などと思ったが、それはハッキリ気のせいというもので、話が進めば進むほど良い歌手だった。


日本人歌手では、妻屋秀和さんが相変わらず大きな声で、体格的にも立派だったし、ビーテロルフの萩原 潤さんが素晴らしかった。


ワーグナーものでは「主役」と言えるオーケストラも、アッシャー・フィッシュ指揮のもと見事に健闘されていたと思う。

長丁場を狭いピットで、どんなにお疲れかと思うけれど、夢のような時間を創ってくださり、本当に感謝だ。





しかし…

「タンホイザー 」って、音楽は大好きだけれど、この物語は、何度観ようが、どの登場人物にも感情移入ができない。

これでも一応私はカトリック系の学校に12年間も通って、聖書はいやというほど読まされ、レポート書く宿題も真面目に出してきたし、幽霊会員とはいえ一応「信徒」に登録されてもいるのだぼけー

「罪」とは何か?

何度も考え(考えさせられ)てきた。


それでも、分からない。

「罪」とは、何なのか?


キリスト教のいう「罪」とは、要するに「神の意志に反して的外れな考えを持ったり行動すること」と教わり、つまり「人間は生まれながらに全員罪人」とも刷り込まれ、でも「キリストを信じれば許されますよ」と諭されてきた。

でも、その「神」って、要するにキリスト教の唯一神であって、それを信じない人は、そもそもからして救済の外にいる、救いようのない、地獄に落ちるしかない人ってことになるわけで、私はもうその考え方からしてイケ好かなくなって久しい。

今の私は、唯一神の信仰は怖い。

どうしたって排他的になる。

まさに「タンホイザー 」の世界だ。


私がタンホイザーなら、エリザベートの祈りなど不要だし、法王からの赦しも要らない。

人間は皆、生まれながらに罪人なのは分かる。

じっさいこの地上に生まれ、誰にも何にも災厄を及ぼさない人間などいるだろうか?

そこはもう自覚して、引き受けて生きて行く以外にないではないか?

キリスト教の神は「ヴェーヌスベルクの神」を認めないが、その「認めない」ことが、どれほどの災いを世界にもたらせていることか?

だいたいローマなんて、私は暫く住んでいたけれど、大昔から巡礼者と観光客を言い方は悪いけれど食い物にして繁栄してきたわけだし、それは現地住民もよーく自覚している。

ローマ法王だって、最近の人は知らないけれど、タンホイザーより罪深い人は数え切れないほど存在したではないか?




思えば、「罪深い」ことでは誰にも負けないワーグナーは、どんな思いでこの作品を世に問うたのだろう。

そんなこんな考えると、結局何周かグルグル回った挙句に、私は「タンホイザー 」を愛さずにはいられないのだ。

「罪」というものの本質を、まだまだ私は掴めていないと、毎回必ず教えてくれる。



また「タンホイザー 」の上演があったら、その時にも、この難問に思いを巡らせたいし、それが一番の本作の楽しみ方かもしれないと、最近は特に思う。







新国立劇場オペラ「タンホイザー」
2019年02月02日(土)14:00
オペラパレス

【指揮】アッシャー・フィッシュ 

【演出】ハンス=ペーター・レーマン 

【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック 

【照明】立田雄士 

【振付】メメット・バルカン 


【領主ヘルマン】妻屋秀和 

【タンホイザー】トルステン・ケール 

【ヴォルフラム】ローマン・トレーケル 

【ヴァルター】鈴木 准 

【ビーテロルフ】萩原 潤 

【ハインリヒ】与儀 巧 

【ラインマル】大塚博章 

【エリーザベト】リエネ・キンチャ 

【ヴェーヌス】アレクサンドラ・ペーターザマー 

【牧童】吉原圭子  

【合唱】新国立劇場合唱団 

【バレエ】新国立劇場バレエ団 

【管弦楽】東京交響楽団