彼女に会いたいなあ。
彼女が立てて呉れた今年の目標は、いっぱい出掛ける事だ。
だから、休日は二人で色々な場所へ行っている。
けれど、不意に平日に一寸だけ会えないかな。
こんな俺でも年度末で少しバタバタしている。
時間が必要だ。

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幼稚園や小学校に通っていた頃は当然クリスマスが楽しみで成らなかった。
中学生に上がってからも大分好きなイベントだった。
と云うのも、ケーキ、ジュース、チキン、ツリー、リース、サンタクロース来訪、何をとっても普段とは違った楽しい両一日と成る事が分かっていたからだ。

高校生に成ると、恋人も居らず友達も少なかったし、一方で一々家族でお祭りにするのも面倒だったので余り好きではなくなった。
子供ではなくなりつつあったので、サンタクロースも来なくなった事であるし。
詰らない知恵が付いて、「そもそもがクリスマスとはキリスト教徒の祭りであって…」等とも少しは考えていた。
恥ずかしい話である。
そもそもキリスト教徒のお祭りに成る前は欧州各地の土着宗教の冬至に関連する祭りだった。
又、輸入された文化が独自の発展を遂げる事は我が国に限らず全て世界で行われる事である。
そんな事を一々云い出すなら、餃子を焼いて食べるのも、フローリングの家で靴を脱ぐのも、活字を縦に組むのも、全部批判しなければいけない。
デッサン用にあつらえたパンをつい食べて仕舞うのも、新聞紙でお尻を拭くのも、学校のパソコンでエッチなサイトをブラウズするのも全てダメだ。と、これは全然違う例えか。

さて。大学に入ってからも長らく恋人がいなかったので、インターネット・スラングたる「リア充爆発しろ!!」を繰り返して唱えていた。
唱えながらもクリスマス会と云う名の酒宴を二日間とか三日間とか開いて、いつもより美味しい食事をし、酒を飲み、それからカラオケでアニメソングばかり歌っていた。
此れは此れで楽しかった。少なくとも一緒にクリスマスと云う素敵な時期を過ごす相手がいたのだから。

そして、恋人が出来てからは、もう普通のカップルがするような事をしている。
食事して、プレゼントを交換して、翌日まで一緒に過ごす。
ずっとしたかった事であるので、とても楽しい。
一年目はダブルデートをした。場所は大阪市内だった。
二年目は夜景を見に、やはり大阪の湾岸方面へ行った。
三年目の今年は、大阪ではなく京都へ行く。
もう明日所か今日の話である!寝なければ!


やほー(*^.^*)

長い間服を買いたいと思いながらずっと買ってないーあせる
社会人として、もう少し私服のラインナップを充実させたいビックリマークビックリマーク
それで、デートしたい!!アップ
あと、友達にも見直されたい!(´∀`)
新しい装いが出来れば、外出がきっと楽しいし、自信も持てると思う。

でも、服屋に行っても、欲しくなるのは、シャツばっかり・DASH!
本当は、上から下まで全部必要なんやけどね。
靴、靴下、ボトムス、Tシャツ、シャツ、アウター…。
それに、ベルトとかも!!!

あと、時計の電池替えたい。
何故か後輩と丸被りして大爆笑だった、ディーゼルの時計腕時計

給料日さえ来れば、全部買えるんだけど、いざとなると財布を開けない。
この消極性はなんなんやろ…。

でも、秋物買うなら十月中やね!

ほんじゃ!
恋人と喫茶店で待ち合わせ、派手でないが楽しげな映画を見、百貨店でグラスワインとカクテルを一杯のみ傾けながらメキシコ料理を食べた。
映画の題は「ミッドナイト・イン・パリ」、レストランの名は「チコ・アンド・チャーリー」と言った。
もしゴールデン・エイジのニューヨークなら、食事が終わってからコニィアイランドへ渡って、散歩をしてから木陰でキスでもしそうな、感じのいいデートだった。
村上春樹の小説の主人公に言わせれば「小綺麗」だろう。いい事だ。
色々奢ったり奢られたり。
そして帰るなりもう次のデートの事を考えている。もっと多くの時間を共に過ごしたいものだ。
金曜日の晩に記憶を無くすほど酔っ払って仕舞った。
其の事に対する反省はわざわざ書かない。

さて、大阪市内で目を覚ました俺は、重たい頭と酒臭い胃を回復させるべくラーメンを求めて梅田を歩く事にした。
酒を飲んだお陰で吐きそうな時は、ラーメンが最高の処方箋なのである。
此れは俺の見立てに過ぎないが、ラーメンには以下の効用が備わってゐるだろう。
即ち、冷えた胃を温め、鈍った舌にも訴えかける味の濃ゆさがあり、油が胃に膜を張って呉れる。

そんな訳でラーメンを食べるべく、土曜日の朝の九時と云う極めて半端な時間に梅田の繁華街を歩き回る事に成ったのだ。
そして、何処も準備中の札を認める事しか出来なかった。
歓楽街ならば或いはと思ったが、其れでも朝の五時まで開いてゐても、九時は論外だった。

十一時開店の店が多い中、調べると、此の揚子江ラーメンだけは十時半に開くと云う。
吐きそうに成ってドン・キホーテの近くで座り込んだりしてゐる内に、何とか十時半に成った。

揚子江ラーメンは、薄味でさっぱりとした味が特色らしく、又有名店らしく、午前中から客が五人か六人かはゐた。
俺が食べてゐる間にも何人も来た。

ワンタン麺を食べたが、本当にあっさりしてゐた。
そのスープは、塩胡椒しか入ってゐないのではと思えるほど透き通っており、味からして、本当にそうなのかも知れない。
「ラーメン」と云う響きの持つ、あの濃く濁った感じとは正反対にあり、所かうどんやそばより余程薄味だった。
シンプルな状態で出された物を、胡椒や揚げ玉葱を好みで掛けて味を客が調えて食べる方式と云うのは、少し中国大陸的かも知れない。
大連でああ云う味の食べ物を何回か食べた様に思う。
確かホテルの脇、細い路地を挟んで向かい側の、鍋料理店の様な、鉄板料理屋の様な、良く分からない店舗だったか。

三泊程度の心許ない印象に基づいてであるが、此の揚子江ラーメンを俺は「本場の味」に認定し申し上げる。
是非他のメニューも賞味したい。


内装は、何処となくレトロ・フューチャルな印象。いや、レトロなだけだったろうか。
値段は梅田のラーメン屋にしては可也安い。
単なるラーメンだと、五五〇円である。
俺がぺいぺいもいい所の下っぱであるのに対し、皆十年近く働いてきた中堅の人々である。
そんな人々に囲まれ、出来の悪い俺は笑われたりからかわれたりしながら実習をしている。

立場や何やかやが違い過ぎて、彼等のいうことは本気なのか戯れなのかよく分からない。
次の手順や効率的な動き方もよく知らない。
分からない事しかない。
それに、表情が疲れているなど指摘されるだけでも悲しくなる。表情一つ偽れないとは余りに不甲斐ない。

いつでもとてもストレスを感じる。一時間に百回くらい、こいつらいつかぶっ殺すと心中唱えて遣り過ごしている。

だが、帰り道に少し冷静に考えた。
俺は諸先輩方を実際に抹殺したいのではない。
いずれ見返したいだけなのだ。
あんな教養のない人々に馬鹿にされるばかりではなく、何とか職業上の実力で伍して今の様な体制を打破したいのである。

明日の午前中は比較的簡単な実習である。
今日ほんの少しだけ勉強しておいて、まずは明日少しばかりの好評を勝ち取ろう。
そして来年の春迄にはぶっ殺してやる。

今日は、お弁当に笹身を棒々鶏風にした料理を入れました。
味が若干薄くて残念でした。
ゴマペートをゴマドレッシングで代用したからか、茹でた笹身の水分がきっちり切れていなかったからのどちらかでしょう。
一方で、もやしとかをバターで焼いて醤油で味つけたおかずは成功でした。
全部美味しいお弁当を作るのは難しいです。二品しか入れていないのに、おかしな話だと思います。
明日は何を食べましょうかね…。
今日はスーパーマーケットに寄って帰ります。


ブログを始めるに当たって、「大学が家から遠い」という名のブログにした。
そこには、大学が家から遠いことを言い訳にしてサボり倒した揚げ句、単位が足りずに留年し、将来を棒に振った自分への軽蔑や、それでも卒業していかなければならないし、通うしかないと云うさっぱりした決意があった。

そして虚しい位にあっさりと単位が修得出来、卒業してしまった。
在学中に何とか勝ち得た内定も、内定から実際の採用となって今や早めの研修を受ける身である。

職場は大学よりも近い。
大学よりは朝が早い。通うべき日にちも多い。
だが、何とかなっている。
朝はおろか昼にすら起きられなかった生活をしていたにも関わらず。
弁当の献立を真面目に考えていると、在学時の記憶が夢だったかの様にすら思えてくる。
生活が地続きでない感覚。
学生証を持ってゐても、もはや学生ではない。

俺はいつでも大学から遠く離れて暮らしている。
彼女と石川県の加賀地方を旅行した。一日置いただけで、友人と中国は大連へ旅行した。
前者がまったりと寛ぐ事の出来る旅で、後者はみる物が全て新鮮な目まぐるしい旅であった。

石川県は、大阪から電車で三時間か四時間かで行けるのに、大阪とは全く違って、田舎だった。
金沢市中心部は栄えていたが、とはいえどことなく地方都市と云った風情が漂っていた。
それは恐らく、金沢市内だけが都会であり、少しでも中心を離れると田園風景が目立つからだろう。
電車の運行本数や車両が少ないのは、市内外を移動する人口が少ないからであろう。
地下鉄がなく、バスのみが頻繁に往来を行く様も「都会」と云うには物足りなかった。
とはいえ、各地の地下鉄の様に赤字を重ねる様では困るので、あれで合理的だと思う。
それに、バスからは景色が見えるので良いと思った。
金沢は兼六園と二十一世紀美術館しか行っていないが、俺の気に行ったのは兼六園の方だった。
広く、起伏が有り、池も有し、冬だったので独特な雪吊りが付いた松がとても日本的であった。
場所によっては全く市街地を意識しなくて済む所も良かった。
宿を取った加賀の山には、二月末だったが、雪景色が見れて満足だった。
豊かな水量を湛える渓流があり、その脇の、凍りついた危なっかしい散歩道も裏を返せばそれだけ自然に近くて良かった。
俺は冷たく澄んだ空気が好きなので、まさしく好ましい空気を胸一杯に吸えてそれも嬉しかった。
海が近いからだろうか、海産物がとても滋味に溢れていた。
特産だと云うほうじ茶も実に良かった。飲んだ瞬間に茶葉を買って帰る事を決めた程である。
そんな風な事を、彼女とゆっくりと過ごしながら、やはりゆっくり考える事が出来た。

大連市は飛行機で行ったので、移動時間だけで言えば石川県よりもずっと近かった。
しかし、空を飛び海を越えて行くと云うのは実に胸躍る事であった。
着陸態勢に入り、雲を抜けて大連市街が見えた時は感慨が在った。
建物が日本の様式とは違ったし、整然として広い広い街並も異国を感じさせた。
空港に戦闘機が居たのも驚きである。
旅行会社の手配して呉れたバスで宿迄連れて行って貰ったが、窓の外の風景は、云うならば全て「大陸的」であり、大きな国ならではの景色なんだろうと思えた。
ホテルは純様式で、まあ綺麗だったが、室内の綺麗さの方向が若干ラブホテル趣味であった様に思う。
と云うのは、恐らく、控えめな豪華さ、という概念がないからだろう。
便器も冷たく噴水も無かった。まあこの辺りも日本とは違う証明にはなっても、世界的にはサービスの質には影響がないに違いない。
中国を行き交う人々は、総じて服装が地味だった。黒い。それか、安っぽい原色の服を着ていた。
傘をさす人は珍しく、また、寒い土地であるのに、マフラーや手袋をした人も少なかった。
スマートフォンを持つ人が多く、羨ましかった。マナーモードの概念はないようだった。
バイクはノーヘル、車は雑な運転が基本だった。しかし、信号は必ず守っていた。
繁華街に物乞いのお婆さんが居た事や、コンビニで冷えた飲料が殆ど売ってゐなかった事に貧しさを感じた。
しかし、積極的物乞いを観たのは初めてだったのだが、日本でも空き缶に現金を入れて貰おうと待っている人々は居る。
そう云う事を考えると、少なくとも貧富の格差は日本程度である(様に見えた)。
観察と考察とを繰り返してゐたし、日本語が通じないのでずっと忙しかった。
日本での移動中も含め、関空のツタヤで買った文庫本が二冊も読めた。

彼女と旅行した石川県では詩集すら殆ど開かなかったので、そういう意味では、中国旅行の方が暇が多かったのかも知れない。
ただ、その辺りについて考える事には慎重さを要するだろう。
というのも、日本に居て、彼女と云う大切な人と時を過ごし、旅行する事すら初めてであるのに、本等読むに値しないと云う事。
本を読むと云うのは俺にとって生活の一部であるが、恋人との旅行と云う重大な現実の中に在って、一人本を読むと云うのは無価値である。
だが、温泉旅行であるので、何をするでもなくのんびりする時間は多く有った。
一方の中国旅行では、見慣れない簡体字に囲まれ、日本語はおろか英語も殆ど通じず、ふらふらと歩きまわるばかりで、気心が知れ過ぎて遠慮のない友人との関係では僅かながら摩擦も有り、疲労が溜まり勝ちであった。
そんな中に在って、少しく一人の時間を作り文庫本に目を通すと云う事は何よりの休息だったのである。
それに、俺は普段詩集を読みつけないので、一寸した困惑も有ったのかも知れない。

因みに、石川県には詩集だけを持っていき、中国には旅行記と日常系エッセイの二冊を持って行った。
石川県に来てゐる。
普通の客室を予約したので、和室のワンルームかと思っていたら、広い玄関や小さいが窓際の洋間や二部屋目の和室も有ると云う豪華さであった。
背の低い箱に入った大きな灰皿や、お茶受けの菓子みたいな小物が、贅沢な気分を盛り立てる。
しかしもう最終日で、哀しいかな夜迄に大阪に帰る。

昨日は金沢を半日回った。
金沢に行く事は予め決めてゐた。
金沢へ行くからと思って室生犀星の詩集を借りて持って来た。
旅情を高めようと思っての事だ。
平安時代の雅人なら、わざとらしく無粋だと言った事だろう。
だが、そんな自己反論がどうでも良くなるくらいにのんびりした気分でゐる。