”ライフ・イズ・ビューティフルと。” | よろぼい日記

よろぼい日記

杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 

           
          
 

 

タヒチからの乗り継ぎの客を待って出発するコンチネンタルはツアー客よりむしろぱっとしないビジネスマンや軍関係の下請けが大半を占めているようだった。
ディナーも終え、照明を落として数時間もすると、みな疲れているらしく、機内はいつのまにか静かになった。
ねねは黒人女性と隣り合わせた。
その女性は看護婦で、急逝した父の葬儀に参列するためガム島の米軍基地からヒューストン経由でフロリダの田舎まで戻るという。
ねねとは意気投合していたようだった。
互いに流暢な英語で、家族のこと、猫のこと、最近話題になっている沖縄の米軍基地のことなどを語り合っていたが、ねねが隠し持ってきたボトルが空になると、看護婦は、耳あてと眼帯をつけ、ぴんと背中を伸ばしてバックシートにもたれかかってしまった。
ねねは客室乗務員の目を盗んでもう一本取り出して、ぐびりとラッパ飲みした。
「あの女、あたしのことをハリウッドのお招きを受けたのですか、といったわ。お世辞よ、でもその意味、あなたに理解できて?」ねねは興奮していた。「この便を探し当ててわたしとてもラッキーだったわ。女優と勘違いされたなんて何十年ぶりかしら?叩くだけ叩いた航空券も信じられないほど安かったし、あなたなら、エドガーもきっと歓迎してくれるよ。ラッキーよね。ねえ、これってライフ・イズ・ビューティフルってことじゃない?」
手元のアルコールは綺麗に飲み乾すまでやめない女だった。
「飲みすぎだな、ねね」私は窓から海を見ていた。「つまみ出されても助けてくれるような豪華船もタグボートも見えないぞ」
「ビューティフルな気分のときは、誰だって飲みすぎてもいいのよ」
「誰がそんなことを決めた?」
「キリスト様よ」
「あんたのキリストにかかると手も足も出せんな」
「あたしの場合、墜落しても、きっとトランポリンを広げて救援隊が受け止めてくれるの。だからあたしいくら飲んでいいのよ。だから、これ、いただくわ」
ねねは私のポケットから錫製の小型水筒をひょいと奪った。
「ああ、おいしいウオトカだこと、とてもきくわ」
「毒入りだから、半分ほど残しておいてくれるとありがたいぜ」
「期待していて。だけど、ライフ・イズ・ビューティフルがネックね」

肌の浅黒いパーサーが来た。
低い鋭い声で、持ち込みは困るとがたがたの英語でいって、錫の水筒を取り上げ、取り付くしまもなく中身をボールに流してしまった。
「最悪ね」ねねは毒づいた。「礼儀知らずめ、しっ、あっちに行け」
日本語は分からないというように、パーサーは肩をすくめた。
「うそつき、ユーアー、ライアー、アンドごみ野郎。ゴーアウト、アンド失せやがれ。あほめ、糞ったれ」
取り合わないが一番だ。
一万メートル上空を時速千キロで静止したように駆け抜けるジェット旅客機の小窓から私は外界をのぞいた。
ねねはせなかを丸めて眠り込んでしまった。


もう、20年になるのか。
ある日、地方競馬場でみぐるみはがれ、銀行強盗でもして金を手に入れようかとゲートをふらふらと歩いていると、ふと、はずれ馬券をあさっている女がいた。
「強そうね」

「喧嘩だけはな」

「ねえ、一杯ご馳走してくんない?のどがからからなの」
見てくれのいい女で、何か喋るとあたりがぱっと華やいだ。
「あいにく、おけらでね。コーラーしか、ご馳走できないぜ」
「コカ・コーラーはいや。糞のにおいがするわ。ツケのきく店、あって?」
「あるがね……」
「出入り禁止なのね。どんぴしゃりでしょう!でもいいわ、あたし、今日は派手に飲みたい気分なの、ちょっとつきあって」
ねねは、ひょいと手をあげて通りがかりのタクシーを止めた。
容易に想像できたが、ねねにいいよるろくでなしはあとをたたなかった。
銀座に画廊を持っているやつとか、千葉の産婦人科医とか、深夜NHKのアナウンサーとか、議員の私設秘書だとか、名の売れた声優だとか……私もろくでなしだったが、のし上がるために必要な教育も、明日も、係累もない、ドヤ住まいの博徒だった。
ねねは、私に読み書きを教え、着ているものはもちろん、髪の形から箸の上げ下ろし、言葉づかいまでうるさく文句をつけながら、金につまるとインチキな投資話を持ちかけ、あちこちの賭場でせしめた私のあぶく銭をむしり取った。
さすがに化粧品のネズミ講にはひっかからなかったが、秩父の山奥やそのあたりに点在する二束三文の調整区域なら、目をつぶって話に乗った。

そうしていれば、ねねは必ず寄ってくるし、やがて時代の底がぬけ、ねぐらにも食い物にも見離される日が来ることはわかりきっていたからだ。

――それにしても、いったい何度別れ、何度よりを戻したことか。

 

それも、これが最後だった。

私は、河川敷で知りあった片手のない娘と子をもうけ、誰も来ない秩父の山奥で暮らしていた。片手はないが、女は私と瓜二つだった。私が右を向こうとすれば右を向くのではなかった。左を向こうとすれば、左を向くのではなかった。右を向くと同時に右を向き、左を向くと同時に左を向いた。

倒産した知り合いから重機と住み込み人夫を譲り受け、土に濡れ、崖に貯水槽を埋め、パイプを引いて、豚や牛、ニワトリを飼い、調整区域を畑にして、農薬は使わずに大根やネギ、インゲン、ピーマン、キャベツを育て、ネットを使って通信販売に乗り出した。
ねねは、ひょっこり訪ねてくるたびに目を見張った。
稲作もやりたかったし、こなしきれない通信販売も軌道に乗せたいと思っていた矢先、ねねもねねでコロラド州デンバーに終の棲家を見つけたようだった。


ねねをゆすってみたがむにゃむにゃいうだけだった。
はじめてあった33歳からいつのまにか53歳を数え、すっかり色香のあせたねね、子もなく、女優になりたいという夢を追いつづけて破綻し、残骸になってしまったねね。
いつまでたっても愚かな、ねね。
(いっしょに暮らしているエドガーとあって欲しいの)――といってきかないねねが、ふと、愛おしかった。
何年も忘れていたが、私はねねの痩せこけた頬に、そっと唇を触れた。

 

ヒューストンで乗り継いだコンチネンタルはでこぼこだらけで、まるで使い古されたバスのようにはげちょろけていた。ファストクラスもビジネスクラスもエコノミーもみな外国の乗客ばかりで、彼らは、みなあけすけで親切で信じられないことにとてもナイーブだった。荷物を満載したリュックをラックに乗せようとして四苦八苦していると、教授のような老人がさっと手助けしてくれた。
二日酔いのねねは瀕死の病人のようだった。
荷物をカートに載せ、ねねを背負って、荷物運びの下男のように列に並んだり、トイレに駆け込んだりした。
デンバー空港のポリに質問攻めされて途方に暮れていると、北海道で英語教師をしているという白人青年が通訳してくれた。
その青年のおかげで何とかデンバーの荷物置き場と出口にたどり着いたようなものだ。
出口には、ねねの旦那は来ていなかった。
「エドガー、もしかして、強制送還かしら……でも、不法入国してしまったらそう簡単には強制送還できないはずよ……」

「鬼の居ぬ間に洗濯ってわけで、酔い潰れているのさ」

「まあ、だったらいいけど」
ねねはぱっと明るんだ。

 


多数の民族の悲惨と矜持が、路地の暗がり、ベンチの上、見捨てられた廃墟の、いたるところに充満し、誰もが、嗚咽をこらえ、穏やかに、この世のありようの過酷さを手懐けているように見えた。
ビジネス・エリートをはじめ、吸殻を探しつつカートを押してよろめくホームレスの夫婦にいたるまでみな、誰のものでもない個性を孔雀のようにぶら下げ、声をかけると、誰もが「ホワイ?ジャブ」(てめえこそどうだね?) と豊かな表情をほころばす。誰もが優美に、しなやかに闊歩し、木々にはリスが飛び跳ね、芝生ではサッカーに興じる男女にまじって黒くてしなやかなドーベルマンが疾駆した。その夢のような光景を眺めていると、貧乏も失業も老いも、戦争ですらどこか遠くの、ありえない世界の不躾な出来事のように思えた。

高地のせいか、夜が来ても明るく、深夜になっても空のふちにいつまでも濃いブルーが漂いつづけた。


エドガーは37のとき、弟といっしょにカルフォルニア経由でメキシコから不法入国した。弟は、国境で射殺された。以来働きずくめに働き、ニューオリンズの農場でハリケーンに襲われ、メキシカンを頼ってデンバーで煉瓦工になった。
煉瓦工の口も底がつき、路上生活をしているとき、コインを手渡してくれたねねに声をかけられ、やがて、ねねといっしょにNPOを手伝いながらシェルターで暮らすようになった。

日本語がすこしわかるエドガーと私は、最初に会った瞬間から意気投合した。毎日、ダウンタウンで飲み、食らい、のどが痛むのも構うことなくわめき散らし、エドガーと過ごした。
「最後に、テキーラをやろうか」
「おれもそう思っていたところさ」エドガーはそう答えて、銀行でドルを降ろしてきた。「安いところを知っている」
がらんとして殺伐とした店にはテキーラは置いていなかった。
降ろしてきた札は全部デュークボックスにつぎ込まれた。
ビールを飲み、蟹を食い、メキシコ女を巻き込んでのドンちゃん騒になった。
勘定を払う段になっていいあらそいになった。
「おまえはあちこちおれを案内してくれた。わしが払うのが当然だ」
「たまにゃおれもはめを外したかったのさ。あんたを案内したのはことのついでさ。ふざけるな」
「だめだ、わしが持つのは日本の流儀だ」
「おれがいっているのはメキシコの流儀だ」
それからまた飲み始め、踊り、空港まで予約していたタクシーが来たので「幸運を祈る」と硬く握手した。

「行くのね」
ねねは蚊の鳴くような声でいった。
「行くよ」
「もう会えないのね」
ねねは泣いていた。
「ねねらしくないぞ」
「あたし、送らないわ」ねねはだだをこねた。「さようならもいわないわ」
「元気でな」と、肩を抱こうとして、ふと、数日前から思っていた、ある考えが口をついてでた。「気が向いたら、秩父の山の、おれたちを助けてくれないか。いつでも歓迎するぜ」
「まあ!」
ねねはみるみる明るんだ。
「エドガーさえよければね」
「まあ、うれしい!あたしだって、ちっちゃいとき、ひよこを飼っていたことがあるのよ。ねえ、これって、ライフ・イズ・ビューティフルってことなのね。きっと、そうよ!」


 

 

乗り継ぎのヒューストンで成田行きを待っている間、日本人観光客の集団に出くわした。
卑小なほど得意げで、信じられないほど醜い。
フロリダやラスベガスに行ける恵まれた身分だという勲章のために、ぼろでもかき集めるようにみやげ物を山ほどぶら下げて、われ先へと座席に走るジジイやババアを見ていると、吐き気をもよおした。

                   ――了――

 

 

昔、彼女のことを書こうとし、78歳の時完成させたんだ。

エドガーも片手の女も、それぞれ、モデルがいる。ねねは最後に声優と再婚し、エドガーはデンバーで寿司職人になり、片手の女は杳として行方不明。

 

 みんな、今頃どうしているだろう?

 

      

 

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