♪毒死列島、身もだえしつつ 野辺の花♪ 石牟礼道子 | よろぼい日記

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杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 


 

 

コロナと脳梗塞で何年も縮こまっていたが、やっと解放され、デンバーに行き、その間フロリダの海に浸かり、アメ公の植民地、糞面白くない日本を一月とちょっと、忘れることができる。帰ってくる頃には、ボンボンに狂わされた、農薬まみれ、放射能まみれ、添加物まみれの毒死列島は滅んで、成田空港は戦争であとかたも無くなくなっているかもしれない。それなら、仕方ない。デンバーのホームレスのたまり場にかーちゃんと二人で難民生活だ。

 

そうなれば、本望だ。

 

2浪し、エリートの階段を踏み外していても、なお、エリートになりたいと、その強迫観念に、常にせっつかれて、優柔不断の穴ぼこから首だけ出して、世俗の卑小さを嫌悪しながら、飛び出しかねて、悶々とし続けていた。

 

現実を知らない22歳は、まだ社会に甘えていて、その引け目というか、軟弱さを隠すために、エトスとか、虚偽だとか、純粋だとか、こむずかしいことば面の鎧をまとって、迷っていたあの頃、かーちゃんと出会う。

 

 

生まれおちたときから、くたばるまで、ずーっと、病気持ちだ。

体を動かさないで、頭で成功しようと、頭で君臨できると考えていたものらしい。その反動から、カーバイト工場のねこ(2輪車)を押したのだ。

 

工場をしまって、チャリでふらつきながら、海を染め、空を燃やす夕焼けの美しさに感動したとき、私は働く人たちの本当の喜びを知ったのだ。

 

人の世話になり、あきれられ、どん底から這い上がりたい野心にギラギラしても、のしあがる階段はどこにもなし、いきなりてっぺんで光り輝こうとはじめて書いた小説が、群像の目にとまり、以来、10年も四苦八苦し続け、歩合セールスの魑魅魍魎の世界で、ようやく、40前後で、1人前の働き人になったわけだ。

 

つまり、20年がかりで。

 

一貫していたのは、ガキの頃から変わらないのは、一人だったことだ。よくいえば誰とも組しなかったということだが、悪くいえば、自分勝手、独り相撲、エゴイストだったということだ。

 

社会を理解することが容易でないのは、借り物の自分を理解するのが、これが思ったより難しいからだ。長い間、世間でいいふらされているいい方で理解を試みるしかないのだし、社会が推奨する意見にそっくりそのままわがごとに様に同化できる人たちならさして矛盾を感じないだろうが、こっちの方は、貧乏も貧乏、はなたれ小僧の頃から、いや、生まれおちてからずっと貧窮のどん底で、ビクビクし通しの、悲惨極まりない生い立ちだ。

 

 

どうして、世の中と折り合いをつけることができる?

 

 

「溺れる者は藁をもつかむ」の段で、愛という幻想にしがみつき、真面目になろうと、真面目一点張りで押そうと、ようやく、文無しのくせに人生に打って出たわけだ。それから10年ほど乞食生活が続いたが、私の夢は、政治でもビジネスでも安定でもなく、革命家になるという夢だった。革命家として人々を見渡し、革命で社会を変えようという馬鹿げた夢だ。

 

話を元に戻そう。

 

バックパックとチャリンコとの間で、ずっと、決心がつかず揺れ動いていた。バックパックはかっこいい。時間をかけてひとつところからひとつところへという放浪の旅なら・・・・・そして、フロリダの海辺やコロラドの山のなかにテントを張ってゆっくり過ごすという、絵に描いたような至福感を想像しがちだが、何の何の!そんな場所では食い物も水も手に入りにくい。そんなとこには店というものがないのだ。

 

広大なアメリカではチャリが必需品だ。

 

北海道で食い物求めてあちこちした覚えがある。

 

やはり、そういう場合チャリの足が物をいう。

1度チャリに傾きかけたが、今ひとつ踏ん切りがつかなかった。

何しろ、20キロを1本のベルトで右肩に背負って庭から玄関を行ったり来たりしただけで、たちまち息をするだけで体がきしみ、動くのも、立ち上がるのも億劫になるのだ。

 

1日おいて、今朝、ふと、ショート・ジャーニー用の小型鞄ならどうか、と思った。

 

荷物を入れ直して、梱包してみると、左右に重量を分散した分だけ歩きやすい。

 

それでこれに決めた。

 

荷造り荷ほどきに時間がかかるが、それなら設営してからでも買い出しに行けるし、2、3日の雨もしのげる。

 

疲れたらデンバーの娘の家に戻って、ゆっくりすることもできる。

 

これなら、明日にでも出発したっていい。煮炊きはたき火でやって、毒死列島が世界地図から消える日を待って、黒人やスペイン系と飲みながら、ゆったりと過ごすのだ。

 

 

かーちゃんにハサミで切ってもらって、ようやく散髪を終えた。

そろそろ、年に一度の、頸動脈エコー検査とMRI検査に行く時間になった。