◆ボランティア バス情報◆
尼崎医療生活協同組合が被災地支援ボランティアを募集中です。
◆行き先:宮城県亘理郡山元町
◆とき
①6月3日(金)19:00 ~ 5日(日)20:00(現地で一泊)
②6月10日(金)19:00 ~ 12日(日)8:00
③7月1日(金)19:00 ~ 3日(日)8:00
◆募集定員
①30名
②③40名
◆参加費
ボランティア活動保険料 300円(既に加入済みの人は不要)
バス代、①の宿泊料共に無料
◆申し込み先
電話 06-4962-4920
◆主催
尼崎医療生活協同組合
◆出発時集合場所
同医療生協前(JR立花駅から線路沿いに西に歩いて15分)
◆その他
何れもバスは1台です。(座席はひとり1席)
①の宿泊は、現地生協の大広間、寝袋持参が望ましい。
どこにお住いの人でも参加できます。
詳しくは尼崎医療生活協同組合 のHPを参照
◆参加をためらっている人に◆
もう歳やから・・・とボランティアを諦めている人はいませんか?
前2回のボランティア体験から申しますと、豊富な知識と経験に富んだ熟年者が一番頼り甲斐があり、若い人をリードしながら立派に活動しておられました。
高齢の被災者はボランティアを待っています。
時間と少しだけ体力に自信のある人は参加されたら良いと思います。(ウオーキングで7,8㎞も歩ければ大丈夫)
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壊滅的な被害を受けた分浜での作業も終了時間に近づいた。
満潮時には堤防内も水没する。
午後3時に作業を終了した。
先行してボランティア活動をしていた団体と別れの挨拶を交わす。
皆が汗と埃でドロドロなっていたが、手を洗うこともなくバスに乗車し帰路についた。
昨夜、大広間に参加者の有志が車座になり懇親を深めたとき、帰路に温泉がある道の駅に寄ってリフレッシュする案や、特産品を買って少しでも地元(被災地)を支援したいと熱い思いをスタッフに伝え、道の駅に寄ることを要望したが、全て却下されていただけに、諦めてバスのシートに横たわる。
しかし・・・我々の要望に対して、協議することも無く、一言に却下するスタッフには唖然とした。
木っ端役人が民間人を虫けらのように扱っているようで、気分が悪い。
ひょうごボランタリープラザにこんな人がいるのか と ビックリしたが、後から聞いてみると、やっぱり県からの出向やった。
縦社会に生きる融通の利かん木っ端役人やぁ~~
ボランティアは横社会で、どんな事にでも臨機応変に対応でけんだら、あかんのに、こんなんがスタッフにいたら、どうにもならん。
社会福祉協議会への県職員の出向をやめて、柔軟な頭脳を持つ人材を育てなんだら、ボランティアなどでけん。
◆今回の総括◆
被災地ではボランティアが不足している。
機会があればまた行きたい。しかし、県のボランティアには二度と参加したくない。
実働2日間で、それなりの成果は上がったが、無駄な時間があったり、段取りの悪さで、悔いが残るところもあった。
16日のブログ にも書いたが、泉PAのインフォメーションセンターに全員が寄ったのは大きな時間のロスだった。
初日などは段取りが良ければ、もっと成果が上がったと思う。
また、別のグループのスタッフは道具の事前確認業務を怠り、現場作業終了時に道具数の確認が行えなかった。
「親方日の丸」丸出しやぁ~~
帰路のバスは予定より早く神戸に到着することになり、吹田SAで1時間の時間調整をしたが、こんなことになるんやったら、被災地の道の駅に寄って温泉に入ってサッパリし、特産品を買えば良かった。
◆これからの支援◆
息の長い支援が必要。
それには、現地(被災地)の産業が立ち直るように支援するのも一つの方法で、被災地の土産品を買うなど、我々にできることから始めたい。
◆謝辞◆
12日のブログ を見てくれた人から土産品の注文を頂いた。
「かもめの玉子」や「いぶり牛タン」などたくさん買ってくれて
ありがとうございました。
バスの運転手さんも我々と共に泥だしのボランティアをしてくれた。
日交バスの運転手さん ありがとうございました。
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今日(5月15日)は石巻市雄勝町に向かった。
雄勝町は石巻市街から東北東にあり、女川原子力発電所の北側にあたる。(画像をクリックすると拡大します)
浜側の道路は通行止め個所があるので、遠回りだが北上川の右岸を下ることにした。
北上川の河口に近づくにつれ津波被害がだんだん大きくなる。
石巻市雄勝町上雄勝にバスは入った。
建物の基礎部分だけが残っている。右の写真の白い建物は市立雄勝小学校。2階も水没した。画像をクリックすると拡大します。
↑右手後方の茶色い外壁は市立雄勝中学校 ↑海洋センター
改めて津波の恐ろしさを見せられて、身震いを感じた。
目的地、雄勝町水浜に到着した。
低い土地の住宅は全て流されている。
海抜は1.5m~2m程度か
↑坂の上の住宅の1階床上まで津波が来た。↑高さは10mくらい。
下の住宅は屋根の棟まで水没したが流されることがなかった模様。
ここでの活動は浜辺の漂流物を片付けて、重機を通すための進入路作り。
漂着物のほとんどは家屋の材木で、屋根がそのままの形であったり、大きな梁や柱などが足の踏み場もないほど散らばっている。
それに、漁網が絡まって作業は難航した。
しかし、18名のマンパワーは凄いもので、午前中にほぼ完了した。
午後2時から隣の分浜地区へ応援に向かう。
小さな集落だが、ほとんどの家屋が津波で流されたり、大きな被害を受けている。 (画像をクリックすると拡大します)
屋根の上の漂着物で、津波の波高がよくわかる。
水浜と分浜の間で古いサイレン塔を発見した。
1960年5月23日04:11に南米チリ共和国でM9.5の地震が発生し、それに伴い発生した津波が1日近くかかって日本に押し寄せた。
津波の波高は最大6.3mで三陸地方沿岸で142名の犠牲者を出した。
このサイレン塔は、その津波を記念して建てられたもの。
当時の記録では、女川湾での波高が3.8~5.4mだったから、この地域にもそれに近い津波が押し寄せたと思われる。
人々はその教訓を生かして、なぜ高台に住まなかったのか、今更ながら悔やまれる。
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昨週に引き続き被災地支援ボランティアに参加した。
今回は、「兵庫県社会福祉協議会ひょうごボランタリープラザ」(長い名前やぁ)の募集に応募したもの。
しかし、役人は何でこんな長い名前を付けるのかなぁ~~
まぁ・・・ヒマな人が多いから名前が長ごうても不便せんのやろ。
5月13日(金)朝7:30から受け付けが始まった。
受付でブルー色のウインドブレーカーと茶色の帽子を只でもらった。
その後は、お決まりの出発式。
ウインドブレーカーと帽子をかぶらされて、全員が神妙に並ぶ。
ここんなウインドブレーカーを着て泥だし作業など、とても暑くてできない。
家に持って帰っても着る機会もない。税金の無駄遣いや!
(帽子は楽天イーグルスがお金を出してくれたらしいが)
神戸市社会福祉協議会から行ったときはゼッケンやった。
この方が暑くないし、地元の人にも何処から来たボランティアかよく分かる。それに、安上がりや!
こんな無駄金があるんやったら、被災地に現金を渡すほうが、よっぽど有効や!
行く前からこれでは、先が思いやられる。
◆余談だか
出発時にNHKとサンTVが取材に来ており、双方からインタビュー取材を受けた。どうも、今回参加者の最高齢者と見られたらしい。インタビューの最後に年齢を聞き、最高齢でないと分かると、肩を落としてガックリしていた。(最高齢者は75歳)
夜のNHKテレビの兵庫版ニュースを見た人から、「テレビに出とったで」と携帯メールが入ったので、最高齢者でなかったけど放映してくれたことが分かった。
今回のボランティアは67名で、その内女性は15名いた。
朝8時に神戸を出発して、午後9時ごろ宿舎(岩沼屋)に到着した。
この旅館は老舗の旅館で創業は寛永2年(1625)らしい。
14日(土)バス4台で東松島市に向かう。
途中、東北自動車道 泉PA内の兵庫県が運営するボランティアインフォメーションセンターに全員が立ち寄った。
このセンターは明日(15日)閉鎖するらしい。そんな処によっても意味がない。
メンバーに対して、兵庫県はこんな事をしているという、ただのパホーマンスに付き合わされただけ。(全員がウンザリする)
無駄に時間だけが経過して、作業開始は10時を過ぎてしまった。
午前の作業は建物周囲(庭)のヘドロ出し。2つの班10名で作業した。
近くの公園で昼食をとり、記念撮影した。
ウインドブレーカーは作業性が悪く、着ると暑いので作業中は脱いでいたが、この時だけ着た。
帰路の車窓から見た風景。
田んぼの真ん中に津波で運ばれた住宅があったり、自動車が至る所に転がっている。
こんな風景が延々と続く。(写真をクリックすると拡大します)
所々で、行方不明者の捜索活動もしていた。
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明日は、津波被害が生々しく残る(まだボランティアの手が入ってない)地域でのボランティアです。



























