津軽に来ました。

今日もまた晴れです。

本当に今回は天候に恵まれました。 

太宰治記念館「斜陽館」

太宰治は、1909年(明治42年)に津島家の第十子、六男として、青森県で生まれました。太宰治の実家は金融業を営んでおり、父であり大地主、そして政治家でもある津島源右衛門は青森県の納税者番付にランクインするほど裕福な家庭で育ちます。

生家は約680坪(約2200平方メートル)もの敷地に、ヒノキを使って建てられた豪邸

母は家を留守にすることが多かったなどの理由から、幼少期の太宰治は主に叔母や女中に育てられました。

こんな中に育ったので太宰は金銭感覚には疎かったみたいですね。

芥川龍之介に憧れて自殺未遂ばかりしてホント困った君です。

学生時代「走れメロス」で太宰を知り、「人間失格」を読み、誰しも太宰治の出会に衝撃を受けた事でしょう。

いつか行って見たかった生家。

やっと実現出来ました。 

🐻走れくま太郎

津軽三味線会館

津軽三味線発祥の地

生演奏がありました。

生の津軽三味がまた良いですね。

他には何もない町ですが、なかなか来られない場所です。

本当に何もない・・・

津軽じょんがら節

金木駅

津軽鉄道 津軽五所川原駅へ向かいます。

走れメロス号

青森県五所川原市の津軽五所川原駅から青森県北津軽郡中泊町の津軽中里駅までを結ぶ、津軽鉄道が運営する鉄道路線。

太宰列車

夏は津軽金山焼の風鈴を客車内につるし、俳句の短冊を下げた涼味あふれる「風鈴列車」。

秋は鈴虫のかごを車内に置き、可憐な鈴虫の声が聞ける「鈴虫列車」。

冬は旧型車輌で運行するだるまストーブが名物、「ストーブ列車」が運行されています

普段は1両。団体が入ると2両になります

短い中、車内販売もありました。

とてもローカルで牧歌的な雰囲気。

津軽富士 太宰治

「富士。いいなあ。」と私は叫んだ。

富士ではなかつた。

津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。

五所川原駅

生鮮市場で「のへ丼」の昼食

センター内には鮮魚店のほか、総菜店、青果店、精肉店、乾物店、食堂まであります

特に鮮魚は、毎朝、市場から新鮮な魚介類を仕入れてきて、店頭で販売しています。

しかし、地物でないモノも多いかな?

私の「のっけ丼」1300円

添乗員さんから1200円のチケットを貰い、好きな物を買って昼食にします。

私は100円足して、生のホヤを捌いて貰いました。

妻の「のっけ丼」1200円

荒汁はサービスで貰えます。

店内のテーブルで頂きました。

どうですか?安いですか?

結構美味しかった。 

 

立佞武多の館

「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」(祭り)は、「青森ねぶた」と

「弘前ねぷた」に並ぶ青森三大佞武多の一つ。

高さ約23m、重さ約19トンもある山車の壮大な運行が魅力です。

想像を超えた大きな立ちねぶた。 

凄い迫力です。 

とても大きくて美しい。 

また素晴らしい

建物の4階にまで達する高さの立佞武多に圧倒されること間違いなし。

またいつかコレは見たい。

展示室は1階から4階まで吹き抜け空間になっており、中央にそびえ立つ立佞武多を20mほどの高さから壁伝いにぐるりと、角度を少しずつ変えて見学することができます。

歩きながら一階まで行きます。

本物の祭も見たいですね。 

金魚も有名みたいです。

「金魚ねぷた」起源は江戸(藩政)時代。金魚は大変貴重で殿様など上流階級しか飼うことができません。そこで津軽地方の農民たちは、竹を丸めて骨組みを作り、紙を貼り金魚の顔を描いたものを子どもたちに与えたことが金魚ねぷたのはじまりと言われております。

実はこれって山口の金魚提灯にとても似ているのですが調べると。

金魚ちょうちんの作者

江戸時代から明治にかけて、ロウソク屋を営んでいた熊谷林三郎という人が、青森のねぶたにヒントを得て「金魚ちょうちん」を作り始めたと言われています。

こちらは館内にある小さな立佞武多で2メートルぐらい。

新青森駅 東北新幹線

16:38   新青森駅 → はやぶさ38 

→ 20:04 東京駅

 

楽しかった旅もそろそろ終わりです。

さてさて帰る準備をし、居酒屋新幹線を開店をします。 

私の友達。仲間達も沢山います。 

実は日本酒を飲むにはこれが大事。

東京駅で貰いました。

居酒屋新幹線で無事に東京駅に到着しました。

添乗員さんと別れて、タクシーで帰宅します。

さて、次は最終回。

お土産編になります。

あと一回、我慢して付き合って下さい。