1977年

QueenとThin LizzyのUSAツアー

1977年1月から3月にかけて、シン・リジィ(Thin Lizzy)はクイーン(Queen)のオープニング・アクトとしてアメリカツアーを行いました。

Queen

このツアーは「The Queen Lizzy Tour」と呼ばれています

    1977年2月5日

    クイーンは「華麗なるレースツアー」でのニューヨーク公演

     

    マディソンスクエアガーデン

    マディソンスクエアガーデンでのコンサートがチケットが発売されるとすぐにSOLD OUT

    アリーナの象徴ともいえる場所でクイーンが初めて行ったコンサート。

    グループにとって重要で全米を制覇を予感する  

    ポスターにはシン・リジィの写真は無いですが、この時のギターリストは暴れん坊ゲーリー・ムーア

    ブライアンも適わないギターリストです。

    Thin Lizzy

    1975年3月

    初のアメリカ・ツアー(バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ、ボブ・シーガーのサポート)へ向かう。

    1976年3月

    代表作ともいわれる『脱獄』(Jailbreak) を発表。

    全世界で200万枚を超えるセールスを記録する。

    3月より英国ツアー、4月にはシングル「ヤツらは町へ」(The Boys Are Back in Town) をリリース。さらに5月には全米ツアー(REOスピードワゴン、クイーン、スティクス、ジャーニー、ラッシュ、リッチー・ブラックモアズ・レインボーらのサポート・アクト)

     

    1977年、前年末に負傷したブライアン・ロバートソンの代役として、再びゲイリー・ムーアにツアー参加を依頼。当時コロシアムIIのメンバーだったムーアは同バンドを脱退しないままこの要請を受託し、1月よりクイーンとの全米ツアー "The Queen Lizzy Tour" に参加。

    Ogre Battle - 00:00 White Queen - 02:23 Somebody to Love - 08:08 Killer Queen - 13:29 The Millionaire Waltz - 15:28 You’re My Best Friend - 18:23 Bring Back That Leroy Brown - 20:22 Sweet Lady - 22:10 Brighton Rock - 26:33 ‘39 - 35:57 You Take My Breath Away - 39:49 White Man - 43:12 Vocal Improv - 47:54 The Prophets Song (Reprise) - 51:01 Bohemian Rhapsody - 53:17 Stone Cold Crazy - 58:35 Keep Yourself Alive - 1:00:23 Liar - 1:04:55 In the Lap of the Gods… Revisited - 1:13:44 Now I’m Here - 1:18:29 Big Spender - 1:25:07 Jailhouse Rock Medley - 1:26:36 God Save the Queen - 1:32:07

     

    クイーン ライブ in ニューヨーク市

    1977 年 2 月 5 日 会場: マディソン スクエア ガーデン 観客数: 20,000人

    伝説的なマディソン スクエア ガーデンで演奏することが長年のクイーンの目標であり、1977 年初頭には、彼らはそれを成し遂げました。

    これはバンドにとってガーデンでの最初のパフォーマンスであり、誰にとっても、特にブライアンにとっても全体的に素晴らしいパフォーマンスだった。

    ブライアンは両親をアメリカに呼んで、アメリカでのバンドの演奏を観させ(彼らはイギリスでしか演奏を見たことがない)、天体物理学ではなく音楽のキャリアを選んだことが間違いではなかったことを父親に証明した。

    今夜の彼は正確にプレーしており、その瞬間、彼の両親が何を考えていたか想像することしかできません。

    今夜のフレディも、全体的に足が弱いにもかかわらず、かなり堅実な音を奏でる。

    これはおそらく北米ツアーの中で最高のショーだと思います

    Thin Lzzyは「ジョニー ザ フォックス ツアー」皆さんニューアルバムの名前のツアーをしますね。

    Thin Lizzy - Live in Seattle, WA

     (March 13th, 1977)

    Thin Lizzy シアトル、ワシントン州

    シアトル センター コロシアム ジョニー ザ フォックス ツアー

    ツアーの終わりに近づいても、バンドは勢いを緩める気配がありません。我々が得ている情報だけで、これはとんでもないショーであり、全員がすべてのシリンダーに火を入れていると言うのに十分だ。

    フィルは絶好調で「Emerald」「Still In Love With You」「Warriors」などの曲でソロが猛烈に盛り上がっています。

    ゲイリー・ムーアは78年夏までバンドに戻ることはなかった。

    Jailbreak 5:48 - Massacre 9:19 - Emerald 13:58 - Still In Love With You 22:11 - Warriors 26:35 - Don't Believe A Word 29:25 - Cowboy Song 35:05 - The Boys Are Back In Town (CUT)

    後半は別の公演から続きを載せました。

    Phil Lynott - bass & lead vocals 

    Gary Moore - guitar & vocals 

    Scott Gorham - guitar & vocals 

    Brian Downey - drums

     

    Thin Lizzy と Queen はイギリス諸島出身で、土曜日の夜にマディソン スクエア ガーデンに出演しましたが (45 日間のツアーを一緒に行っています)、

    2つのロック・カルテットの間に共通点はほとんどありません。

    Thin Lizzy はタフなハードロックです。

    ベーシスト、シンガー、コンポーザーである

    フィル・ライノットは明らかに芸術的で、それはクイーンが信奉する空想的なプログレッシブ・ロックよりも、ヴァン・モリソン、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・シーガーに共通する一種の芸術性である.

    Thin Lizzy のオープニングの 1 時間のセットには、多くのおすすめがありました。

    フィル・ライノットは最高の状態で、Thin Lizzy は威圧的ではなく高揚感のある方法でロックアウトします。

    シン・リジィはゲイリー・ムーアにツアー参加を依頼しました。

    1977年はクイーンにとってアメリカツアーを年に2回行う年で、イギリス諸島出身のシン・リジィとクイーンは1977年に全米制覇を果たしました。

    ラジオでのコンサートの告知

    次の年Thin Lzzyは

    1978年の 『ライヴ・アンド・デンジャラス』ではイギリスで2位のヒットを飛ばし、オーストラリアツアーも行います。

    1978年6月にイギリスで発売されると約3ヵ月間に渡って全英トッブ10にランクインするヒットとなる(最高で全英2位を獲得している)

     

    Thin Lizzyの音楽性は

    アイリッシュ音楽を取り入れた音楽性、ツイン・リードスタイルのハード・ロックで人気を博し、「アイルランドの英雄」と形容された同国の国民的グループとして知られる。

    英国圏では、創始者フィル・ライノット没後30年以上が経過した現在でも、レジェンドとして大きな支持を得ている。

    オリジナル・メンバー

    • フィル・ライノット (Phil Lynott) - ボーカル、ベース (1969年-1983年) 1986年死去
    • ブライアン・ダウニー (Brian Downey) - ドラムス (1969年-1983年、1996年-1998年、2010年-2016年)
    • エリック・ベル (Eric Bell) - ギター (1969年-1973年)
    • エリック・ライクソン (Eric Wrixon) - キーボード (1969年-1970年) 2015年死去
    • ゲイリー・ムーア (Gary Moore) - ギター (1974年、1977年、1978年-1979年) 2011年死去
    • ジョン・デュ・カン (John Cann) - ギター (1974年) 2011年死去
    • アンディー・ジー (Andy Gee) - ギター (1974年)
    • ブライアン・ロバートソン (Brian Robertson) - ギター (1974年-1978年)
    • マーク・ナウシーフ (Mark Nauseef) - ドラムス (1978年-1979年)
    • ミッジ・ユーロ (Midge Ure) - ギター、キーボード (1979年-1980年)
    • デイヴ・フレット (Dave Flett) - ギター (1979年)
    • スノウィー・ホワイト (Snowy White) - ギター (1980年-1982年)
    • ジョン・サイクス (John Sykes) - ギター (1982年-1983年)

    フィルライノット

    1986年1月4日

    わずか36歳で肺炎と心不全で亡くなりました。

    フレディ・マーキュリーは1977年のクイーンのツアーでシン・リジーのフィル・ライノットに影響を受けた。

    スコット・ゴーハムは、クイーンが実際にアメリカでシン・リジーの名を広めるのにどのように貢献したかを語ります。

    1977年に遡ると、クイーンは5枚目のスタジオアルバム「ア・デイ・アット・ザ・レース」のプロモーションのため、北米ツアーに乗り出した。バンド全体をサポートしていたのはシン・リジィで、フレディ・マーキュリーがフロントマンのフィル・ライノットに「完全に影響を与えた」ことが判明した。

    シン・リジィのギタリスト、スコット・ゴーハムは回想しながらこう語った。

    「あのツアーは、多くの本当にビッグなバンドと行った他のツアーよりも、私たちを本当に前に押し出したツアーでした。

    「アメリカでは誰も私たちのことを見たことがなかったので、ステージに立つことが私たちの主な踏み台でした。そしてクイーンは本当に私たちにそのチャンスを与えてくれました。アメリカ国民にシン・リジィとは何なのか、そして私たちに何ができるのかを示すためです。」

    69歳の彼はまた、クイーンとシン・リジーがいかに仲が良かったかについても語った。

     

    スコットはこう付け加えた。「私たちは皆、素晴らしい友達になりました。私たちはお互いにツアーするのが大好きで、ソールドアウトの素晴らしいアリーナツアーで、本当に素晴らしかったです。

    「私たちを助けてくれたフレディ、ブライアン、ロジャー、ジョンにはこれからも恩義を感じます。」

    遡ること8月、クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーはフィル・ライノットの71歳の誕生日を祝った

    テイラーはフィルとの全盛期の写真をインスタグラムに投稿し

    「お誕生日おめでとう、親愛なるフィル・ライノット。ロックンロールにとって大きな損失だ。」

    フィルライノットはロジャーと同じ年齢でした。

     

    ロジャー・テイラーから急逝したゲイリー・ムーアへの追悼文が、クイーンのオフィシャルサイトに公開された。

    妻が教えてくれたんだ。無念だ。フィル・ライノットのときは悲劇だった、そしてゲイリーの場合、まだまだ先があったと思うんだ。

    ゲイリーがシン・リジィのメンバーとしてクイーンとツアーをした時の楽しい思い出がたくさんあるよ。いつも笑っていて、いつも陽気で…それにしても亡くなるには若すぎるよね。

    彼は最近シン・リジィと一緒にプレイしていたけど、とてもフィットしていたね。目にも止まらぬ速弾きで、彼の特徴はスタッカートだった。

    ジャズの雰囲気もあった。ブライアン・メイとはまったく違うよ。彼はもっと感覚的なプレイヤーだ。でもミュージシャンとは、他のミュージシャンからいつも何かを感じとるものだ。ブライアンはゲイリーのプレイをとても楽しんでいた。

    何年も経って、ゲイリーとクラブで偶然会ったんだ、彼はその場でも偉大だった。

    記憶している限り、彼は飲むのが好きだったんだ、もっともあの頃はみんなそうだったんだけど。

    とても悲しい出来事だけど、でも彼の音楽は生き続けると思うよ。もはや、真の芸術家はいないよ。

    いいバンドはいくつもある、でも強い姿勢は感じられるものは、今居ないよ。あの頃、彼がいかに偉大だったかということだけど、たくさんの芸術家がいるが、彼は正にその一人なんだ、彼は、スター・プレイヤーだったんだよ。

    ロジャー・テイラー

     

    ゲイリー・ムーアといえば、筆者が79年頃働いていたロンドンのロック人種の溜まり場=スピーク・イージー(シド&ナンシーやクラッシュのメンバー達、D・ボウイ、ツェッペリン、クイーンのメンバーetc当時のロック界のスター達が毎晩集い、
    明け方まで呑んだりジャムったりする業界人オンリーの会員制クラブ)の常連でもあったのですが。

    あの当時からかなり深刻なアル中で、
    店に入ってくるなりシャンペンやウォッカ、ワイン、アブサン、ブランデーetcありとあらゆるアルコール類を注文し、
    とにかく店に来たら「翌朝まで浴びるようにお酒を飲む人」、
    ということで有名な人でもあった。

    でも金払いはいいし、他人を見下した言い方は絶対しない(有名になると急に態度がデカくなる人がロック界には多いんだよなぁ、、、実名は出しませんが)。
    チップもケチらずいつもはずんでくれる人だったので、
    我々下っ端=ウェイトレス連中からもやたら大事にされ愛されていた。