清少納言 小林清親

遂に大河で出て来ましたね清少納言。

紫式部との絡みが楽しみです。

それにしても呼び名は知りませんでした。

「清少納言」じゃなくて「清 小納言」。

「苗字」と「名前」は離すのですね。

因みに紫式部と清少納言は実際には会ったことはないらしいのです。

 

清少納言は966年生まれ、紫式部は970~978年頃の生まれだとされ、10歳前後、清少納言のほうが年上のようです。 

清少納言が一条天皇の中宮(のちの皇后)の「藤原定子」(ふじわらのていし:藤原道隆の娘)の女房役(侍女)だったのは993年頃から定子が亡くなる1000年頃まで。 

紫式部が彰子(「藤原彰子」は「藤原道長」の娘として生まれ、12歳で66代「一条天皇」に入内)の女房役(侍女)だったのは1006年頃から1012~1014年頃まで(諸説あり)。 

宮仕えの時期も重なっていません。

 

紫式部 小林清親

しかし、紫式部は清少納言については語っています

「それにつけても清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようでございますね。あそこまで利巧ぶって漢字を書き散らしていますけれど、その学識の程度ときたら、よく見ればまだまだ足りない点だらけです。
彼女のように、人との違い、つまり個性ばかりに奔りたがる人は、やがて必ず見劣りし、行く末はただ「変」というだけになってしまうものです。
例えば風流という点ですと、それを気取り切った人は、人と違っていようとするあまり、寒々しくて風流とはほど遠いような折にまでも「ああ」と感動し「素敵」とときめく事を見逃さず拾い集めます。

でもそうこうするうち自然に現実とのギャップが広がって、傍目からは『そんなはずはない』『上っ面だけの嘘』と見えるものになるでしょう。
その「上っ面だけの嘘」になってしまった人の成れの果ては、どうして良いものでございましょう」


結構辛辣な意見の紫式部でした。

清少納言に嫉妬していたという説もありますが

 

それにしても大河ドラマはいつもそうですが、名前と役柄を把握しないと誰が誰やら分かりません。

慣れるまでに結構かかりますよね。

それに今回もそうですが、史実と全然違う内容になると余計に難しいです。

半生蕎麦

名前は無いのですが、南房総の道の駅「ローズマリー公園」で購入したお蕎麦です。

冬場は良い辛味大根が手に入ります。

この半生蕎麦が結構美味しいんですよ。

またあれば買います。

辛味大根蕎麦

寒いですが、これが冬は余計に美味しいです。

休肝日の夕飯

お茶

🥒胡瓜の糠漬け

ニラともやし炒め

鈴廣 あげかま

セブンの親子丼 430円(税込464.40円)

なか卯の唐揚げ丼 

590円でクーポン割引きで税込み490円

セブンもなか卯も両方とも美味しい。

🍅ミニトマトと舞茸のプロバンス風スープ

私の作品。

庭に出来たミニトマトが熟さないので採取して作りました。

プロバンス風なんて勝手に名前を付けると、我ながら結構美味しく出来ました。

ご馳走様です。