昼食🍽
浜鶏ラーメン
新浜通り名物 福島県のアンテナショップで買いました。
スープの美味しいラーメン🍜です。
夕食🍽️
温泉卵納豆
本鮪の赤身
冷凍庫に隠れていました。早く救出しないと変色してしまいます。
これは亀戸の魚力で買いましたが、とてもお手頃でしたね。
青森の北寄貝
これが大きいのです。巨大ですが1個150円くらいで超お得でした。
ビックリするくらい安いです。
自分で捌いて。
洋風の炒め物にしました。
北寄貝の甘さが出ています。
貝は火を通すことで甘みが出ますよね。
千枚漬け
柳蛸
柔かいので好きです。
ニラ玉ふかひれスープ
千葉市美術館
サムライ、浮世絵師になる
鳥文斎栄之展
鳥文斎栄之 ちょうぶんさい・えいし
当初栄之は、将軍徳川家治(1737-86)の御小納戸役として「絵具方」という役目を務め、御用絵師狩野栄川院典信(1730-90)に絵を学びましたが、天明6年(1786)に家治が逝去、田沼意次(1719-88)が老中を辞した時代の変わり目の頃、本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れます。
当時錦絵(浮世絵版画)は、一層華やかな展開期にありましたが、栄之もまた浮世絵師として数多くの錦絵を制作、長身で楚々とした独自の美人画様式を確立、豪華な続絵を多く手がけたことは注目されます。
鳥文斎栄之《風俗略六芸 茶湯》
寛政5-6年(1793-94)頃大判錦絵千葉市美術館蔵
鳥文斎栄之《品川の酒宴》寛政4年(1792)頃
大判錦絵3枚続 ボストン美術館蔵
鳥文斎栄之《畧六花撰 喜撰法師》
寛政8−10年(1796-98)頃 大英博物館蔵
鳥文斎栄之《若那初模様 丁子屋 いそ山 きちじ たきじ》
寛政7年(1785)頃 大判錦絵 ボストン美術館
鳥文斎栄之《朝顔美人図》絹本着色 寛政7年(1795) 千葉市美術館蔵
寛政10年(1798)頃からは、肉筆画を専らとし、その確かな画技により精力的に活躍しました。
寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之自身の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などから愛され、名声を得ていたことが知られています。
鳥文斎栄之《新大橋橋下の涼み船》
栄之の描線は細やかで優美、その女性像は背丈のスラッとした優雅なもので、当時ライバルだった喜多川歌麿作品に見られる色っぽさや淫奔さとは、はっきりと一線を画したものであった。
栄之は遊里に生きる女性を理想像に昇華し、清長よりもほっそりとして、歌麿のような艶麗さがなく、容貌は物静かといった栄之独自のスタイルを確立している。
主に隅田川の船の浮世絵は色々な絵師が描いています。華やかな感じがまた良いのでしょうね。
企画展の他、常設展示も見ました。
鳥高斎栄昌 ちょうこうさい・えいしょう
鳥文斎栄之の門人。俗名不明、昌栄堂とも号す。
作画期は寛政5年(1793年)から寛政11年(1799年)にかけてで、錦絵、黄表紙の挿絵、肉筆浮世絵を描き、栄之の門人の中では一番の作画量を誇る。
錦絵の作では喜多川歌麿風の美人大首絵があり、代表作として寛政6年から寛政11年にかけて版行の大判揃物「郭中美人競」が知られる。寛政10年には黄表紙の挿絵を4点描いている。
世界で一点だけの浮世絵
「郭中美人競 大文字屋内本津枝」
鳥高斎栄昌《郭中美人競 大文字屋内本津枝》
寛政9年(1797)頃 大判錦絵 ボストン美術館
三代目 歌川広重 市川海老蔵の薄井荒太郎貞光
なかなか広々とした美術館です。
三代目 歌川広重 揚巻の助六市川団十郎三升
千葉県は成田山があるので団十郎もあります。
駐車場が無料なのも嬉しい。