②ジェフ・ベックのドラマー

1975年 ブロウ・バイ・ブロウ

リチャード・ベイリー

Richard Bailey

ジェフ・ベック - ギター

マックス・ミドルトン - キーボード

フィル・チェン - ベース

リチャード・ベイリー - ドラムス、パーカッション

 

 生年月日1956年 出身地 南アメリカ、ガイアナ (トリニダード・トバゴ)

9才で兄でハモンドオルガン奏者の兄、ロバートベイリーのバンドでドラム・パーカションを叩き始める。
兄のバンドは地元トリニダード・トバゴでは有名でテレビにも出演。
12歳の時にロンドンに移り住む。
父・エマニュエル・マクドナルド・ベイリーは100ヤード走で世界新記録を獲得
オリンピックのイギリス代表として1952年ヘルシンキオリンピックでは銅メダルを獲得
リチャードにもその血は受け継がれており100m走で南イングランドの学生チャンピオンとなる。
15歳で学校を辞めドラムに専念。
ボブ・マーリーやジョニー・ナッシュ等、イギリスでツアーやレコーディングに参加。
18歳でジェフベックの「ブロウ・バイ・ブロウ」に参加。
その後インコグニートに15年間在籍。

 

1976年 ワイアード 

ナラダ・マイケルウォルデン

Narada Michael Walden

 

十代の頃から主にジャズ・フュージョン系のセッション・ドラマーとして活動を始め、1974年にマハヴィシュヌ・オーケストラに参加。

1976年にジェフ・ベックのアルバム『ワイアード』に参加するなど、敏腕ドラマーとしてキャリアを積む。

その後、ソロ・アルバムを発表するようになる。代表作は1979年のアルバム『スウィート・ダンス・ミュージック』。

1980年代からは、映画音楽やブラック・コンテンポラリー系アーティストのプロデュースを手がけるようになる。

1981年にはシスター・スレッジの「アメリカン・ガールズ」の作曲を手がけた。

1985年にアレサ・フランクリンのシングル「フリーウェイ・オブ・ラヴ」をプロデュースし、グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞。

1987年にホイットニー・ヒューストンの『ホイットニーII〜すてきなSomebody』で最優秀プロデューサー賞

1993年に映画『ボディガード』のサウンドトラックで最優秀サウンドトラック賞を受賞するなど、プロデューサーとして華々しい活躍を見せる。

1995年には、JTの主催により開催された「JTスーパープロデューサーズ」で来日公演をおこなう。

現在もブラックミュージック界の著名プロデューサーとして、活躍中である。

日本人との共演としては、1982年にリリースした高中正義のアルバム『SAUDADE』に、プロデューサーやドラマーとして全面的に参加した。

本アルバムはインストゥルメンタル・アルバムとして、日本初のオリコンチャート1位も達成している。同年のコンサートツアーにも自身のバンドを引き連れて来日、熱い演奏を繰り広げた。

また1988年には荻野目洋子の『VERGE OF LOVE』をプロデュース、1997年にはSMAPの『SMAP 011 ス』にナイル・ロジャースプロデュースの冒頭2曲にドラマーとして参加した。

2020年からロックバンド、ジャーニーのドラマーとして正式に加入した。

 

エド・グリーン

Ed Greene

 

 

白人でありながら持ち前の黒いグルーヴで数多の大物ミュージシャン達に重用されてきたレジェンダリー・ドラマー:エド・グリーン。
LA 移動後のモータウンのセッション・ドラマーとしてジャクソン・ファイヴやマーヴィン・ゲイなど数々のレコーディングに参加してきた他、
ソウル畑以外にもジェフ・ベック『Wired』、スティーリー・ダン『Aja』、ドナルド・フェイゲン『The Nightfly』など、彼の名がクレジットされた歴史的名盤は数知れず。

ジェフ・ベック『WIRED』

あれはナラダ・マイケル・ウォルデンのドラムにスネアとハイハットをオーヴァーダブするために参加したそう。

スタジオにいたのは僅か1時間ほどで、ジェフと顔を合わせるチャンスはなかったという。

 

リチャード・ベイリー 

ナラダ・マイケル・ウォルデン - ドラムス on Led Boots、Come Dancing、Sophie、Play With Me、ピアノ - Love Is Green

エド・グリーン - ドラムス on Come Dancing

ウィルバー・バスコム - ベース (except on Blue Wind)

マックス・ミドルトン - クラヴィネット on Led Boots、Come Dancing、Head For Backstage Pass、Play With Me、フェンダー・ローズon Goodbye Pork Pie Hat、Sophie

ヤン・ハマー - シンセサイザー on Led Boots、Come Dancing、Blue Wind、Play With Me、ドラムス on Blue Wind

リチャード・ベイリー - ドラムス on Goodbye Pork Pie Hat、Head For Backstage Pass

 

1980年 ゼア・アンド・バック

サイモン・フィリップス

Simon Phillips

生年月日 1957年2月6日 出身地ロンドン
父親はプロのジャズミュージシャンでクラリネット奏者のシド・フィリップス。
3才からドラムを始め、6才の頃には父のバンドでプレイ、12歳になるとほぼプロとして活動していた。
16歳からからセッションプレーヤーとして活動。

1977年 ジャックブルースバンド

1980年に参加したマイケル・シェンカー・グループの1stアルバム「神(帰ってき
たフライング・アロウ)」やジェフベックのゼア・アンド・バックで注目を浴び、ロック系のセッションミュージシャンとして知名度を上げる。
1992年、急死したジェフ・ポーカロの後釜としてTOTOに加入
2011年から日本人ピアニスト、上原ひろみのトリオバンドにアンソニー・ジャクソンと共に参加。これ、私も見に行きました。
左手でハイハットを叩き、右手でスネアを叩く手を交差させないオープンハンドスタイル
で、同じオープンハンドのビリー・コブハムからセッティング、プレイ面で影響を受けている。

 

1989年『ギター・ショップ』

テリー・ボジオ

Terry Bozzio

(Terry Bozzio、1950年12月27日 - )はアメリカ合衆国のドラマー。

フランク・ザッパ、ミッシング・パーソンズのドラマーとして活動したほか、プログレッシブ・ロック、ニュー・ウェイヴ、ハード・ロックなど幅広いジャンルで活躍している。

「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において5位。

2008年に日本人女性と結婚。

知りませんでした。

義娘は日本のヘヴィメタル・バンド「Aldious」のドラマーのMarina

 

クレイジー・レッグス

 (Crazy Legs)

1993年6月29日

クライヴ・ディーマー

Clive Deamer

クレイジー・レッグス は、ジェフ・ベックがビッグ・タウン・プレイボーイズと共演したアルバム。

ジーン・ヴィンセントのレパートリーをカヴァーした。

英国を拠点とするインディペンデントセッションのドラマー兼パーカッショニストポーティスヘッドのリズミカルなバックボーンとロニサイズのドラマーの半分として、クライヴはマーキュリー賞を受賞した2枚のアルバム「ダミー」と「ニューフォーム」を録音しました。

彼はGetThe Blessingで「ジャズストーム」を作り上げ、2011年以来、PhilSelwayと並んでRadioheadで2番目のドラマーを務めています。

バンドとのツアーだけでなく、彼はグラミー賞にノミネートされたアルバム「ア・ムーン・シェイプト・プール」にも出演しています。

クライヴは、レッドツェッペリンのロバートプラントと彼のバンドThe Strange Sensationとのレコーディングとツアーを行い、彼のCVには、ホークウインド、スージーアンドザバンシーズ、トムジョーンズ、ゴールドフラップ、ジェフベックとのコラボレーションが含まれています。

彼のユニークで自由な演奏、味、そして規律へのアプローチは、彼がレコーディング/スタジオドラマーとして絶えず需要があることを保証します。

ジャズとロックの両方の彼の影響が融合して、精度を損なうことなく厳格なビートの期待を変えることができる強烈なドラマーを生み出します。

彼はロバート・プラントによると、「多大な努力と多様性」のキャリアを持っている「壮観なポリリズミスト」です。

ジェフ・ベック - ギター

マイク・サンチェス - ボーカル、ピアノ

エイドリアン・アトリー - リズムギター

イアン・ジェニングス - ベース、バッキング・ボーカル

クライヴ・ディーマー - ドラムス、バッキング・ボーカル

レオ・グリーン - テナー・サックス

ニック・ラント - バリトン・サックス

トニー・リヴァース - バッキング・ボーカル

 

クライヴ・ディーマーのドラムはそれなりに派手さを出しつつもスマートに決めていてとても良く、一時的な参加で終わってしまったのはもったいなかった。

ただこの人ってこの後PORTISHEADのレコーディングに参加したりロバート・プラントやADIOHEADのツアーメンバーになったりするので、むしろこういうバンドのレギュラー・メンバーになってもらえるような人材ではなかったかもしれない。

 

クライブ・ディーマー (Clive Deamer) - ドラムス (1983年-1985年)ホークウインド