①ジェフ・ベックのベーシスト

ジェフ・ベック・グループ

(The Jeff Beck Group)

第一期(1967年 - 1969年)

初期のベーシストはシャドウズのジェット・ハリスとデイヴ・アンブローズ

ロン・ウッドがベースを担当する

ジェット・ハリス(未録音)

テレンス "ジェット" ハリスは、イングランド出身のロック・ベーシスト。1962年まで在籍したシャドウズのメンバーとして有名。

2011年3月18日、癌のためイングランド・ウィンチェスターで死去。71歳没

 

デイヴ・アンブローズ(未録音)

This is the original record from 1966. 

Shotgun Express: Rod Stewart, Peter Bardens, Peter Green, Mick Fleetwood, Dave Ambrose, Phil Sawyer and Beryl Marsden.

1965年、Peter BardensとMick Fleetwoodが結成したThe Peter B’sに参加。同グループは当初インスト・バンドとして活動するが、シングル・リリース後の翌年春、フロントマンを加える方針に方向転換、Rod StewartとBeryl Marsdenの男女2人のリード・シンガーを加えてビート・グループShotgun Expressに発展する。

活動期間は1年に満たずにシングル2枚をリリースするにとどまったが、その後の音楽シーンで大活躍する豪華キャストが揃っていたことで「伝説のスーパーグループ」と後年評価を高めた。

同グループの解散後、StewartとともにJeff Beckのソロ第1弾シングルのレコーディングに参加。

ベーシストが固定できずにいたJeff Beck Groupに加わるもすぐに離脱し、Roger Suttonの後任でBrian Auger & The Trinityに加入。Julie Driscollを擁したアルバム「Open」をリリース。1970年の解散までドラマーClive Thackerとともにリズムを支え、人気バンドとなった。

後にA&Rマンとなりセックス・ピストルズやデュラン・デュランと契約を交わした人物

 

『トゥルース』

「ベックス・ボレロ」

このセッションのラインナップは、ジミー・ペイジがリズムギター、ジョン・ポール・ジョーンズがベース、キース・ムーンがドラムス、ニッキー・ホプキンスがピアノ

ジョン・ポール・ジョーンズ

ジョン・ポール・ジョーンズは、イギリスのミュージシャン、作曲家、マルチプレイヤー。同国のロック・バンド、レッド・ツェッペリンのベーシスト、キーボーディストとして知られる。

15歳の時に最初のバンド、ザ・デルタズに加わった。その後、ロンドンのジャズ/ロックバンド、ジェッツ・ブラックスでベーシストを務めた。彼の大きな転機は、1962年にジェット・ハリスとトニー・ミーハンに出会ったことだった。ジョンは、彼らのバンドで2年間演奏した。彼ら最大のヒット作「ダイヤモンズ」にはジミー・ペイジも参加していた。

1964年になると、ジョンはミーハンの推薦でデッカ・レコードのセッション・ミュージシャンとなる。

1964年~68年まで、彼は多数の編曲やキーボード、ベースの演奏をこなしていた。彼がレコーディングに参加したアーティストは、ローリング・ストーンズやハーマンズ・ハーミッツ、ミッシェル・ポルナレフ、ドノヴァン、ジェフ・ベック、キャット・スティーヴンス、ロッド・スチュワート、シャーリー・バッシー、ルルなど多数。

Ron Wood

ロン・ウッド

ミュージシャンとしてのキャリアは1964年、西ロンドンのイーズリーを拠点としたザ・バーズ (The Birds) からスタートした。この頃初めてローリング・ストーンズのライブを見て、自分もあのバンドに加わりたいと思ったという。

60年代後半にはザ・クリエイションや兄アートウッドが結成したアートウッドに参加後クワイエット・メロンに参加したがどれもあまりヒットせず短期間で解散した。

その後、ベーシストとしてジェフ・ベック・グループにロッド・スチュワートと共に参加するが、ウッドとスチュワートは『ベック・オラ』(1969年)発表後、同グループから離脱した。

ウッドとスチュワートは、スティーヴ・マリオットが脱退した直後のスモール・フェイセスに参加。バンドは間もなくその名をフェイセズと変える。フェイセズのライヴは音楽評論家などから評価されたが、1975年に解散した。

ローリング・ストーンズからミック・テイラーが脱退(1974年)した後、ストーンズの1975年のツアーにビリープレストンと共にサポートメンバーとして参加した。

ウッドはそのままアルバム『ブラック・アンド・ブルー』(1976年)のレコーディングにジェフ・ベックの推薦で参加。

75年の1月から2月にかけて行われたこのレコーディングは、テイラーの後任ギタリストを捜すためのオーディションでもあり、「グレート・ギタリスト・ハント」と呼ばれた。

ウッドの後談によると、候補にハーヴィー・マンデルがおり、ロリー・ギャラガーもセッションに参加していた。

最終的にウッドは、1975年4月にストーンズのアメリカ・ツアーのサポート・ギタリストとして発表される。

 

『ベック・オラ』

ジェフ・ベック - ギター

ロン・ウッド - ベース

ニッキー・ホプキンス - ピアノ、オルガン

トニー・ニューマン - ドラムス

ロッド・スチュワート - ヴォーカル

前作リリース後のツアー終盤にベックはミック・ウォーラーとロン・ウッドに解雇を言い渡す。

彼らの代わりとして、ドラマーにトニー・ニューマン、ベースにダグラス・ブレイクが加入したが、ダグラスの力量の低さにベックは彼を解雇、再びロンを加入させることとなる。

ダグラス・ブレイク(未録音)

彼の脱退後加入したダグラス・ブレイク(b)をベックがコンサート1回でクビにして、再びバンドに呼び戻した。

 

ジェフ・ベック・グループ

(The Jeff Beck Group)

第二期(1970年 - 1972年)

Rough and Ready (1971年)

Situation 

 I've Been Used 

Jeff Beck Group (1972年)

 I Got to Have a Song 

 Highways 

1970年後半にベックはボーカリストにアレックス・リガートウッド、キーボードにマックス・ミドルトン、ドラムにコージー・パウエル、ベースにクライヴ・チャーマンというラインナップでグループを再結成する。1971年6月、CBSと契約を交わし、新たなシンガーを探す。ロンドンのロニー・スコッツ・ジャズ・クラブでボブ・テンチが自らのバンド、ガスと共に歌う姿を見たベックは、彼をボーカリスト兼ギタリストとして自らのバンドに加入させた

Clive Chaman

クライヴ・チャーマン

Clive Chaman (Jeff Beck Group, Hummingbird) | Know Your Bass Player

Brian Auger's Oblivion Express

 

第2期ジェフ・ベック・グループ、ハミングバードのベーシスト。

70年代後半、ハミングバードでドラマー、バーナード・パーディーと鉄壁のコンビを組むが、その後音楽の世界から引退。

Brian Auger's Oblivion Express, Hummingbird, Jeff Beck Group, Romeo Z

 

『RAVEN EYES』

大谷 令文のアルバムに曲の提供と演奏もおこなっています。

ベースにC.チェアマン、キーボードのM.ミドルトン
ドラムにBLOW BY BLOWのR.ベイリー

Max Middleton - Keyboards 

Clive Chaman - Bass 

Richard Bailey - Drums 

Margaret "Maggie" Bell - Vocals 

Lenny "Lennie" Zakatek - Vocals Alan Marshal - Vocals

凄いメンバーですね。

 

ベック・ボガート & アピス

Beck, Bogert & Appice

BBA 

ジェフ・ベック、ティム・ボガート、カーマイン・アピス

Tim Bogert

ティム・ボガート

クラリネットを経てサックスプレイヤーとして活動を始めるが、時代の流れに迎合したバンドにサックス不要と判断され、ベース・ギターに転向せざるを得なくなる

。高校卒業後にベーシストとしていくつものバンドを掛け持ちする中でマーク・スタインと出会い、ザ・ヴィジョンズを結成。レコーディング中にバンド名をヴァニラ・ファッジへ変更し、1967年にレコード・デビューした。

ヴァニラ・ファッジはデビュー・アルバム『キープ・ミー・ハンギング・オン』が全米6位になるなど成功を収め、ボガート自身としてもカーマイン・アピスとの強力なリズム体が注目された。その後バンドは2年間で5作のアルバムを発表。しかしその活動の中で不協和音が増し始めたためジェフ・ベックやアピスらと新バンド結成へ動くが、ベックの自動車事故もあって頓挫、新たにカクタスを結成して1970年にデビューする。

1972年に念願のベック・アピスとの再合流が実現し、1973年にベック・ボガート & アピスとしてアルバムを発表する。

このトリオが消滅した後もビリー・コブハム、ロッド・スチュワートなど様々なミュージシャンと精力的に活動。

2021年1月13日、死去。享年76。

 

『ブロウ・バイ・ブロウ』

 (Blow by Blow)

本作は1974年12月にレコーディングが開始される。マックス・ミドルトン、ボブ・テンチ、クライヴ・チャーマンはジェフ・ベック・グループの後ハミングバードというバンドで活動しており、ジェフの要請を受けたマックスは快諾してレコーディングに参加した。

プロデューサーは、当時ジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラの『黙示録 Apocalypse』をプロデュースしたジョージ・マーティン。

ジェフはマハヴィシュヌ・オーケストラのジャズ・ロック的なアプローチに傾倒し、そこからマーティンにプロデュースを依頼したのであった。レコーディングはロンドンのエアー・スタジオで行われた。

ジェフ・ベック - ギター

マックス・ミドルトン - キーボード

フィル・チェン - ベース

リチャード・ベイリー - ドラムス、パーカッション

スティーヴィー・ワンダー-クラヴィネット(「セロニアス」※クレジット無し)

ジョージ・マーティン - オーケストラ・アレンジメント、プロデューサー

デニム・ブリッジス - エンジニア

Phil Chen

フィル・チェン

1940年12月、ジャマイカのキングストン生まれ。60年代に英国に渡り、ジェフ・ベック、ドノヴァン、ピート・タウンゼント、ロッド・スチュワートらのセッション・ミュージシャンとして成功を収めた。

癌との長い闘病生活の末、2021年12月14日の朝に亡くなった

 

1946年10月にジャマイカに生まれたフィルは、中国にルーツを持つ小柄なセッション・ベーシストだ。地元で腕を磨いたあと1960年代後半に英国に渡りセッション・ベーシストとしての活動をスタートさせる。

Jeff Beck - Guitars 

Phil Chen - Bass 

Richard Bailey - Drums 

Max Middleton - Keyboards


フィル・チェンのプレイを語るうえでハズせないアルバムが、ジェフ・ベックの『Blow By Blow』(1975年)とロッド・スチュワートの『Blondes Have More Fun(邦題:スーパースターはブロンドがお好き)』(1978年)だろう。

前者はジェフ・ベックのアイディアに溢れたギター・プレイはもちろんだが、フィルの柔らかくも力強く推進するグルーヴが堪能できるアルバム、後者は今やベーシストのお約束ともいえるオクターヴのディスコ・フレーズが炸裂する「Da Ya Think I’m Sexy?(アイム・セクシー)」が聴ける名盤だ。

1970年代後半はロッド・スチュワートのバック・バンドにも継続的に参加しており、ニコニコしながらアクティヴにステージを駆け回るイケメンなフィルの映像が多数残されている。

ベーシストならば、近年レア・グルーヴ・ブームの影響で再評価された英国のファンク・バンドGONZALEZの1stアルバム『GONZALEZ』(1974年)でのファンキーなプレイも必聴だ。

1972年から1975年にかけては元ドアーズのギタリスト、ロビー・クリーガーとドラマーのジョン・デンスモアが結成したバンド、Butts Bandに加わり、2枚のアルバムを残している。

また、1983年にはブライアン・メイのソロ・プロジェクトStar Fleet Projectに参加し、エディ・ヴァン・ヘイレンとの共演も果たしている。
頻繁に来日もしており、テレサ・テンのツアーに同行したほか、B‘zのギタリスト、松本孝弘のソロ・プロジェクトのレコーディングに参加するなど、日本のミュージシャンとも共演していた。