春になったので廊下の浮世絵を換えます。
印刷物
 歌川広重『名所江戸百景』
第97景「小奈木川五本まつ」
 小名木川北岸の五本松の川に張出した枝を大きく描き、小名木川を 遠くまで望んでいる。
ちりめん浮世絵(クレポン)の印刷
今でも松はありますよ。
 
絵葉書
ポール・ジャクレー 朱塗りの鏡 東京
この時に買った絵葉書です。園芸の浮世絵は少なく、貴重だと思います。
なかなか絵葉書を飾るのも楽しいですよ。
 
浮世絵
手刷木版画 
歌川広重「名所江戸百景」第99景
『浅草金龍山』
堂塔の赤と緑が雪に映えて美しく、雷門をくぐり、浅草寺境内まで続く参道には雪がこんもりと積もっています。この雪の部分は空摺(からずり)という絵の具を付けずに摺る技法が用いられていて、積雪の量感が巧みに表現されています。

浅草と言えば、この提灯といっても良いでしょう。来日する外国の方にもお馴染みです。

門をくぐり本堂そして五重塔に向かう人々が描かれています。

門をくぐり本堂そして五重塔に向かう人々が描かれています。

雪降る夜の浅草を黒いぼかしで表現しています。

雪降る夜の浅草を黒いぼかしで表現しています。

 

歌川広重「名所江戸百景」第52景 
『大はしあたけの夕立』
「大はし」は隅田川に3番目に造られた橋で、現在の中央区日本橋浜町と江東区新大橋1丁目をつなぐ「新大橋」のことですが、当時は200メートルほど下流に架かっていました。

現在は新大橋としてかかっている橋で、広重は橋脚もしっかりと描いています。

現在は新大橋としてかかっている橋で、広重は橋脚もしっかりと描いています。

雨に濡れないように、着物の裾をまくり上げ、傘を目深にかぶり帰路を急ぐ様子が描かれています。

雨に濡れないように、着物の裾をまくり上げ、傘を目深にかぶり帰路を急ぐ様子が描かれています。

雨を細い線で表すと共に、霞む向こう岸をぼかしを使うことで遠近感がある作品となっています。

雨を細い線で表すと共に、霞む向こう岸をぼかしを使うことで遠近感がある作品となっています。

 

歌川広重「名所江戸百景」第30景 
『亀戸梅屋舗』
伊勢屋彦右衛門の別宅が亀戸にあり、本来は「清香庵(せいきょうあん)」と名付けられましたが、見事な梅の花を咲かすことで評判となり、「梅屋敷」と呼ばれ、特に龍が地を這(は)うような姿をした「臥龍梅(がりゅうばい)」という一株が有名でした。
その名付け親は水戸光圀(徳川光圀、水戸藩主)だと伝わっています。
まだ寒さ残るころ春の息吹を感じさせてくれる梅の花。

まだ寒さ残るころ春の息吹を感じさせてくれる梅の花。

しっかりと枝が横にはっている臥龍梅。ゴッホもこの大胆な構図に魅了されたのかも知れません。

しっかりと枝が横にはっている臥龍梅。ゴッホもこの大胆な構図に魅了されたのかも知れません。

梅を見に訪れる風流人は、着物に梅の香をまとわせ春の訪れを楽しんだと言われています。

梅を見に訪れる風流人は、着物に梅の香をまとわせ春の訪れを楽しんだと言われています

 

歌川広重「名所江戸百景」第56景 
『堀切の花菖蒲』
堀切の菖蒲園の始まりは、江戸時代後期に小高伊左衛門という百姓が各地の花菖蒲を集めて開園したのがきっかけとされている。
堀切は現在の向島の北に位置します。江戸時代、この辺りは土地が低く、隅田川の分流が流れる湿地帯で、花菖蒲の栽培に適した土地だったようです。江戸から舟で隅田川を渡って容易に行くことができたので、江戸市民にとって堀切は、散策を楽しむのに最適な場所になっていました。
菖蒲の花は、勝負強くなりますようにとの想いから、節句の御祝いに欠かせない花でもあります。

菖蒲の花は、勝負強くなりますようにとの想いから、節句の御祝いに欠かせない花でもあります。

菖蒲の花も色々な種類がありますが、木版独特のぼかしを施した柔らかい花弁が印象的です。

菖蒲の花も色々な種類がありますが、木版独特のぼかしを施した柔らかい花弁が印象的です。

堀切菖蒲園は、江戸から隅田川を渡ってすぐに行かれたため花を見る人で賑わっていたそうです。

堀切菖蒲園は、江戸から隅田川を渡ってすぐに行かれたため花を見る人で賑わっていたそうです。

 

歌川広重 名所江戸百景57景 
「亀戸天神境内」
亀戸天神は、江戸中を焼き尽くした明暦の大火(1657年)の復興事業の一環として将軍家綱が社地を寄進したのが始まりだそう。太鼓橋の上から、境内の藤棚を一望できる名所として、広重の時代以前から有名だった
今の境内に残る太鼓橋は、印象派の画家モネに影響を与えたことでも有名です。

今の境内に残る太鼓橋は、印象派の画家モネに影響を与えたことでも有名です。

4-5月に花を開く藤。遠景には満開になった藤棚を、近景には藤の花の細部を華麗に描いています。

4-5月に花を開く藤。遠景には満開になった藤棚を、近景には藤の花の細部を華麗に描いています。

亀戸天神は、現在でも藤の季節にはたくさんの花見客が訪れる人気の花見スポットです。

亀戸天神は、現在でも藤の季節にはたくさんの花見客が訪れる人気の花見スポットです。

 

団扇絵・浮世絵

この図は「団扇絵(うちわえ)」と言って、当時の人々が自分の団扇へ貼るために作られたもの。

英語で「fan-type (ファンタイプ)」と呼ぶと、驚きをもって理解されます。

歌川広重 雁の玉章

嘉永6年4月改

中国前漢のひと蘇武の故事にかかわる言葉。

匈奴に久しくつかまっていた蘇武が雁の足に文を結んで飛ばしたところ、それが都に 届き無事帰れたという。

この故事から「雁の使」は手紙を運ぶ人 であり、また、単に手紙をも意味するらしいです。江戸時代に流行ったのでしょうか?

今は意味がよく分かりません。

 

歌川国芳 十日の雨
夜、急に降ってきた雨にあわてて道を急ぐ姿を躍動的に描いています。
国芳の時代の美人は、歌麿とは違い、鼻はすっきり、あごが出た感じに描かれます。

国芳の時代の美人は、歌麿とは違い、鼻はすっきり、あごが出た感じに描かれます。

髪の毛の生え際は、彫師の中でも高度な技術をもった職人だけが任される部分です。

髪の毛の生え際は、彫師の中でも高度な技術をもった職人だけが任される部分です。

夜を表す暗い色の背景に、雨が白い線で表現されています。

夜を表す暗い色の背景に、雨が白い線で表現されています。

 

歌川広重「朝顔」

広重が描いた団扇絵は比較的多く残っていますが、花鳥を扱った図は少なく、特に本図のように朝顔を大胆に正面から描かれたものは貴重で、日本らしい季節感が感じられます。

四季の花盡(はなづくし)とあり、本図は夏の花「朝顔」を描いています

四季の花盡(はなづくし)とあり、本図は夏の花「朝顔」を描いています

夏の風物詩、朝顔が広重の手により、柔らかく描かれています。

夏の風物詩、朝顔が広重の手により、柔らかく描かれています。

朝顔の花と葉の陰にきりぎりすが隠れていました。

朝顔の花と葉の陰にきりぎりすが隠れていました。

左側の朝顔にキリギリスが止まっているのが分かりますか?

 

廊下にある小さな小さな美術館です。