今回からジェフ・ベック先生のバンドで活躍したピアニストの特集です。

まずは彼から❣️

 

ニッキー・ホプキンス

ニッキー・ホプキンス

(Nicholas Christian Hopkins)

1944年2月24日 - 1994年9月6日

1967年のジェフ・ベック・グループのアルバム『トゥルース』を録音後のUKツアーの後グループに加入、『ベック・オラ』を録音して、1969年のアメリカ・ツアーの6月グループを去る

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Jailhouse Rock The Jeff Beck Group.

Nicky Hopkins, Ron Wood and Rod Stewart of 

The Jeff Beck Group.

バンドのメンバーとしての活動は、1967年のジェフ・ベック・グループのアルバム『トゥルース』を録音後のUKツアーの後グループに加入、『ベック・オラ』を録音して、1969年のアメリカ・ツアーの6月グループを去り、 ジェファーソン・エアプレインのキーボーディストとしてウッドストック・フェスティバルに参加。

またスティーヴ・ミラー・バンドのアルバムに参加し、結局クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスに加わりグループのアルバム制作に関わるなどして「サンフランシスコ・サウンド」の確立に貢献した。

 

しかしその反面、若い頃からクローン病で苦しんでいた。病気とそれに伴う外科的治療は彼にとってツアーへの参加を困難なものとした。このことから彼はスタジオ・セッションにその活動の比重を置くこととなる。

ただし、体調が比較的良好だった時は他のバンドのツアーにも参加したことがあり、1971年~1973年頃のローリング・ストーンズのツアーにも参加していた。


ザ・フー

『マイ・ジェネレイション』(1965年)

「The Song is Over」(1971年)

ザ・キンクス

『キンク・コントラヴァーシー』(1965年)

『フェイス・トゥ・フェイス』(1966年)

「Mr. Pleasant」(1967年)

「Village Green」(1968年)

「Berkeley Mews」(1968年)

ジェフ・ベック

「Beck's Bolero」(1967)

『トゥルース』(1967年)

This instrumental track was recorded in 1966 

by Jeff Beck (lead guitars),

Jimmy Page (12 string rhythm)

 John Paul Jones (bass),

Keith Moon (drums) and Nicky Hopkins (piano).

T・レックス

「Jasper C. Debussy」(1974年)

ローリング・ストーンズ

「She's a Rainbow」(1967年)

「Sympathy for the Devil」(1968年)

『ベガーズ・バンケット』(1968年)

「Gimme Shelter」(1969年)

「Live With Me」(1969年)

「Monkey Man」(1969年)

「Sister Morphine」(1970年)

「Tumbling Dice」(1972年)

「悲しみのアンジー」(1973年)

ビートルズ

「レボリューション」

(シングル・ヴァージョン) (1968年)

クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス

「Shady Grove」

「Edward (the Mad Shirt Grinder)」

「Spindrifter」

ジェファーソン・エアプレイン

「Volunteers」(1969年)

「Eskimo Blue Day」(1969年)

ジョン・レノン

『イマジン』(1971年) 

『心の壁、愛の橋』(1974年)

ジョージ・ハリスン

『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(1973年)

リンゴ・スター

『リンゴ』(1973年)

ジョー・コッカー

「You are So Beautiful」(1974年)

ジェリー・ガルシア

「Reflections」(1976年)

『ジャミング・ウィズ・エドワード』 

Jamming With Edward! (1972年) 

ニッキー・ホプキンス、ライ・クーダー、ミック・ジャガー、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ

『夢みる人』 

The Tin Man Was A Dreamer (1973年)

1973年にソロ・アルバム『夢みる人』をリリースした。アルバムにはジョージ・ハリスン(ジョージ・オハラとクレジットされた)、ミック・テイラー、プレーリー・プリンス等が参加した。同作ではホプキンスの稀な歌唱を聴くことができる。

 1992年から1993年には、日本のTVドラマの音楽も手掛けている。

『逃亡者』、『パ★テ★オ』、『並木家の人々』(いずれもフジテレビ系)、映画『ラストソング』のサウンドトラックは、ホプキンスの名義でCDも発表された。

 

1994年9月6日にテネシー州ナッシュビルの聖トマス病院で死去した。50歳没。

死因は腸の手術後に生じた併発症による物であった。

死の直前まで、レイ・コールマンと共に自叙伝を執筆していた。