カワウソ・獺・川獺・かわうそ
アクアマリンふくしまのカワウソ、ドナウ。
このカワウソはユーラシアカワウソ。
ユーラシアカワウソは日本カワウソの親戚です。
やはり親戚なので、同じような寝かたをしますね。
絵画での日本カワウソ
昭和46年(1971)
発行日 1974.6.25
獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえる。
カワウソの習性。
日本文学での日本かわうそ
その昔、東京にもいっぱい住んでいた日本カワウソ
「築地の川獺」田中貢太郎
築地の河には地震前まではカワウソがいっぱいいたと云うから、大正の初めごろまでは築地にカワウソが居たんですね。イタズラをしたそうです。
半七捕物帳「広重と河獺」 岡本綺堂
岡本綺堂は「カワウソ」は雨の日に人間がさす傘の上にしがみつき、重くさせる悪戯もしたようだと書いています。「むかしはここらに河獺が出たそうですね」
「出ましたよ」と、老人はうなずいた。「河獺も出れば、狐も狸も出る。
「出ましたよ」と、老人はうなずいた。「河獺も出れば、狐も狸も出る。
向島というと、誰でもすぐに芝居がかりに考えて清元か常磐津の出語りで、道行や心中ばかり流行っていた粋な舞台のように思うんですが、実際はなかなかそうばかり行きません。夜なんぞはずいぶん薄気味の悪いところでしたよ」
「ほんとうに河獺なんぞが出ては困りますね」
「あいつは全く悪いいたずらをしますからね」
なにを問いかけても、老人は快く相手になってくれる。
「ほんとうに河獺なんぞが出ては困りますね」
「あいつは全く悪いいたずらをしますからね」
なにを問いかけても、老人は快く相手になってくれる。
一体が話し好きであるのと、もう一つには、若いものを可愛がるという柔かい心もまじっているらしい。彼がしばしば自分の過去を語るのは、あえて手柄自慢をするというわけではない。聴く人が喜べば、自分も共によろこんで、いつまでも倦まずに語るのである。
そこでこの場合、老人はどうしても河獺について何か語らなければならないことになった。
「つかんことを申し上げるようですが、東京になってからひどく減ったものは、狐狸や河獺ですね。狐や狸は云うまでもありませんが、河獺もこの頃では滅多に見られなくなってしまいました。
この向島や千住ばかりじゃありません。以前は少し大きい溝川のようなところにはきっと河獺が棲んでいたもので、現に愛宕下の桜川、あんなところにも巣を作っていて、ときどきに人を嚇かしたりしたもんです。
河童がどうのこうのというのは大抵この河獺の奴のいたずらですよ。これもその河獺のお話です」
「貉(ムジナ、MUJINA)」小泉八雲
赤坂に出る目も鼻もないのっぺらぼうの川獺のことがある。
かわうそは登場する妖怪としても知られる。
また、しばしば本所七不思議の一つ『置行堀』と組み合わされ、魚を置いて逃げた後にのっぺらぼうと出くわすという展開がある。
妖怪としての害は人を驚かすことだけで、それ以上の危害を与えるような話は稀
川越では他の地方で化け猫や河童の話となっている怪異がみんなカワウソの仕業になっている。カワウソが普通の動物だった時代の話
1956(昭和31)年から1969(昭和44)年までの13年間、6頭の日本カワウソを飼育しました。
日本人が僕たちに犯した罪をお許しください。
私はいまでも何処かの海や島や山の川に、日本カワウソが生きているように思います。
もう誰も捕まえないで!
生きていると信じています。