John Symon Asher Bruce
1943年5月14日 -
2014年10月25日
史上最高のベース・プレイヤー第8位
何と云ってもクリームの原動力です
Jack bruce playing jazz upright bass with dick heckstall-smith and john hiseman things we like live "over the cliff"
学校でクラッシックを学びそれからジャズ、ロックに進みました。
ジンジャー・ベイカーが、ヤードバーズで注目され
名門ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに在籍していたエリック・クラプトンをバンドに誘います。
クラプトンは、当時マンフレッド・マンにいたジャック・ブルースをベーシストにするならばという条件を出し、クリームが結成されました。
実はこの2人犬猿の仲。
亡くなるまでお互い何度もグループを作り、喧嘩別れしました
20代でCreamを結成
エリック・クラプトン21歳
ジンジャ―・ベイカー27歳
ジャック・ブルース 23歳
3人は全く対等の高度な演奏力で火花を散らし、強烈なアドリブを繰り広げ、誰かがリーダーシップを取って牽引するというようなことはありませんでした。
わずか2年半の活動で世界を席巻し、1968年に解散します。
その後ジャックはソロになり色々なグループを結成しましたそしてジャズ、ロックのバンドと渡り歩き
しかし、そこには常にジャックの音があり、世界がありました
1973年アメリカのロック・バンド「マウンテン」のレスリー・ウエスト、コーキー・レイングとのトリオ
ウエスト・ブルース・レイングを結成
来日直前に解散。残念❣️
1977年にヒューイ・バーンズ、トニー・ハイマス、サイモン・フィリップスと
「The Jack Bruce Band」結成
トニー・ハイマス、サイモン・フィリップスは後年、ジェフ・ベックのバンドに入ります。
1994年にはジンジャー・ベイカー、ゲイリー・ムーアとBBMを結成してのアルバムを1枚発表しましたが、
その後お決まりのジンジャ―・ベイカーとの喧嘩の末、解散。
Creamもその後2回再結成しました。
1993年ロックの殿堂入りした、その場限りの受賞コンサートでの再結成
2001年にジャック・ブルースは肝臓癌の緊急移植手術を行う
2003年に伝説なるジャック・ブルース、Char、サイモン・カークという組み合わせでライブが日本武道館で予定されていたものの、ブルースの癌治療のために中止に
2005年にクラプトンは、体調が悪いジャックとジンジャーに声をかけCream再結成ライブをイギリスとアメリカで行う
会場は解散前の最後のライヴを行ったロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで5月に、10月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、再結成ライブが行われました。
日本でも見たかったですね。クリーム。
2012.08.02 & 03
ジャック・ブルース・Char・屋敷豪太
“Absolute Live Japan!!”
クリームのジャック・ブルースと、ギターの Char、そしてドラムの屋敷豪太によるスリーピース・バンドの、日本だけのスペシャル・ライブが、8月に入ったばかりの 3夜にわたり開催されました。
全く知りませんでした。ジャックブルースは何度か来日公演をしているのですが全く気付かず、結局一回も会う事が無かった一人です。
その後何枚かのアルバムを出し、2年後ジャック・ブルースは亡くなります。
エリック・クラプトンは自身のフェイスブックで「偉大な音楽家であり作曲家だった。私に多大なインスピレーションをもたらした」とコメントを発表しました。
ジンジャ―・ベイカーは「とても悲しい日だ。さようなら、俺の友人よ」とのコメントを残したほか、ファン・クラブを通じ「素晴らしい男、ジャック・ブルースが亡くなったと聞き、とても悲しい…
この困難な時、彼の家族へ思いと祈りを」との声明が発表されました。