皆さんが好きなグルメ編
これは講座にはなかった話
永井荷風が好きだったもの
好きなものは
- 鰻
- 牛肉 牛鍋 = すき焼き
- 鮪のぬた
- 烏賊と独活(うど)の甘煮
- 胡瓜もみ
- 牛肉の佃煮(お歌さん作)
- アイナメの照焼
今半(すき焼き)
フジキッチン(洋食)浅草ロック座の踊り子達と頻繁に訪れた
平成25年(2013)6月30日閉店
千束町洋食屋大阪屋(洋食)浅草の老舗洋食屋
昭和27年(1952年)文化勲章を受けた祝賀会を行った
梅園(甘味処)安政元年(1854年)浅草寺の別院(梅園院)で創業したことがその名の由来 元祖あわぜんざい
ハトヤ(喫茶店)浅草新仲見世通りにある喫茶店ハトヤ
1927年創業の老舗喫茶店
飯田屋(どぜう) 1902(明治35)年にどじょう専門店、慶応時代から続く同店 創業117年
73歳の7月3日から半年の間、57回通ったといわれる
毎回注文は「柳川鍋、ぬた、お銚子1本」だったらしい
現在:柳川鍋(1850円)、ぬた(950円)、お銚子1本(月桂冠630円) 合計3480円
『ぬた』女将に伝授された秘伝の味噌を使用
秘伝の味噌を絡めた本マグロに、わかめ、ウド、くらげを添えています。やや濃いめのお酒やご飯を誘う味
「チキンレバークレオール」 1404円
鶏肉、鶏のレバー、玉ねぎと一緒にトマトソースで煮込む
ハッシュドビーフに近い料理
来店すると必ず同じ席に座り、2週間連続して同じものを食べ、次の2週間は別のものを連続して食べていたそうです 2016.10.3閉店
「尾張屋」浅草 かしわ南蛮 900円
同じ店に通いつめたというエピソードの中でも、最も極端な例が、永井荷風と「尾張屋」の関係
「私が昭和29年に嫁いできたとき、女将であった母から『変な爺さんが毎日昼に来るから、奥の席を必ずとっておくこと。お茶を出したら注文は聞かないでいいから、かしわ南蛮を出すこと』と言いつけられました。それが永井荷風さんだったのです。
まさに一年365日通われました」と女将の田中登美子さん
そんな女将に初めてかけられた言葉が「お手洗いはどこ」。
そのお手洗いで荷風は倒れ、間もなく女将は荷風の訃報を新聞で知る。
結局、なぜ通いつめ、かしわ南蛮を食べ続けたのかはわからないままだった。
「大黒屋」市川
ほぼ毎日、店が休みでも先生がいらっしゃるとお作りしました。いつもきまって「並のカツ丼」と「上新香」、「お酒一合」をただ黙々と召し上がられました。
亡くなる直前になると、日記の内容も「天気の事」と「正午大黒屋」 のみの記述となっている
亡くなられた前日にも、いつもの「カツ丼」を召し上がった
荷風セット(1500円)
永井荷風がかつて食べていたものをセットにしたメニュー
かつ丼、しじみ汁、お漬物、そして菊正宗(日本酒)1合
20017.6閉店
鰻
大和田
麻布芋阪大和田の鰻を馳走せらる。余鰻を食せざること十余年なり。この夜味殊に美味なるを覚ゆ。」大正13年2月
つるや
浅草の新仲見世の松屋寄りにある「つるや」で、うな重と肝吸い
一時期通った店で、断腸亭日乗には、昭和26年に12回、昭和27年に20回、「つるや」「鶴屋」「ツルヤ」で食事をしたことが記されている。
竹葉亭本店
永井荷風『断腸亭日乗』、夏目漱石『吾輩は猫である』にも登場するなど、文人に愛され続けてきた。
創業は江戸末期(1865年頃)で新富町にあったが、関東大震災後に現在地に移転した。京都から大工を呼んで建てた築90年の建物は風情がある
まだまだ続きます