Felix Pappalardi&Creation

Travelling In The Dark 
Live... Denver '76
こんなアルバムがあると思っていませんでした
海賊盤⁉️いえいえ。
😱😱😱😱
音も思ったよりいいです!
1 .Preachers'Daughters 
04 :31
2. Secret Power 
06 :47
3 .Dreams I Dream of You 
04 :24
4. Travellin' in the Dark (To EMP) 
03 :55
5. Reason to Believe 
03 :15
6 .Dark Eyed Lady of the Night 
05 :06
7 .As the Years Go Passing By  
07 :15
8 .Nantucket Sleighride (To Owen Coffin) 
21 :40
9 .High Heeled Sneakers 
02 :14
 
1976年
Felix Pappalardi&Creation
アルバムのプロモーションの為にキッスやジョニー・ウインターのオープニング・アクトとしてUSツアーを行う。
その中でコロラド州デンバーでの公演時に、地元のロック専門FM局KCUV-FMでスタジオ・ライヴを行った。
そこで披露されたアルバムの楽曲やマウンテンの楽曲など全9曲を完全収録したライヴがこれ
 
Felix Pappalardiとは誰?
4人目のクリームと云われた男
「クリエーション ロック」の画像検索結果

このアルバムからクリームのプロジューサーになる男

マウンテンはクリームの後継バンドと云われたハードロックバンド

レズリー・ウエストのデビューアルバム&バントが発展した。

そして、クリエーションのアルバムをプロデュースしてワールドツアーをした男

フェリックス
パパラルディ 
Felix Pappalardi
これは彼と
クリエーション
物語

プロジューサーでありながら、自らマウンテンのメンバーとしてアメリカン・ハードロックを牽引した男

1973年8月
マウンテンの初来日の時にクリエーションは前座で登場し、マウンテンのプロデューサーでありベースとヴォーカルを担当するフェリックス・パパラルディと運命的な出会いを果たす。
後年、竹田がインタビューで語っているが、この時パパラルディはクリエイションに「海の向こうには大きな世界があるのに、日本に閉じこもっていてはダメだ」と海外進出を促したという。

1975年

内田裕也プロデュース

第1回『ワールド・ロック・フェスティバル』後楽園球場

クリエイションは、四人囃子、カルメン・マキ&OZ、イエロー、ニューヨーク・ドールズ、ジェフ・ベック等と共に出演する

 

Brow by Browの頃のジェフ・ベック先生

風邪😷の病の中、全力で演奏しました

この後の公演を全てキャンセルして涙😭の帰国✈️

「jeff beck world rock festival」の画像検索結果

フィナーレを飾るジョー山中とフェリックス・パパラルディの共演ステージのバッキング・メンバーとして森園勝敏、近田春夫たちと共にクリエーションの竹田と樋口も参加することになり、パパラルディと2年ぶりの再会を果たす。

 

すでにこの時点で、両者による共演アルバム制作のプロジェクトは進行しており、この年の10月には、マサチューセッツ州ナンタケット島にあるパパラルディの自宅スタジオでレコーディングを開始。

ここで約1カ月に亘って作業した後ニューヨーク州ウッドストックのベアーズヴィル・スタジオに移動して再び1カ月に亘るレコーディングが行なわれた。

 

竹田和夫について

竹田のギター・プレイを聴いて、かつて自分がプロデュースしたクリームのエリック・クラプトンを想い起こしたとパパラルディ自身も語っている。お世辞でしょうが・・・
「クリエーション ロック」の画像検索結果
 
『クリイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』
76年4月5日

日本盤 結構かっこいいかな!

Felix Pappalardi And Creation

輸入盤は名前が逆転しています。クリエーションじゃ無名だしね。

それにしてもダサ過ぎませんか?このセンス。

マフィアのボスと怪しいアジア人の若者的な構図

ロックの雰囲気がないんじゃない?

 

プロデュースはパパラルディと夫人5人目のマウンテン)

ゲイル・コリンズ(収録曲全9曲中8曲の作詞も担当)。

エンジニアは、エリック・クラプトンのライヴ・アルバム

『E.C.Was Here』(75年)を手がけたラフ・モス。

ゲストとして、ポール・バターフィールドがアルバムのオープニングを飾る「She’s Got It」にブルース・ハープで参加している。

パパラルディは全曲のヴォーカルの他、数曲でベース、キーボードも弾いている。

アレンジ等にも積極的に関わっており、必然的に彼のカラーが前面に押し出された作品に仕上がった。

こうして完成したアルバムは『クリイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』という何の変哲もないタイトルが付けられた。

外国人プロデューサーを迎えての日本のロック・アルバムということで話題を呼び、オリコンのアルバム・チャート8位まで上がった

 

パパラルディの考えは当時、ハードロック路線のクリエーションをポップなバンドにして海外デビューをした。

ヴォーカルはFelix Pappalardi。やっぱり英語がうまいし(笑)

でも、曲そのものはパパラルディの世界観です。

いい曲もあるけれどね。

当時はポップ路線がえ!っと思った私。

しかし、当時の世界の音楽の流れがもうレゲエの時代だったので正解だったのかもしれません。

1976年

4月24日に日本武道館で開催されたパパラルディ&クリエイションのお披露目コンサートも成功裏に終わった。

見に行きましたよ私

とてもとても音の悪いアルバム(海賊盤じゃないの?)

正規盤で売るには酷過ぎますが、また買ってしまうのがファンなんですね。

そして、いよいよニューヨーク、LA、シカゴ、ボストン等を廻るツアーがスタートする日に、アルバム『クリイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』が『Felix Pappalardi & Creation』のタイトルで、A&Mレーベルを通じて全米とカナダで発売されました。

 

😇その後の悲劇😇
おしどり夫婦だと思っていたのに・・・
ゲイル・コリンズは画家であり作詞家。
マウンテンのジャケットや作詞をしていた。
 
83年4月17日
5人目のマウンテン 妻ゲイル・コリンズ
パパラルディは、79年にA&Mよりソロ・アルバム『Don’t Worry Ma』をリリースするが、女性問題のトラブルから妻ゲイルに射殺される
享年44歳だった。
 
パパラルディは妻ゲイル・コリンズに射たれ43歳で死去した。
 
ゲイルはパパラルディに愛人がいたことを知っていた一方、殺意を否認して銃の練習中の事故だったと主張し、最終的には過失致死罪として懲役4年の実刑判決となった。
なお、ゲイルは刑期の半分で仮釈放となり、その後は表舞台から姿を消した。
13年12月6日
メキシコ合衆国ハリスコ州のリゾート地にあるゲイル・コリンズ自宅にて死去(ガン)。
Gail Collins, Tupelo Real Estate Agent - ActiveRain
仮釈放を経て講演活動やTV出演などマスコミにも登場していましたが、充分な著作権収入もあったようです
ドント・ウォリー・マ

ロックを築いた巨匠