バロン吉元さん
これからですよ
バロン吉本
1959年のデビュー以降、1960年代から70年代にかけて
劇画ブームの第一線で人気漫画家として活躍した
バロン吉元。『週刊漫画アクション』に10年に渡り連載された代表作「柔俠伝」シリーズをはじめ、「どん亀野郎」「黒い鷲」「殴り屋」など数多くの作品を発表。
しかし人気絶頂の最中、全ての連載を終了し突如渡米。
帰国後はバロンの名を伏せ、絵画制作への挑戦

1959年「街」(セントラル出版)に投稿した『ほしいなあ』が入選、新人特別賞受賞

その後、横山まさみちのアシスタントになり、ストーリーを学ぶ。

それに平行して、セツ・モードセミナーにて長沢節、穂積和夫などファッション・イラストレーターに絵を学ぶ。

アクションやSF、青春物などの貸本漫画を本名「吉元正」の名義で発表し、青年誌へ活動の場を広げた

 

漫画アクション

バロン吉元の名は1967年に「漫画ストーリー」(双葉社)に掲載された『ベトコンの女豹』から使用(本人曰く「編集部に勝手に付けられた名前」とのこと)

 

1967年に創刊された「漫画アクション」(双葉社)において活躍し、代表作である大河漫画『柔侠伝』シリーズは1970年、大阪万博で始まり三島由紀夫の割腹自殺で終わった激動の年に開始され以後10年間にわたり連載。

70年代を代表するヒット作であり、人気を博した

 

同作ヒロインの一人、「茜」はサントリーから発売されたマイルド・ウォッカ「樹氷」のコマーシャルに

「樹氷にしてねと、あの娘は言った。」

のキャッチコピーと共に起用された

いいですね

よく飲みました

 

また、歌手あがた森魚が1974年に発表したアルバム、「噫無情(レ・ミゼラブル)」に収録されている「昭和柔侠伝の唄」(最后のダンス・ステップ)は、バロン吉元の同作にちなんだ女優緑魔子とのデュエット曲である。

基本的に青年漫画のフィールドで時代劇、戦記、伝記、ギャンブル、SF等幅広い作品をこなす。

「柔侠伝」終了後

渡米。1985年に帰国後は「龍まんじ」の雅号で絵画制作活動を開始する。

並行して、「石川啄木」(佼成出版)、「小さな巨人」(アフタヌーン)、「親鸞」(角川書店)などを発表。

原画がいっぱいあります

邦画・洋画問わず、映画作品への造詣が深いことから、映画誌キネマ旬報1976年5月上旬号より連載を開始。

1978年3月上旬号まで「ハリウッド悪党伝」、4月上旬春の特別号から1980年5月上旬号まで「ギンマク悪党伝」そして1980年6月上旬号から1981年5月上旬号まで「映画悪党伝」を執筆。

これらの連載は、後に双葉社より出版された「映画悪党伝」にまとめられている。書中には、貸本時代よりバロン吉元のファンであった俳優松田優作との対談も掲載されている。

バロン吉元はそれより前に、松田優作主演の日本テレビ系ドラマ『探偵物語』番組宣伝用ポスターも手がけており、また2002年2月に渋谷PARCOにて開催された

「YUSAKU MATSUDA EXHIBITION 松田優作と現代のクリエイターたち」には、宇川直宏、ナンシー関、リリー・フランキーらと共に、松田優作へのオマージュであるイラストレーションを展示した。

続きます