Beck Bogert & Appice

ベック、ボガート&アピスは1973年5月に日本ツアーを行い、5月14日の武道館公演で私は先生にお目にかかりました。

29歳の先生でした。今に思うと現在でも、まだ現役なんて想像もできなかった時代です。
このことは以前も書いたのでまた違う話をします

実はその客席には「ハンブル・パイ」のメンバーがいました

ハンブル・パイは15日の新宿厚生年金会館でのギグを経ての最終公演。5月16日渋谷公会堂を行います

Humble Pie ハンブル・パイ

スティーヴ・マリオット

(Steve Marriott,g,vo,key)

グレッグ・リドリー

(Greg Ridley,b,g,vo)

ジェリー・シャーリー

(Jerry Shirley,ds,key)

コロシアムのクレム・クレムソン

(David "Clem" Clempson,g,key.vo)

 

スティーヴ・マリオット

小さいけれど凄い歌唱力です。

  • 1974年のミック・テイラー脱退後、ローリング・ストーンズに参加したギタリストがロン・ウッドではなくスティーヴ・マリオットだったならば。

    ミック・テイラーの後釜としてマリオットの名も上がっていたが、彼のヴォーカルに脅威を感じたミック・ジャガーの反対により却下。

  • レッド・ツェッペリンのロバート・プラントは、一時期マリオットの追っかけをしていたらしい。ブルーズにおける歌唱法にも強く影響され、初期の歌唱法には多くの類似性が認められる。また、「スティーヴ・マリオットになりたい」と羨ましがられていたほどである。

クレム・クレムソン

コージ・パウエルが語る

ハンブル・パイのグレッグ・リドリー、クレム・クレムソン、それに俺の3ピースで、クリームを作ろうってしたわけだ。3人ともクリームの音楽が大好きだったんだ。グレッグもクレムも、楽器も弾けるし歌えるし。で、さあ始めるぞってしてたら、ジョン・ハイズマン がクレムを高給でコロシアムに 連れてっちまった。ジョンを憎んだよ。俺の夢を潰しやがって。その後は仲直りして、今じゃ良い友達だけどな。

コージー・パウエルのソロアルバム『Over the top』の中の「The loner」というジェフ・ベックに捧げる曲では、マックス・ミドルトンと共にギターを弾いています。この曲、ジェフが没にした曲みたいです。

いい曲なのにね・・・・

またゲーリー・ムーアもこの曲を取り上げています。

このメンバーが凄い

Cozy Powell(D)

Jack Bruce(B)

Max Middleton(K)

Clem Clempson(G)

Don Airey(K)

クリーム、コロシアム、ジェフベック・グループの混合です。

先生との接点

  • 1980年にメンバーを一新しハンブル・パイを再結成します。新メンバーはジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ(Bob Tench)が参加
  • 《ベックス・ボレロ》ジェフ・ベック・グループのデビュー・アルバム「トゥルース」(1968年)の1曲

レスポールのリード・ギターがジェフ・ベック、12弦のエレクトリック・ギターがジミー・ペイジ、ベースとピアノはジョン・ポール・ジョーンズとニッキー・ホプキンス、そして、ドラムスがザ・フーのキース・ムーンというラインアップだった。

ヴォーカリストには、スティーブ・ウィンウッドスティーブ・マリオットが候補にあがっていたが、しかし、その計画は幻に終わってしまいました。そのバンドにはキース・ムーンが提案したバンド名「レッド・ツェッペリン」だった。

 

BBAのコンサートの時にスティーブ・マリオットは楽屋に行かなかったんだろうか?

もしかして行ったのかも知れません。

しかしBBAは日本での初コンサート初日。アンコールでのジャム・セッションなんてあれば歴史に残ったのにね。

なんてことを考えるのも楽しいです。