勉強会が終わりました
「葛飾応為」月に1度全5回の勉強会です。
すみだ北斎美術館、太田記念美術館の学芸員の先生に教わりました。
葛飾北斎の三女。応為(おおい)は号(画号)で、名は栄(えい)と言い、お栄(おえい、阿栄、應栄とも)、栄女(えいじょ)とも記されました。
最近テレビで何度も話題になっていました。
実際の研究でも近年知られ、浅草の聖天横丁の狸長屋で北斎が亡くなる最後まで一緒にいた肉親です。
- 「おんな北斎 天才浮世絵師は二人いた!」
- 葛飾応為「夜桜美人図」美の巨人
- 「眩(くらら)~北斎の娘~」NHK
- 北斎ミステリー ~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~BS11
- アニメ映画「百日紅」
- 「歴史秘話ヒストリア」北斎の娘・葛飾応為 NHK
「おんな北斎 天才浮世絵師は二人いた!」吉田羊が応為役
「美の巨人」テレビ東京
「眩(くらら)~北斎の娘~」宮崎あおいが応為役
「もう1人の北斎とは?」
「百日紅」アニメです。映画にもなりました。
「歴史秘話ヒストリア」北斎の娘・お栄と名画のミステリー
テレビだとお栄さんは皆さん美人に描かれています。
でも・・その実態は・・・・
唯一、北斎の弟子が書いた北斎と応為の図 両国の長屋の風景
キセルを持って北斎のことを見ているのがお栄さん。
後ろにはゴミが山になっています。
これが本物の応為さん50歳ぐらい・・・・北斎は80代後半・・・
アゴが出て決して美人ではなかったそうです。
葛飾応為「吉原格子先之図」 太田記念美術館
葛飾応為「月下砧打ち美人図」 東京国立博物館
葛飾応為「夜桜美人図」メナード美術館
葛飾応為「三曲合奏図」ボストン美術館
葛飾応為「関羽割臂図」クリーブランド美術館
葛飾北斎、応為 合作「唐獅子図」ボストン美術館
デビューはわずか10歳のとき。
北斎が『狂歌国尽』の挿絵を娘の才能を見込んで「霧の中を行く帆掛け船」の場面を書かせたのが最初と言われています。
挿絵には、北斎によって「栄女筆」と筆が入っています。
作風
北斎の画風をそのまま受け継いだが父とは違い、女性らしい繊細で優美な絵を得意としたらしい。
また後年は西洋画に興味を示し、特に「光と影」の対比を題材とした作品を数点残しています。
応為の名が残る作品はわずか10点ばかりと少ない。
これは版元・画商が葛飾北斎筆として、全て扱ったことが原因ではないかと思われています。
現在ある「葛飾北斎」の作品群は父娘二人の軌跡といって差し支えないものと考えられるようになってきています。
人物
「男っぽく任侠風を好み、貧乏や散らかりを気にしない大雑把な性質」とされ、北斎からは画才、ズボラ加減まで受け継いでしまったらしいです。
嫁入り先で鍋の湯も沸かさず、日がな一日絵を描き続け、また旦那の画才を鼻で笑ってしまい離婚になったらしい。
ちなみに美人でもなかったらしく、白粉もせず日に焼けた肌と大きな顎をしていたという
父からはその顎から、そのまま「あご」というあだ名で呼ばれてたそうです。
現在でも余りにも資料がなく、これ以上は分からないみたいです。
なかなか展示もされていませんので、私も本物は見たことがありません。
北斎の晩年、90歳の北斎は浮世絵ではなくて肉筆画を多く描きます。それも何枚も・・高齢なのに不思議ですよね。
むしろお栄との合作、またはお栄の作品と見ても不思議ではないですよね。
しかし、謎だらけとはいえ興味深い勉強会でした。