ロックな話第2章

 

マニアックでしたか?

音楽は好みなので興味のないところはスルーして下さい。

またこれを見て聴いてみたいと思った方は、チャレンジですね。

 

続くアイルランドの英雄③

ゲイリー・ムーア 

1952年4月4日北アイルランド ベル・ファーストで生まれる。

小学生の頃ピアノを習い始めるが教師と合わず挫折。10歳の頃にギターを始める。当初はシャドウズのコピーに明け暮れるが、やがてジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックスなどの影響を受け始める。特にピーター・グリーンからは強い衝撃を受け、プロギタリストになる決意を固める。

 

1974年1月、スキッド・ロウ時代の旧友フィル・ライノットに乞われて数ヶ月間、ギターリストのエリック・ベルの代役として「シン・リジィ」の活動を行う。

同年5月、コロシアムのドラマー、ジョン・ハイズマンとともに新たなバンドを結成すべく人選を開始。ドン・エイリー、ニール・マーレイ、ジョン・モールらとともに「コロシアムⅡ」を結成し、1976年から1977年にかけて3枚のアルバムを残す。

1977年1月、再び、ブライアン・ロバートソンの代役として、「シン・リジィ」に参加、クイーンとのアメリカ・ツアーに同行する。

1978年8月、「シン・リジィ」に正式加入、コロシアムIIに在籍したまま、ソロ名義でMCAと契約し、9月、初のソロ名義作品『Back on The Streets』をリリース、UK・アルバム・チャートで70位を記録する。なかでも印象的な「パリの散歩道 (Parisienne Walkways)歌はフィル・ライノット」はUKシングル・チャート8位(最高位)を記録する。

12月、シン・リジィ『ブラック・ローズ (Black Rose)』のレコーディング開始する。

 

1978年8月、シン・リジィに正式加入、コロシアムIIに在籍したまま、9月、初のソロ名義作品『バック・オン・ザ・ストリート (Back on The Streets)』をリリース

その中の1曲「パリの散歩道」はソチオリンピックの羽生結弦選手の曲。

ゲーリー・ムーアの34年前のライブ音源。皆さんも何度もオリンピックの時に聞いているんですよ。知っていましたか?

顔は怖いけれど、ギターは巧いゲーリー・ムーア

1979年2月、『ブラック・ローズ (Black Rose)』

シン・リジィの最高傑作です。どの曲もいいけれど「ブラック・ローズ」はアイルランド魂が爆発します。

絶頂のシン・リジィでしたが大事件
「ブラック・ローズ」のアメリカンツアーでゲーリー・ムーアは脱退。
その後のシン・リジー日本初来日にも同行しませんでした。
ゲーリーが同行しなかったシン・リジィ初来日公演は、どれだけファンの方がガッカリされたことでしょう。
脱退理由は「メンバーの麻薬」みたいですね。ゲーリーは顔は怖いけれど、その点は健全ですから。
ゲーリー・ムーアはそれからソロギターリストとして活躍。
ギターヒーローとして何度も来日をしますが、私一度も見に行っていないんです。
 
「BBM」
1994年アラウンド・ネクスト・ドリーム~白日夢
ジャック・ブルース、ジンジャーベイカー、ゲーリー・ムーアは3ピースバンド「BBM」を結成。
第2のクリームとしてアルバムを1枚残しました。
アラウンド・ネクスト・ドリーム~白日夢

Jack Bruce (Vo, B, CREAM), Ginger Baker (Dr, CREAM)、Gary Moore (Vo, G),

BBM「Gary Moore & CREAMのリズム隊」というスーパーバンドです。

曲だけ聞くとクリームと同じように、ジャック・ブルースの世界観がありますね。

ライブではクリームの曲も沢山演奏してました。

ゲーリーのギターの弾き方も、わざとクリーム時代のクラプトン風だしね。

このグループもジャックとジンジャーの喧嘩で解散しました。

ジャックとジンジャーは若い時から何度もグループを組んでいつも喧嘩をして解散します。

腐れ縁。犬猿の仲。でも本当は仲がいいんでしょうね。

 

それからゲーリー・ムーアはブルースバンドを結成してロックから離れていきます。

 

私の初めてのゲーリー・ムーアとの出会い

2010年4月、21年振りの来日公演が東京、名古屋、大阪で行われました。

私は「東京ドームシティーホール」という、とてもまじかに見られる会場でした。

他のメンバーは知らない人ばかり、もっと有名人を連れて来るものと期待したのですが。

曲は殆どがブルースでしたが、でも音はやはりロックしてましたね。

知り合いと行った思い出のコンサートです。

初めて出会ったゲーリー・ムーアは太って「牛くん」になっていました。
昔はあんなに痩せていたのに。
まさかこの後亡くなるなんて・・思いませんでした。
今度はハードロックバンドで戻ってくるとコンサート会場では言っていたのに・・・・。

2011年2月6日

休暇先のスペイン(アンダルシア州マラガ県の都市エステポナ)にて心臓発作で急逝58歳合掌

 

また第3章に続きます。