01 1971/10/24 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(ライヴ&ドキュメント)
02 1972/07/05 ローリング・ストーンズ(69/7/5ロンドン・ハイド・パーク)
03 1972/05/07 クリーム(68/11/26ロイヤル・アルバート・ホール)
04 1972/08/25 スーパーショウ(69/3ステーヴン・スティルス、バディ・ガイ、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、MJQ、ローランド・カーク他)
05 1972/10/08 エマーソン・レイク&パーマー
クリームの素晴らしき世界(Wheels of Fire)」
片面スタジオ録音で、片面ライブ録音の二枚組。
「6弦ベース」に「ツインバスドラ」なんて考えられない時代
永遠に続くアドリブ・・・3ピ-スバンドの限界に挑戦
黒人ブルースをロックに仕立てた立役者

左から
エリック・クラプトン(ギター・ヴォーカル)当時21歳
ジンジャー・ベイカー(ドラマー )当時27歳
ジャック・ブルース(ベース・ヴォーカル・ハーモニカ)当時23歳
おいおい、どこの親父だよって思うぐらいの貫禄 どう見ても40過ぎの「チョイ悪親父」

ジンジャーベイカー(Ds)とジャックブルース(B)はJazz出身です。
クラプトン(G)もこの頃は神がかっていました。21歳に見えないぞ。
結局このグループは1968年に2年の活動で解散。ロックの基礎になりました。
日本で放映された「ヤング・ミュージック・ショー」は解散して4年後に放映されました。
1968年の11月25日と26日にロイヤル・アルバート・ホールでの二夜連続のステージ
前座は「イエス」と「ロリー・ギャラガー」

ジャック・ブルース死去
2014年10月25日死去[の自宅で家族に見守られ息を引き取った。71歳 合掌
死因について英国メディアは肝臓癌を患っていたと伝えている。

エリック・クラプトンは自身のフェイスブックで「偉大な音楽家であり作曲家だった。私に多大なインスピレーションをもたらした」とコメントを発表した。
「Led Zeppelin」
これは私がはじめて買ったLP
![]()
1971年に初来日をして、1972年に2回目の最後の来日をしました。
1972年、私が見に行った初外タレ(外国人タレント)のコンサートです。
まだまだ高校1年生の私が行くには武道館のロックのコンサートは怖い場所でした。
ツェッペリンの印象は、ジミー・ペイジがそんなに巧く感じなかったです。
ロバート・プラントも声がそんなに出てなかったみたいだし。武道館の音が悪かったせいかもしれません。

左から3番目のジョンボーナムは亡くなったのでその息子のジェイソン
ジョン・ボーナム 1980年9月25日 32歳 合掌
死因は、吐瀉物を喉に詰まらせての窒息死であった(32歳没)。

スタジオ・セッション・ギタリストを経て、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックに続く「ザ・ヤードバーズ」最後のリード・ギタリストとなったジミー・ペイジ(当時24歳)。
1968年にジミー・ペイジ(G)は、ザ・ヤードバーズの分裂後にロバート・プラント(Vo)、ジョン・ボーナム(Ds)、ジョン・ポール・ジョーンズ(B)に声を掛けてロック史の中でも、もっとも影響力があり、革新的で、成功を収めたレッド・ツェッペリンを結成。
とにかく音が格好良かった。ファーストアルバムの1曲目「Good Times Bad Times」
クリーム亡き後のロックの夜明けを感じます。同じくブルース・ロック
業界ではその実力を高く認められ、その名も知られているけど、一般の人にはあまり知られていない人をさすことが多く、「必ずしも一般消費者の受けがよいとは限らないが、専門家から高く評価されているミュージシャン。」
1995年、ツアー先のオランダのロッテルダムで倒れた。ギャラガーの肝臓は限界まで来ていた。4月に肝臓移植手術を受けたが6月14日、その手術が原因となり合併症のため47歳で逝去しました。合掌
エリック・クラプトンはBBCに「自分をブルースの世界に復帰させてくれた」 ことでロリー・ギャラガーは評価を得るべきだと伝えたことがある。
ロリー・ギャラガーの弟でありマネージャーを務めていたドネル・ギャラガーは、もしロリー・ギャラガーが存命ならば70歳の誕生日を迎えていただろう2018年3月2日のアイリッシュ・エギザミナー紙でこのようにコメントしている。「彼はうぬぼれた事など一度もなかった。彼は本当にどこにもでもいる普通の人だったよ。ステージにあがるために生きていたような人だった。ステージから降りている時の彼は、AからBへと進めることが全てだった。ステージに上がるか、曲を書くか。そんな人だったんだ」。

テンプルバーにはロリー・ギャラガー・コーナーという名前の通りがあります。
ロリー・ギャラガーはアイルランドが世界に誇るロックのギタリストです。
ロリー・ギャラガーの名前を冠した通りだけに、ちゃんとストラトも飾られています。
一度しか来日公演は見ていませんが、気が付いた時には亡くなっていました。
1986年1月4日、フィル・ライノット、ヘロインの過剰摂取による内臓疾患、敗血症により死亡。36歳。合掌

2005年、彼の生涯の功績を記念してアイルランド・ダブリンに銅像が建てられ、8月19日に彼の母を迎えて除幕式が行われました。
私も1980年9月29日来日公演を見ました。
当日、日本青年館は私のいる2階席はガラガラ・・でもフィルは決して手を抜いた演奏はしませんでした。麻薬さえしていなければね。
まだまだ続きます。英雄シリーズも。



