今回はRocKの話
またまたマニアックな話です。今回は章に分けて書きます。
音楽好きな方は読んでみてください。
 
音楽を聴き始めたのは中学校の頃のラジオ放送がきっかけだったと思います。
特に深夜放送・・ゲルマニウムラジオ(スピーカーはないのでイヤホンで、カーテンレール等から電波を拾って聞く)から始まりました。
ゲルマニウムラジオはプラモデル屋に売っていました。当時でも500円くらい。
今でも600円ぐらいで売っています。
電池がいらないし、イヤホーンなので寝ながら聞けます。とても便利な優れ物でした。
 
皆さん音楽は色々な国内外の好みを聴いて、各々感性で歌謡曲、クラッシック、フォーク、外国のポップス、ジャズで別れたんだと思います。
中学校では歌謡曲、当時流行りのフォーク、洋楽では「ビートルズ」とか「サイモン&ガーファンクル」なんかが流行っていました。
私はフォークも好きでしたが、ロックが気に入りました。ビートルズではもの足りません。
そういえば「let it be」の映画を観たのもその頃です。
中学を卒業する春休みに「札幌冬季オリンピック」がありました。
しかしもっと重要なのが、NHKで放映された「ヤング・ミュージック・ショー」の「クリーム」の解散コンサートが衝撃的でした。まだ当時の日本では動く外国のミュージシャンを見る機会が少なかったのです。
当時、日本ではグループ・サウンズが全盛の時代、遠いイギリスではビートルズとは違うこんな音楽があったんだと知りました。
間奏にアドリブかある音楽なんて、ジャズ以外日本には無かった時代でしょう
 
NHKヤング・ミュージック・ショー放映リスト 1971/10~1979/3
01 1971/10/24 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(ライヴ&ドキュメント)
02 1972/07/05 ローリング・ストーンズ(69/7/5ロンドン・ハイド・パーク)
03 1972/05/07 クリーム(68/11/26ロイヤル・アルバート・ホール)
04 1972/08/25 スーパーショウ(69/3ステーヴン・スティルス、バディ・ガイ、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、MJQ、ローランド・カーク他)
05 1972/10/08 エマーソン・レイク&パーマー
NHKがこんな音楽番組を放映するなんて夢にも思わなかった時代です。
 
「クリーム」

クリームの素晴らしき世界(Wheels of Fire)」

片面スタジオ録音で、片面ライブ録音の二枚組。

クリームがスタジオとライブではこんなに違うのがわかります。
「CrossRoads」は名曲
ビートルズなんて同じですよね。スタジオもライブも・・・・

「6弦ベース」に「ツインバスドラ」なんて考えられない時代

永遠に続くアドリブ・・・3ピ-スバンドの限界に挑戦

黒人ブルースをロックに仕立てた立役者

このカラフルさはまさに当時で言う「アートロック」

左から

エリック・クラプトン(ギター・ヴォーカル)当時21歳

ジンジャー・ベイカー(ドラマー )当時27歳

ジャック・ブルース(ベース・ヴォーカル・ハーモニカ)当時23歳

おいおい、どこの親父だよって思うぐらいの貫禄 どう見ても40過ぎの「チョイ悪親父」

Cream - Ginger Baker, Eric Clapton  & Jack Bruce

ジンジャーベイカー(Ds)とジャックブルース(B)はJazz出身です。

クラプトン(G)もこの頃は神がかっていました。21歳に見えないぞ。

結局このグループは1968年に2年の活動で解散。ロックの基礎になりました。

日本で放映された「ヤング・ミュージック・ショー」は解散して4年後に放映されました。

1968年の11月25日と26日にロイヤル・アルバート・ホールでの二夜連続のステージ

前座は「イエス」と「ロリー・ギャラガー」

クリーム解散コンサート

ジャック・ブルース死去

2014年10月25日死去[の自宅で家族に見守られ息を引き取った。71歳 合掌

死因について英国メディアは肝臓癌を患っていたと伝えている。

エリック・クラプトンは自身のフェイスブックで「偉大な音楽家であり作曲家だった。私に多大なインスピレーションをもたらした」とコメントを発表した。

 

「Led Zeppelin」

これは私がはじめて買ったLP

1971年に初来日をして、1972年に2回目の最後の来日をしました。

1972年、私が見に行った初外タレ(外国人タレント)のコンサートです。

まだまだ高校1年生の私が行くには武道館のロックのコンサートは怖い場所でした。

ツェッペリンの印象は、ジミー・ペイジがそんなに巧く感じなかったです。

ロバート・プラントも声がそんなに出てなかったみたいだし。武道館の音が悪かったせいかもしれません。

左から3番目のジョンボーナムは亡くなったのでその息子のジェイソン

ジョン・ボーナム 1980年9月25日 32歳 合掌

死因は、吐瀉物を喉に詰まらせての窒息死であった(32歳没)。

スタジオ・セッション・ギタリストを経て、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックに続く「ザ・ヤードバーズ」最後のリード・ギタリストとなったジミー・ペイジ(当時24歳)。

1968年にジミー・ペイジ(G)は、ザ・ヤードバーズの分裂後にロバート・プラント(Vo)、ジョン・ボーナム(Ds)、ジョン・ポール・ジョーンズ(B)に声を掛けてロック史の中でも、もっとも影響力があり、革新的で、成功を収めたレッド・ツェッペリンを結成。

とにかく音が格好良かった。ファーストアルバムの1曲目「Good Times Bad Times」

クリーム亡き後のロックの夜明けを感じます。同じくブルース・ロック

 
「ロリー・ギャラガー」
1948年3月2日アイルランド生まれ
ヨーロッパでは有名だけれど、日本ではあまり有名ではないギターリストです。
ブルースギターリスト
クリームやレッド・ツェッペリンよりもっと、もっと泥臭いブルースロックです。
ローリングストーンズのギターリストにも推薦されたが断った男
 
ミュージシャンズ・ミュージシャン
「ミュージシャンのうち、特に音楽のプロであり同業者であるミュージシャンから支持されているミュージシャンを指す語」。

業界ではその実力を高く認められ、その名も知られているけど、一般の人にはあまり知られていない人をさすことが多く、「必ずしも一般消費者の受けがよいとは限らないが、専門家から高く評価されているミュージシャン。」

 

アイルランドの英雄①
1972年ライヴ・アルバム『ライブイン・ヨーロッパ』を発表 24歳

1995年、ツアー先のオランダのロッテルダムで倒れた。ギャラガーの肝臓は限界まで来ていた。4月に肝臓移植手術を受けたが6月14日、その手術が原因となり合併症のため47歳で逝去しました。合掌

私は1974年の初来日公演に行きました。
クイーンのブライアン・メイが、彼のギター・サウンドが確立したのはアイルランド出身の伝説のブルース・ロック・ギタリスト、ロリー・ギャラガーのおかげだと語った。

エリック・クラプトンはBBCに「自分をブルースの世界に復帰させてくれた」 ことでロリー・ギャラガーは評価を得るべきだと伝えたことがある。

 

 
 

ロリー・ギャラガーの弟でありマネージャーを務めていたドネル・ギャラガーは、もしロリー・ギャラガーが存命ならば70歳の誕生日を迎えていただろう2018年3月2日のアイリッシュ・エギザミナー紙でこのようにコメントしている。「彼はうぬぼれた事など一度もなかった。彼は本当にどこにもでもいる普通の人だったよ。ステージにあがるために生きていたような人だった。ステージから降りている時の彼は、AからBへと進めることが全てだった。ステージに上がるか、曲を書くか。そんな人だったんだ」。

ロリー・ギャラガー・コーナー

テンプルバーにはロリー・ギャラガー・コーナーという名前の通りがあります。

ロリー・ギャラガーはアイルランドが世界に誇るロックのギタリストです。

ロリー・ギャラガーの名前を冠した通りだけに、ちゃんとストラトも飾られています。

一度しか来日公演は見ていませんが、気が付いた時には亡くなっていました。

 
アイルランドの英雄②
Thin Lizzy(シン・リジー)
日本では一部では有名ですが、ヨーロッパではとても有名なグループです。
1969年、フィル・ライノット(V・B)を中心に、フィルの学生時代からのバンド仲間であるドラムスのブライアン・ダウニー、元ゼムのギタリスト、エリック・ベルとともにダブリンで結成、パブなどで演奏を開始する。ある日、アルバム『ブルースブレイカーズ・ジョン・メイオール・ウィズ・エリック・クラプトン』のジャケットで、エリック・クラプトンが読んでいる雑誌 "Beano" に興味を持ち、掲載されていた漫画の中に "Tin-Lizzie" (ブリキのエリザベス)という名のロボットが登場していたのを見つけ、ライノットたちはその名を拝借し、アイルランド人が発音しやすいように綴りを変え、バンド名をシン・リジィ (Thin Lizzy) としました。
その後、バンドはメンバーを何度も替え成功する。

1986年1月4日、フィル・ライノット、ヘロインの過剰摂取による内臓疾患、敗血症により死亡。36歳。合掌

2005年、彼の生涯の功績を記念してアイルランド・ダブリンに銅像が建てられ、8月19日に彼の母を迎えて除幕式が行われました。

 

私も1980年9月29日来日公演を見ました。

当日、日本青年館は私のいる2階席はガラガラ・・でもフィルは決して手を抜いた演奏はしませんでした。麻薬さえしていなければね。

まだまだ続きます。英雄シリーズも。