美和子が俺の肩に頭を預ける。横目に美和子の表情を窺うと、彼女は何とも満足そうな笑みを浮かべている。日が暮れて辺りがその輝きを失ってしまうまで、ずっとそうしていたい様にさえ思えた。言葉も失い、ただ眼前に広がる光景に暫し見とれていると不意に背後でけたたましいエンジン音が轟いた。振り返ると改造車と覚しき真っ赤なスポーツカ!の中から若いカップルが降りてきた。
「美和ちゃん、写真撮って貰おう」
俺はそう言うと、車から降り立った男の方を呼び止め、写真を撮ってくれないかと頼んだ。男は二十歳そこそこに見え、四方八方に跳ね上がるだらしない長髪は殆ど金髪に近い。連れ合いの女も似たり寄ったりの容姿をしている。かといって他に頼める者も見当たらず、俺は嫌な顔のひとつもされる覚悟でその男に写真を撮って貰えないかと頼んでみた。するとその男は意外にもにこやかな表情で、いいですよ、と気軽に応じてくれた。なるほど、人は外見ばかりで判断するものではない。わざわざ遠出までしてこうした風情を味わおうなどという心境の持ち主だけあって、外見ほど中身はとんがっていない様である。俺達は極彩色の錦を纏った山を背景に三枚ばかり写真を撮って貰った。俺が丁寧に礼を述べると、その男は照れ臭そうに笑った。真っ赤な車の側で待ちぼうけを喰わされている彼女方にも軽お辞儀すると、その女も至って他意のない笑顔を返してくれた。何とも清々しい。山をれば知らぬ者同士であってもすれ違う折、自然と挨拶が交わされる。それは同じ感性を弓者同士のシンパシーが根底にあるからだ。俺が彼らに感じた清々しさも同じ類のもののだろう。
達は駐車場を後にし、土産物屋の右手から奥へと続く細道に向かった。細道の左右は願争の書かれた木製の短冊で隙間なく埋め尽くされている。この細道は三十メートル程の冨しかなく、その突き当たりには小さな滝がある。俺と美和子は寄り添い乍ら細道を下に。この滝も美しいかと問われれば、それなりに美しい。紅葉の中、流れ落ちる滝の姿』幅の山水画の様である。俺はこの山水画を美しく思う。ただ誰もがそう思うかと言え唐それは甚だ疑問である。この滝の審美眼的な判断基準は、その佗しさに呼応する感受ぞ有するか否かに依るだろう。俺はこの繊細さを美しく思う。でも何百万円もする茶道早書幅を前にして、それに値する程の感銘を覚えた事など、これまで一度としてない。そね多分に主観の問題に違いない。
「た.これ?」
おら美和子が素っ頓狂な声を上げて笑い出した。美和子は滝壷の手前に置かれている鉄製の馬鹿でかい下駄の置物が可笑しくて笑っているのだ。その「対の下駄は真っ赤な塗料で塗られており、言われれば俺から見ても折角の景観も興を削がれかねない代物ではある。
「天狗の滝やからなあ、ほら」俺は滝の名の由来が記された看板を指した、
「へえ、それで下駄」
美和子は依然笑っている。どうやら滝の俺しき停まいが美和子の琴線に触れる事はなかった様だ。せっかくの記念にと滝を背景に美和子の写真を二枚程撮った。この背景で一緒に写真に収まりたかったが、辺りには俺達の他に誰もいない。仕方なく先程美和子を写した際の間合いを参考に、美和子と並んで片手を前に突き出すとデジタルカメラを自分達に向けシャッターを切った。思い通りになかなかフレームに納まらず試しては画像を消去する。五回ほど繰り返す内に次第に要領が掴め、滝や下駄の置物を背景に五枚ほど写真に収まる事が出来た。日差しも随分と窮りを帯び、時計を見遣れば時刻は間もなく四時になろうとしている。俺達は細道を引き返した。
美和子が土産物屋を覗いてみたいと言い出したので、少しばかり立ち寄る事にした。こうした店にあるものと言えば漬け物や田舎菓子の類と相場は決まっている。俺達は暫く店ω内をぶらついたが、結局何も買わなかった。俺はこの遠出を母に伝えていない。多分美和子もそうだろう。遠出の証拠品をわざわざ持ち帰る必要など何処にもなかったのである。店を出て車に辿り着くと、もう一度眼前のパノラマを見渡した。窮りゆく日差しの中、先程の鮮烈な色彩は既にその輝きを失っていた。もう少し到着が早ければ、降りしきる雨の中あの色彩には出会えなかっただろうし、仮に遅れていたとしたら、この様に鮮烈な色彩は既に失われてしまっていた訳だ。つまりはあの絶景に出会えた事は全くの僥倖に他ならない。それでいて何やら必然めいたものを感じずには居られない。由布院で感じた、今目ここに来なければ、今ここに向かわなければ、そういった予感めいた衝動こそがその必然の証左である様に思える。もしそう言った理解の域を超えた何らかの働きが作用しているのだとしたら、それは果たして吉兆なのだろうか、或いは凶兆なのかもしれない。当然の理(ニとわり)を不意に見失ってしまった、その様な不思議な感覚を抱き乍ら辺りを見回す。錦を纏った山々が確かな意思を持って俺を見.下ろし乍ら何かを語り掛けようとしている、ふとそんな幻想に囚われた。
「美和ちゃん、写真撮って貰おう」
俺はそう言うと、車から降り立った男の方を呼び止め、写真を撮ってくれないかと頼んだ。男は二十歳そこそこに見え、四方八方に跳ね上がるだらしない長髪は殆ど金髪に近い。連れ合いの女も似たり寄ったりの容姿をしている。かといって他に頼める者も見当たらず、俺は嫌な顔のひとつもされる覚悟でその男に写真を撮って貰えないかと頼んでみた。するとその男は意外にもにこやかな表情で、いいですよ、と気軽に応じてくれた。なるほど、人は外見ばかりで判断するものではない。わざわざ遠出までしてこうした風情を味わおうなどという心境の持ち主だけあって、外見ほど中身はとんがっていない様である。俺達は極彩色の錦を纏った山を背景に三枚ばかり写真を撮って貰った。俺が丁寧に礼を述べると、その男は照れ臭そうに笑った。真っ赤な車の側で待ちぼうけを喰わされている彼女方にも軽お辞儀すると、その女も至って他意のない笑顔を返してくれた。何とも清々しい。山をれば知らぬ者同士であってもすれ違う折、自然と挨拶が交わされる。それは同じ感性を弓者同士のシンパシーが根底にあるからだ。俺が彼らに感じた清々しさも同じ類のもののだろう。
達は駐車場を後にし、土産物屋の右手から奥へと続く細道に向かった。細道の左右は願争の書かれた木製の短冊で隙間なく埋め尽くされている。この細道は三十メートル程の冨しかなく、その突き当たりには小さな滝がある。俺と美和子は寄り添い乍ら細道を下に。この滝も美しいかと問われれば、それなりに美しい。紅葉の中、流れ落ちる滝の姿』幅の山水画の様である。俺はこの山水画を美しく思う。ただ誰もがそう思うかと言え唐それは甚だ疑問である。この滝の審美眼的な判断基準は、その佗しさに呼応する感受ぞ有するか否かに依るだろう。俺はこの繊細さを美しく思う。でも何百万円もする茶道早書幅を前にして、それに値する程の感銘を覚えた事など、これまで一度としてない。そね多分に主観の問題に違いない。
「た.これ?」
おら美和子が素っ頓狂な声を上げて笑い出した。美和子は滝壷の手前に置かれている鉄製の馬鹿でかい下駄の置物が可笑しくて笑っているのだ。その「対の下駄は真っ赤な塗料で塗られており、言われれば俺から見ても折角の景観も興を削がれかねない代物ではある。
「天狗の滝やからなあ、ほら」俺は滝の名の由来が記された看板を指した、
「へえ、それで下駄」
美和子は依然笑っている。どうやら滝の俺しき停まいが美和子の琴線に触れる事はなかった様だ。せっかくの記念にと滝を背景に美和子の写真を二枚程撮った。この背景で一緒に写真に収まりたかったが、辺りには俺達の他に誰もいない。仕方なく先程美和子を写した際の間合いを参考に、美和子と並んで片手を前に突き出すとデジタルカメラを自分達に向けシャッターを切った。思い通りになかなかフレームに納まらず試しては画像を消去する。五回ほど繰り返す内に次第に要領が掴め、滝や下駄の置物を背景に五枚ほど写真に収まる事が出来た。日差しも随分と窮りを帯び、時計を見遣れば時刻は間もなく四時になろうとしている。俺達は細道を引き返した。
美和子が土産物屋を覗いてみたいと言い出したので、少しばかり立ち寄る事にした。こうした店にあるものと言えば漬け物や田舎菓子の類と相場は決まっている。俺達は暫く店ω内をぶらついたが、結局何も買わなかった。俺はこの遠出を母に伝えていない。多分美和子もそうだろう。遠出の証拠品をわざわざ持ち帰る必要など何処にもなかったのである。店を出て車に辿り着くと、もう一度眼前のパノラマを見渡した。窮りゆく日差しの中、先程の鮮烈な色彩は既にその輝きを失っていた。もう少し到着が早ければ、降りしきる雨の中あの色彩には出会えなかっただろうし、仮に遅れていたとしたら、この様に鮮烈な色彩は既に失われてしまっていた訳だ。つまりはあの絶景に出会えた事は全くの僥倖に他ならない。それでいて何やら必然めいたものを感じずには居られない。由布院で感じた、今目ここに来なければ、今ここに向かわなければ、そういった予感めいた衝動こそがその必然の証左である様に思える。もしそう言った理解の域を超えた何らかの働きが作用しているのだとしたら、それは果たして吉兆なのだろうか、或いは凶兆なのかもしれない。当然の理(ニとわり)を不意に見失ってしまった、その様な不思議な感覚を抱き乍ら辺りを見回す。錦を纏った山々が確かな意思を持って俺を見.下ろし乍ら何かを語り掛けようとしている、ふとそんな幻想に囚われた。