夕方になって小学校の授業が終わると、美里は友達との約束があるとき以外は、いつも家路を急いだ。薄暗い小学校の昇降口で下駄箱に並べてある運動靴を掴むと、靴についた校庭の砂が占い木のド駄箱とこすれて、ジャリッと音を立てた。靴の背に、母が黒マジックで書いた自分の名前を確かめると、長年良く磨き込まれて年期の入ったすのこの近くに放り投げて、心持ちよろけながら靴をはいて、つま先でとんとん床を二、三回蹴った。朱色のジャンパ!と黄色い通学帽がいかにも、田舎の子供らしく見えた。他の子供たちがやっと下駄箱に降りてきた時、
美里は高い声で「またねー、ばいばーい」と、友達に向けて手を振るが早いか、駆け出していた。
(今日はこのまま、帰りに買い物に行くって、お母さん言ってた。正門前のいつもの所で待ってるって。きっともう、お母さん待ってる)
校庭の曲がり角に焼却炉があった、近づくといつも焼けたすすの匂いがする。その両脇を飾るにしては背が高すぎるポプラの双木が、風にそよいでさらさらと音を立てた。ポプラの頂きを見上げると、雲の間に太陽の光が、まるで放射光のように、地面まで白い線を描いていた。小走りの美里が校庭の角を曲がると、正門まではきれいな小石の道が広がっていた。秋になってもう使わなくなったプールの緑色のフェンスに沿って、黄色く色づいた銀否の木が道をふちどっていた。夏休みには、娘の泳ぎが上達したか見に来る、母達の姿がここにある。正門から見える職員室棟は、コンクリート打ち放しの柱に、壁がつややかな白に塗られ、サッシの窓枠は上部が丸くゆるいアーチを描いているのが優しい表情で、いかにも小学校に似つかわしかった。正門を出ると、いつもの場所に母の乗る白い車があった。逆光で母の顔は良く見えない。
栗色のパーマ髪だけが光に浮かんで印象的に、母の存在をそれと分からせた。美里は車を見つけるといっきに走り出した。赤いランドセルに下げた飾りものが鞄にぶつかっては、鈴の音をたてた。車を生垣に寄せて母は待っていたので、美里は助手席に乗るのに、木をがさがさいわせながら、器用な身のこなしで乗り込んだ。
「ただいま」美里の口元がほつれたように笑った。母は、ゆっくりそこで待っていたふうだった。
「おかえりなさい」
母は、美里の顔色をのぞきこむように笑った。やがて車は県道へと続く道を、いつものように走り出した。
イトーヨーカドーのファミリーレストランでは、美里は常客のひとりであった。美里が注文したヨーグルトが運ばれてきた。ウェートレスの持ってきたヨーグルトは、マスクメロンを型どった陶製のずっしりとした大きな器に盛られている。なんともゴージャスな演出である。それを横目で見た母は、かすかに笑いをもらした。
「どうしたの?お母さん」
きょとんとする美里に、母はやさしく、秋絵は驚いた様子で、小柄な体を丸くして走り出てきた。
「祥子は、祥子は元気でおりますかな?」
拭き込まれて黒光りに艶々している床に膝をつき、秋絵は急きこんだ口調で言った。
それはこっちが訊きたいことだと思いながら、「はい。元気でおります」と、つい応えてしまった。
「急にお見えになったものですから、すっかり慌ててしまって申し訳ないことです。ろくなご挨拶もいたしませんで。まあ、まあ、ようおいでくださいました。さ、さ、どうぞ、こちらの奥のほうへお上がりて。さ、さ……」
秋絵は笑顔で、手をとらんばかりに体を乗り出してきた。孔志は飛びのいて後ずさった。
「ありがとうございます。後で参ります」
と言って、玄関の戸も閉めずに外へ飛び出した。秋絵の思惑など気にしている余裕はなかった。