
郡山は、安積疏水で発展したまちと言いますが、実際は有史以来重厚な歴史を持っているまちです。江戸時代の郡山は、奥州街道の大宿場町として発展し、まちの中央(今の陣屋)には旧安積郡の三代官所が置かれました。当時郡山は二本松藩が治めていて、代官を通じて支配を受けました。現在の金透小学校敷地には、安積郡内の村々の蔵があり、郡山は昔から物流の拠点として栄え、経済力が飛躍的に発展し、郡山が無ければ二本松藩財政も成り立たない程でした。郡山の商人の間には俳諧などの文化が栄え、風流心が培われました。その中で、江戸時代の郡山の人々が、春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜の風景の中で、特に景色のよい所を選び、「郡山八景」と名づけ称揚しました。当時の庶民のまちを愛する気持ちが八景を生むに至ったのです。みなさんも八景をたどってみましょう。
●皿沼の釣船
皿沼は、現在の郡山商工会館が建っている所にあった沼のことです。虎丸長者が食器などを洗わせた所だと言い伝えられています。沼があった頃は、舟を浮かべて釣り糸を垂れることもあったのでしょう。その様子が、静かで落ち着いた趣のある景色として親しまれました。皿沼は江戸時代には郡山の人々の飲料水となりました。会館前には今でも水神様の祠と大きな欅があって、ここに皿沼があったことを物語っています。
以上、郡山青年会議所作成「郡山八景」より。
画像の郡山商工会館が建っている場所に沼が存在していたのですね。いつ頃埋め立てられたのか知る由もありませんが、現在駐車場となっている周辺部に人工池を設けて皿沼を復活して欲しいですね。市民の憩いの場になること間違いなし。